10 商談は瞬く間に
「…えっと…、いい天気ですね」
「そうだな」
「…どこか、帰りに寄る店とかありますか?」
「いや、特にない」
「そ、そうですか」
(…… 間が もたない!)
桜は心の中だけで頭を抱えながら、ここまでのことを思い出した。
数日前の朝、また町に行きたいと相談すると、“今日明日は無理だけど、近いうちに必ず町にまた出てもらいたい”という回答をもらった。
劉備たちもなるべく早く“ファオが信頼できるのか”“信頼できるならば砒素かどうか調べてもらいたい”という思いがあり、優先的に動いてくれているらしかった。
そのためここ数日はおとなしく、今までのことをメモでまとめたり、体力回復のために部屋で軽い筋トレをしたり(鵬燕が興味深そうに見ていた)、劉琦にお茶に誘ってもらって嬉々としてご相伴にあずかったりした。
…ちなみに、この時代でなかなかお茶を飲めないなと思っていたら、お茶は高級嗜好品なんだそうだ。
感動に震えながら桜は久しぶりのお茶をしっかり味わっていただいた。
劉備たちもバタバタしているようで、食事も一緒にできない日もあったが、昨日夕食の席に呼ばれ、
「お待たせ。やっと雲長が新野から帰ってきたから、明日からならいつでも町に行っていいよ!」
と劉備から言ってもらったのだ。
(雲長さん…?)
どうやら雲長…関羽は、桜が目覚めてすぐに劉備たちの本拠地である新野に一度帰って色々とそちらの仕事をしていたらしかった。
その関羽が襄陽に戻ってきたという。
それがどう自分の外出許可につながるのかよく分からず首を傾げたところ、町歩きの同伴を関羽がしてくれると答えが返ってきたのだった。
(いや、別に無理に話をしなくてもいいとは分かってるんだけど)
無言で自分の隣で歩いている関羽の気配をチラッと伺う。
当初一歩後ろに下がって守るように歩いてくれていたので、気になるから隣で…と頼んだのだが、今度は無言で並んで歩いているのが気になるようになってしまった。
「付き合ってくれてありがとう」とか「最近何か木細工作りましたか?」とか色々話題をふってみたが、「ああ」とか「いや」とか“無駄口はたたきません!”という不言実行武将の貫禄を見せてもらっただけだった。
(ザ・武将!って感じで格好いいんだけど…
格好いいんだけどさ、なんかファンサしてほしいよ!)
劉備は自分から話題をふってくれるタイプだし、伏龍も質問したら会話を広げてくれる。
趙雲はそっけない部分もあるが同年代という雰囲気を出しているので話しやすい。
しかし、鉄壁の大人の真面目な武将という雰囲気、しかもかなり体格差のある相手である関羽とは全く会話が始まらない。
(続かない、じゃないのよ。そもそも始まらないのよ…!)
鵬燕と同じようなタイプなんだろうと思うが、せっかくだからもう少し人となりを知りたい…と思うのだが、なかなか時間がかかりそうだ。
「えっと、ここですね。
ファオが関羽さんの知ってる薬師だったらいいんですけど…」
関羽が今回一緒に来てくれることになった理由は、“天才薬師”に関羽が治療してもらったことがあったからだ。
過去、関羽が敵兵から毒矢で打たれた時に、たまたま居合わせた薬師が驚くべき手際と豊富な知識で関羽を助けてくれたのだという。
名前は名乗らなかったが、薬師は“戦場は負傷兵が多く金になる”というような趣旨のことを言い、その時関羽が持っていたお金を全て治療費として要求したらしい。
(確かにかなりイメージが近いな…)
その話を聞いた時桜は苦笑してしまった。
“戦地にお金目的で来ているなんて身も蓋もなさすぎるだろ”とも現代思想として思わなくはないが、結果として兵士の命を救っていることは間違いない。
古代においては医療兵なんてものもほぼ居ないに等しいし、技術があるからといって薬師が十分な収入を得られるわけでもないだろうということは、歴女である桜には想像できた。
実際に関羽も命の危機を助けてもらったとして、所持金を根こそぎ治療費にとられたことも納得している様子だ。
関羽から報告を受けている劉備も、関羽を助けた薬師の腕を信頼できると感じており、もし桜が出逢った薬師“ファオ”がその人物であるならば砒素の調査を依頼してみようという考えだ。
そのため、関羽が顔を確認するために一緒に来てくれることになったのだ。
「男連れとはガッカリだよ、お嬢サン」
宿屋の店員に案内してもらった部屋の扉を開けると、ファオが開口一番そんな事を言ってニヤリと笑った。
「ちょっと…!」
誤解を招きかねない発言に桜はファオを睨んで、チラッと関羽を見たが、全く気にしてない様子で頷いた。
「久しぶりだな」
「…?…ああ、あんたは右腕毒矢の御仁か」
関羽に声をかけられて、じっと不審者をみるような目で見てから、ファオは思い出したようにけろりとそう言った。
「ああ」
顔や名前は覚えていないが症状は覚えているといった調子の発言に、まるで“ちゃんとした医者”みたいだと感じる。
とにかく本人に間違いなさそうだ、と桜と関羽は視線で確認し合った。
「あんた確か…」
ファオは関羽を見て小さく呟いてから、その視線を桜に移す。
「やっぱりあんた城の関係者だったんだね」
「…広義的には、この町にいる人間はみんな“城の関係者”じゃないかしら」
「…は、」
言葉のうちに秘められた意味に気づきながらも、どう答えるべきか分からずあえてイエスともノーともつかない言い方をすると、ファオは目を丸めた後でくくっと喉の奥で愉しそうに笑った。
「…あんたやっぱり面白いな。
仕事がなくなった後、小間使いとして雇ってやってもいい」
「なっ…」
ファオは桜の事を“芙蓉の侍女”としてみているはずだ。
だから、“仕事がなくなった後”というのは、つまり“雇用主である芙蓉が死んだ後”ということを暗に示している。
たしかに芙蓉は桜ではないが、芙蓉の死を示唆されて何とも思わないほど他人でもない。
「薬師なのに、そんな命を軽く言うなんて、」
言葉を失った後そう非難しようと口を開いたが、まとう雰囲気が変わったファオを見て、桜はまたそれ以上の言葉を失った。
「薬師だからこそ命の軽さを知っているだけさ」
それは今までの愉しむような面白がるような気配はなく、しかし憐憫や悲嘆もない、まっすぐな淡々とした声。
真実をただ告げているといった様子に、ファオが見てきたものが分からない桜には何も言えるはずがなかった。
「──ずいぶんとこの者を評価しているのだな」
「武将はいちいち使用人を調べないから知らないだろうけど。
見どころがある。ただの侍女にしておくのは勿体ないよ」
「構わないが、勧誘は後にしてくれ」
関羽はそう空気を変えて、黙って袋を差し出した。
「…」
ファオの気配も確かにピリッとしたものに変わる。
袋を開いて漢方をつまんで、ファオは感情が読めない目で黙ってじっとそれを見ていた。
「…いつまで?」
「明日朝」
「ふうん。じゃあ色付けてもらわないとね。」
「わかっている。前金だ」
「はいはい」
関羽は慣れたように、ファオとそうやりとりしあう。
袋を見た瞬間に即座に始まって秒で話が終わる。
あまりにもスムーズな商談に桜はただ2人を眺めているだけだった。
「もう帰るが」
結局、関羽がそう桜に視線を送るまで桜はポカンとしていた。
「あっ…」
慌てて関羽を追いかけながら最後チラリと部屋を振り返ると、ファオは楽しそうにヒラヒラと手を振って桜を見送っていた。
(…分からない人。)
歴史上の優秀な医者といえば緒方洪庵や杉田玄白などが想い浮かぶが、そういう人たちは自分の職場(処置や調薬、研究や実験を行う場所であったり、技術を門下生に教える場所であったり、あるいは雇われて城にいたり)があった印象だ。
しかし、声がかからないのか断っているのかは分からないが、守銭奴で行商をしている。
軽薄そうな面もあるが、漢方を見たその目は真剣なものを感じたし、会話からも情報収集をしているような気もするし…
(一体何者なのかしら)
この時代の“普通”がよく分からないから、判断が難しい。
「ファオって、優秀な人なんですよね?
なのに、領主に雇われたり店を構えたりしないんでしょうか?」
関羽の背中を追って宿を出ながら、そんな風に聞いてみた。
「…どうなのだろうな。拠点があるかもしれないし、雇われているかもしれない。」
「え…」
(関羽さん達も分からないんだ…。いよいよ謎!)
「城仕えになるには身分が足りないからかもしれないが…公の場ではなく、市井や戦場での噂しか聞かないな」
「それって普通なんです?」
「いや。珍しい。
そもそも市井含め、薬師が話題になることがない。
能力の高い薬師や医官は普通、帝に仕える。」
「なるほど…」
優秀な医官は国のトップが抱え込んでしまうので、一般人レベルで話題になる機会がない。
身分が明らかな医官ならば皇居や城に住まわせても問題ない。
そもそも医官になるには高度教育が必要で、教育を受けられるのは特権階級のみ。
しかし特権階級でもないのに、天才医官だとしたら?
(…うわ、色々めんどくさそう…
搾取とか嫌がらせとか?
だったら町民相手とか、野戦病院に居た方がやりやすいかもしれないわね…)
関羽の説明は端的すぎるので解釈が違うかもしれないが、何となくファオの性格では雇われは似合わなさそうだなと思った。
(店を構えると面倒くさい人に雇われるかもしれないから逃げてるとか…?)
なんとなくファオは伏龍と気が合うんじゃなかろうかと、そんな風にも思った。




