3 砒霜
しばらく劉備の体温に浸って心が落ち着いたら、猛烈に恥ずかしくなった。
「もう大丈夫です」と赤い顔で劉備から離れた桜に伏龍も「悪かったな」と声をかけてくれ、赤い顔を気遣ってか劉備と伏龍はしばらく2人で話をしていた。
「なるべく早く連絡がつく薬師っているかな?」
「新野の医師は大体劉表軍と繋がってるから避けたほうがいいっすよね。となると時間はかかりますね。あとは市政の…」
「ううん、町医者だとちょっと心配だなあ…。町に下りた人だったら良いんだけど…」
「薬師の情報もいま密かに集めてるとこなんで、もうちょいつついてみます」
「そだね~、あと…」
そんな2人の話を横目で聞きながら、じっと漢方薬の包みを見つめた。
(サスペンスとかでもよくあるよね。“保険金殺人!妻の巧妙な企み!”みたいな…。
分からないくらい薄めた毒を毎日飲ませ続けて…ってやつ。
もし、劉琦さんがそんな目に合ってるんなら…本当にひどいって思う)
他人事じゃない。劉琦は優しい人だ。
伏龍は好意だろうと言っていたけれど、本当に100%好意からなのだろうか?
自分でも毒を疑ってしまったから、白黒ハッキリさせたくて、調べてもらいたくて、“劉備陣営の”芙蓉にこれを渡したような気がする。
私が劉備さんや先生と一定以上の親しい関係を構築しているのはあのわずかな時間でもわかっただろうし、何なら受け取るように先生が私に視線で言い含めたことだって気づいていたのではないだろうか。
劉琦が伏龍を信頼し全て打ち明けたのなら、芙蓉が知らずに飲む前に伏龍達が阻止するだろうことも想像できるだろう。
(薬だって言って毒を差し入れられるなんて…、そんなひどい事、ほんとなら疑うことすら辛いよね…)
思わず包みを開けた桜に伏龍が気付いて「お、おい気をつけろ」と声をかけてくれる。
桜は構わず紙の上に漢方を出していった。
自分に毒かどうか判断できるわけないが、悔しくて台無しにしてやりたい気持ちがそうさせていた。
もちろん、大事な証拠品だ。台無しにはできないが。
それは粉末状になっていて、すりつぶしきれなかったのだろう草のような、根のような固まりがある。
見た感じではなにも分からない。
においは──
と少し顔を近づけた時、ザワッと身体が粟立った。
(え?)
桜の感情じゃない。
身体が勝手に反応した、というのが近い。
芙蓉の身体が、勝手に強張った。
(──もしかして)
嫌な予感がする。
注意深くにおいを嗅いでみると、人参の根のようなにおいに混じって、にんにくのようなにおいもした。
(…ヒ素…?)
砒素は日本にも昔からあり、日本史の史実や小説、漫画などでもその毒薬の名前は何度も登場した。
桜は医療系歴史漫画で読みかじった記憶を手繰り寄せる。
(たしか…)
鉱物系毒薬である砒素は液化させて使われる劇薬で無味無臭だ。だが、元々はにんにくのような臭いがするらしい。
(煮立たせて飲んだら臭いが消える)
ふと劉琦の言葉を思い出した。
もしかしたら芙蓉は──ひいては芙蓉の身体は──これが砒素だと知っているのかもしれない。
盛られたか、どこかで嗅いだ事があるのかは分からないが…
だからこそこんなに汗ばんで“危険”だと教えてくれているのではないか。
「…?桜ちゃん?」
不思議そうな顔をする劉備に軽く頭を下げて待ってもらう。
「鵬燕」
そして部屋の外で待機してくれている人の名を呼ぶと、すぐに鵬燕は扉を開けてこちらに来てくれた。
「──念のために聞いてみたいんだけど…これが何か分かったりしない?」
もし芙蓉が砒素と関わった事があるのなら、鵬燕もその時に砒素を扱ったかもしれない。
だから鵬燕に確認してもらいたかった。
(それに鵬燕って“忍者”風だから詳しそうな先入観があるんだよね…)
「──…」
鵬燕は粉末に近付いてじっとそれを見つめる。
劉備や伏龍も鵬燕の反応を待っていた。
「─…様々な物が混じっており、それの化合量も少ないため、私では判断しかねます」
「“それ”って?毒が混ぜられてるかもってこと?心当たりが何かあるの?たとえば、…ヒ素とか」
「…仰る通り、砒霜かもしれませんが、何とも。少なくともそれを召されても死ぬことはないかと」
通じるかは賭けだったが、砒素はこの世界でも通じるようだ。
何となく響きが違ったのでおそらく漢字が違いそうだが。
「砒霜ね、まあそんな所だろうな。やっぱ、専門家じゃねえと分かんねえよなぁ…」
「細かく混ざっているので、薬師にも簡単には判定できないかもしれません」
「そっかぁ~…じゃあ、
薬師に判定させても言い掛かりだって逃げられちゃうかもだし、
ほとんど効果がないなら、じゃあ飲んでみてって言っても飲めちゃうもんね~…」
サラッと劉備が怖い事を言った気がするが、気にしないことにする。
少量であるということがネックならば、昔から使われてきた“銀食器で毒判定”もあまり反応がないかもしれない。勿論やってみる価値はあるかもしれないが。
桜も劉備や伏龍と一緒に頭を抱えた。
「まあ、いいや。元々それは“分かればいいな”くらいだったんだ。俺が預かっとくよ。
それより入手経路を辿る方がデカそうだ。手配しときますよ」
「うん、よろしくね~」
空気を変えるように伏龍が言って、そのまま劉備が空気を受けた。
そして「頭使ったからお腹減ったよ~」と劉備が言うので、また劉備達と食事をとることになる。
食事を支度してくれている間は一旦解散し、劉備の部屋に集まる流れだ。
「大将頭使ってました?」
「別に使ってないけど、ホラ、偉い人に良いカッコして精神的に疲れたから」
「…悪口でも華麗に流せるトコまじで尊敬しますわ」
「ありがと~」
2人がそんな風に仲の良い小気味良いやりとりをしながら部屋を出るのを、桜は微笑ましい気持ちで見送った。
廊下を出て劉備に“また後で”と声をかけようとした時、くるりと劉備が振り返る。
(わ、びっくりした)
思ったより劉備が近かったので、桜はたたらを踏んで一歩後ずさる。
「──砒霜で大変な目に合ったことがあるの?」
なぜ桜や鵬燕が砒素について詳しいのか?
それは、言外にそう聞いていた。
ごまかしを許さない真っ直ぐな瞳は桜の事を心配するものだが、確かに警戒も含まれていた。
変にごまかしたり言い淀んだりすると信頼を失う可能性がある。劉備のまとう空気から、そう感じた。
「“私は”書物で得た知識としてしか知りません。水に溶ける前は独特な臭いがする劇薬だと。
でも、もしかしたらこの身体…芙蓉姫はそうかもしれせん。臭いを嗅いだ瞬間、私が意識する前にすごく不快な感じになって…」
「そう…」
まっすぐ劉備の目を見て答えると、劉備もまっすぐ見つめ返して頷いてくれた。
(…どうやら合格できたみたいね)
「君に言うのは違うかもしれないけど…
大変だったね。生き延びてくれてありがとう」
そしてそう微笑んで、頭を撫でてくれた。
やたらと毎回嫌にドキドキする鼓動に、もしや芙蓉姫は劉備の事が好きでその影響で身体が過剰反応しているんじゃないか、とすら思えた。
「鵬燕。芙蓉姫は砒霜で何かあったの?」
劉備たちを見送った後、まだ部屋に残ってもらっていた鵬燕に、小さく問い掛ける。
もし服毒したことがあるのなら更に身震いする心地だが、無視できそうな問題でもない。
「芙蓉様に贈られた菓子に砒霜が入っており、芙蓉様が食されなかったので手をつけた女官が代わりに死んだ…という事があったようです。また、その頃から自衛のためか自死のためか、それらしいものを携帯されていた可能性もあります」
「……。」
何となく今までも気にはなっていたが、芙蓉と鵬燕は一体どういう関係なのだろう。
常にそばにいるボディーガードだというわりに、特別仲が良かったような感じもしないし、“知らない”とか“らしい”とか伝聞情報が多過ぎないだろうか。
それとも“寡黙忍者系”の鵬燕の性格によるものなのだろうか。
同じ“護衛系”でも、子龍と鵬燕はまるで正反対のようだ。表情に乏しい鵬燕は何を考えているのかサッパリ分からない。
内心嫌っているのかと思いきや、果物をむいて渡してくれたりと親切にもしてくれた。
(…嫌いとか好きとか以前に特別な感情はなくて、ただただ任務に忠実なだけとか…?それにしても…)
「それって、いつの事?その時鵬燕はそばにいられなかったの?」
「袁紹様の別邸に居る時です。
別邸には袁紹様の奥方様が住まわれており、余所者の男がうろつくのを良しとされませんでした。元々多くの護衛兵がおり、無理に私が付く必要もなく」
「ああ…なるほど…」
(お客さま扱いされて、“大奥”みたいな所に放り込まれたのかな。
たしかに余所者の男が自家の奥さんに手を出したら一大事だから、芙蓉姫の私兵が別邸に入れてもらえないのはありえるな…。ましてや鵬燕さんは曹操さんの兵よね。曹操さんと袁紹さんは敵対していたらしいし…)
「それに私は芙蓉様に疎まれておりましたので」
「えっ」
さらりとけろりと言ってのけられた言葉に桜は思考を止めて鵬燕を凝視した。
「………」
「…」
全く何とも思っていないように、鵬燕は目を閉じていた。
こんなに“何て言ったらいいのか分からない”発言があるだろうか。
悩みに悩んでひねり出した言葉は、
「それは…お疲れ様でした…」
という、バイト仲間の愚痴に対する返答のような何とも毒にも薬にもならない物だった。
(だって私が謝るのも変よね?)
内心ダラダラ汗を流しながら自問する桜だったが、鵬燕は物珍しい物を見るような目で桜を見ていたのだった。
桜は気まずさで目を逸らしていたので気付かなかったが、その鵬燕の目は光が灯っており嫌なものではなかった。
その後鵬燕に聞いた話などから推測できたのは、こういうものだった。
芙蓉は穏やかな“深窓の麗人”で血が嫌いだった。
そのため兵隊がそもそも苦手で、もちろん鵬燕の事も苦手意識があった。更に鵬燕はウルトラポーカーフェイスなので、更に苦手…むしろ怖がっていた?
芙蓉は袁紹に保護されていた時、お客さま扱いされ、奥様方が集う別邸で正室に次ぐ良い部屋(二番目に良い部屋)を与えられた。
元々居た姫が追い出された可能性もあるとか。
また、芙蓉は琴や琵琶が上手く、袁紹が部屋を訪ねることもあったそうだ。
明らかに芙蓉は他の側室からすると鬱陶しい存在だっただろう。
早く追い出したかっただろうし、寵愛を受けていると勘違いした姫が暴走して芙蓉に毒を盛った可能性が高い。
その直後に「芙蓉が自演で毒を盛った」という噂も出た。
すぐに“芙蓉を貶めるための言いがかりだ”と判断されて解決したが、取り調べの際、所持しているか詰問されたが芙蓉は所持を否定しなかった。
(その時鵬燕も同席していたため、それは確実だとのこと)
砒霜に気付いて避けられるように、あるいは犯人にやり返すために、あるいはもう本当に嫌気がさした時に自分で使うために、砒霜を隠し持っていた可能性がある。
(推測にすぎないけど、
聞いた感じでは“可哀想な姫”ってかんじかしら。
よくある転生ものでは大体悪役の身体に入ってるし、もしや芙蓉って毒盛っちゃう系悪女かと戦慄したけど…。少なくとも鵬燕が知る限りでは悪女じゃなさそうで、なんかホッとしたわ)
希望的観測も含まれているかもしれないが、ひとまず桜は胸をなで下ろした。
一通り疑問が解消され心を落ち着かせることができたので、そのまま鵬燕と一緒にゆっくり部屋を出て夕食に向かうことにした。
そして芙蓉が準備を始めた時、
今までの2人の会話に耳を澄ませていた人影――伏龍も、口の中だけで「ふうん」と小さく漏らして廊下を離れた。




