10 劉備の立ち位置
「話って、桜ちゃんが明日からどうするかってこと?」
「そうです」
「そうだよね~、女官さんが起き上がってるの見たらビックリしちゃうよね」
「女官さん、毎日来られるんですか?」
「食事を運びに来る時には寝ているとごまかせますが、身を清めに来る時には気付きます」
「たしかに…」
寝たきりだったのなら、身体を拭き洗ったりしてくれるはず。
恥ずかしくてそんなの、耐えれない。
そして普通にお風呂に入りたい。
「“芙蓉”のまま過ごすか、“桜”として過ごすのか、決めたのか?」
「…打算的ですけど…、今“芙蓉”の立場は捨てれないなって思ってたんです」
桜はどう思われるかヒヤヒヤしながら言ったのだが、
「うん、俺もそう思うよ」
劉備は軽蔑するでもなく、深く頷いてくれた。
桜はホッとして、ひとりで考えていた事を相談してみようと思った。
「あの…、私、この世界に来るきっかけになった“首飾り”とか、芙蓉姫の心残りを一刻も早く探し出したくて…。
でも、寝たきりの人が急に動き回ったら不審がられるかもって思ってて…
それで、あの…もし良ければ…」
「あぁ、なるほど」
「あ~…それは、…どうかなぁ~」
劉備達が新野に帰るとき、一緒に連れていってほしい。
そんな、桜が言わんとした事が伝わったんだろう。
伏龍と劉備は悟った瞬間に、少し気まずそうな顔になった。
「あ…」
劉備だったら迎え入れてくれるんじゃないか、そう思っていただけにショックが隠しきれない。
「あ、違う違う。困るとか迷惑とかそういうんじゃないよ。俺達の問題っていうか…。
俺に任せろ!みたいな格好いい事言えたらいいんだけどね~…」
気まずそうな顔のまま、劉備はそう苦笑する。
劉備の若干情けない台詞に、伏龍は深く頷いて続けた。
「俺らの立場、すげえ微妙なんだよ。新野に連れてくのは逆に危なくてな」
「えっと…?」
んー…と劉備は逡巡するように伏龍を見て、頷いた伏龍を見てから口を開いた。
「各地で勢力争いしてるってのは龍ちゃんから聞いたかな。」
「なんとなく…」
「今、この漢帝国にはいくつもの勢力があるんだけど…
劉表様や俺達は、曹操と対立しててね。
その曹操が、ここに攻めてくるかもしれないんだよね」
「えっ…」
過去に内乱があったというのも、劉表の上司である袁紹と曹操が対立しているのも聞いてはいたが、リアルタイムに戦争しているレベルだという認識にまでは至っていなかった。
しかも、ここに攻めてくる?
「荊州ってすごく大きな州でね、色々な要所に面しているんだ。だから中原制覇を目指す者にとっては、無視できない場所でね」
「はい、伺いました。」
(東京と大阪を行き来する際の通り道だから、安心して通れるように東海も平定しておきたいみたいな感じよね?)
「うん。あ、ちなみにね。
最初にザックリ“荊州”って言ったんだけど。
荊州はいくつかの郡に分かれてて、ここは荊州南郡にある襄陽っていう所だよ。新野は荊州の南陽郡にあるよ。」
(つまり、漢っていう国に、荊州っていう県があって…。南郡とか、南陽郡とか“市”があって、その中に襄陽“区”、新野“区”がある…みたいなイメージかな…)
「荊州内でも、袁紹じゃなくて曹操につきたい人もいて一枚岩じゃなくてね。まあ今は、劉表様が何とか戦にならないよう抑えてるんだけど…。
常に曹操から圧力を受けてるはずだし、正直いつ襄陽や新野に攻めてこらてもおかしくないんだよ」
「その…、…攻めてこられて……勝ち目は?」
何となく聞きづらい。
今までの劉備や伏龍の言動から、何となく答えが分かっていたから。
「ぜんっっぜん、ないね!お手上げだよ~!!」
劉備は降参!というように両手をあげて天井を仰ぎ見た。
「それでもね、お願いしまくって龍ちゃんが軍師になってくれたから…俺たちは、何とか乗り切るつもりではあるよ。
でも俺らは何とかなるけど、桜ちゃんを連れて、守れるかどうかは分からなくてね~」
劉備は困ったように眉を下げながら、またごめんねと謝ってくれた。
こちらはダメ元で甘えている立場なので、逆に申し訳なくなる。
「俺ら、残念ながら10人にも満たない烏合の衆だからな」
「じ、10人…?!」
「ああ、劉表様に借り受けてる新野城の兵達はいるよ?でも、劉表様と俺たちの意見が異なった時、俺たちだけ離脱するとすると…
俺、龍ちゃん、雲長、益徳、子龍…それから…、」
劉備が武将の名前を言いながら指を折っていくが、確かに言葉の通り結局両手で足りてしまったようだった。
「その点、劉表軍は数も多いし。
仮に負けたとしても、劉表様は確かな血筋だから問答無用に全員戦で殺されちゃう…って事にはならないだろうし」
あまりにもサラッと恐ろしい言葉が出てくる。
それが彼らにとって、日常的な言葉なのだと解ってしまって身体が強張った。
「あの…、どうしても、…その…」
平和な現代日本で生まれ育った桜には、戦争という手段は受け入れがたい。
日本でも過去、戦国時代や幕末をはじめ、内戦が繰り返された。その結果、今があるということは理解している。
ただ大敗して以降、日本は対話による解決に尽力してきた。
殺し合いではなく、話し合いで解決はできないのだろうか。
「劉表様は“ある”かもね。
でも、俺は“ない”んだ」
「──…」
劉備は今までの春の日差しのような穏やかな雰囲気から一変、ピリッと張りつめた空気をまとっていた。
桜が今まで接してきたそのどれとも違う、真剣な目。
あまりにも真剣で、目が離せないくらい。
あまりにも真っ直ぐで、胸が苦しくなるくらい。
(ああ、もうこの人は決めてしまっているんだ)
確証もないのに、そう感じとれてしまった。
「…、劉表さんは“ある”んですか?」
「劉表様は守る物が多いからね。
大切な南郡の民や、大切な部下、その家族がある。守らなくちゃいけない。
でも俺は…、
曹操に降るわけにはいかないんだ」
最後の言葉は空気を和らげようとしたのだろうか、桜にへらっと笑顔を向けながらのものだった。
「普段こんなんのクセに融通きかねーからな、大将は」
伏龍はそんな風にため息と悪態をつきながらも、その言葉に険はない。
劉備が笑い、それを受けて伏龍が軽口をたたいたおかげで、その場の空気はまた和らいだ。
「曹操に降るとかではなく…
話し合って休戦協定なり同盟なりを結ぶとか、そういう方向も難しいんですか?」
「可能性は限りなくゼロに近いな。
まず、曹操の兵力は圧倒的だ。吹けば飛ぶ俺らは勿論だが、劉表様だとしても兵力に差がありすぎる。
あと一番重要なのは、あっちは漢帝国軍ってことだ」
「え?」
(じゃあ劉表さんや劉備さんたちって…反乱軍…?)
桜の視線を受けて、劉備は苦笑する。
「国を治めている一番偉い人は帝なんだけど…
帝が幼かったりする間、帝を支える“丞相”っていう役職があるんだ。
曹操は今、その役職についてるんだよ。
帝の代行者…みたいな感じかな」
「摂関政治ね」
「え?」
「あ、いや…なんでもない」
日本にもそういう時代は多々あった。
一番代表的なのが藤原家による“摂関政治“。
天皇を補佐する“摂政”や“関白”という役職の人間が、天皇をお飾りにして実権を握るというもの。
それ以降の時代においても、織田信長が足利義昭を擁護したのだってそうだし、なんなら征夷大将軍…徳川家だってそんなものだ。
「曹操は丞相の地位について、強引に物事を進めてんだ。董卓なんかよりは数倍マシだけどな」
「…それ、仕組みがそもそもおかしいんじゃ…。議会制にして、丞相の暴走を止められるような役職をおくとかしたほうがいいんじゃ」
「…議会制っつうのは?」
「あ、えっと…
偉い人を数人置いて話し合うんです。
最終決定権をもっているのは帝で、帝含めてみんなで意見を出し合って、決議をとるっていうやり方です」
「へえ~桜ちゃんって女の子なのにすごいな。」
「故郷で学士してたらしいっすよ」
「その若さで!?頭いいと思ってたんだよ~!」
突如褒められて、反応に困る。
整った顔で満面の笑みを浮かべて、頭を撫でないでいただきたい。
(うっかりときめいちゃうでしょ…!)
桜は酸っぱいキウイを口に入れて無理やり邪念を払った。
「そういうの、ちゃんとあるんだ。
…いや“あった”だな。
三公っていってな。その三家のうちの一つは、袁紹の家系が代々担っていた。」
(御三家だ…。
てゆうか袁紹さん、まじでお貴族様じゃん。皇族レベルだったとは…
え、一時とはいえ、そんなヒエラルキートップクラスの人に保護されてたって…芙蓉姫もかなり良いとこのお嬢様なのでは?)
今更ながら身体がふるえてくる。
お嬢様に必要な教養ゼロだけど、本当に芙蓉姫のフリして劉表様に会っても大丈夫だろうか…
「あとは…まあ宦官もか。実際の実務を担ってて内政を執り行ったりするから、議会に参加してたし。」
桜が一人おののいている隣で、伏龍が話を続けていて、劉備が頷いていた。
「でも、曹操はね。その三公を廃しちゃってね…。
もう、やりたい放題なんだよ!」
「そうなんですか…」
話し合いとか、そういう次元ではもうなくなってしまっているのだろうか。
それでも…
桜が劉備を見つめると、劉備はひどく優しく苦笑した。
「戦いなんて、怖いよね。
ごめんね、物騒な話して」
「そうじゃなくて…、
…そういうことじゃなくて…」
なんだか、うまく言葉にできない。
「…劉備さん達が…傷ついてほしくないです…」
今日会ったばかりだ。
どんな人か、まだよく知らない。
それでも…、劉備や伏龍が戦で怪我を負うのは絶対に嫌だと思った。
劉備と伏龍は桜の言葉に少し目を丸めたあと、今日見た中で一番優しい顔で微笑んだ。
慈しむような、心を深く包み込むような柔らかな笑顔で微笑んで、劉備はまた桜の頭をゆっくり撫でた。
「ありがとう」
そのあと、
劉備達は劉表たちへの面会を願い出てくれる事を約束して別れた。
ひとまず桜はお風呂に入らせてもらってその日は眠ることにした。
ちなみに…
この時代でも入浴の習慣はあるらしい。
手間なので数日おきに入る人が多いらしいが、多数の勤務者がいる城という特性上、毎日お湯を沸かすらしいので遠慮なく入らせてもらうことにした。
急なことで手伝いの女官がいないということだったが、むしろそれはありがたかった。
幸運にも着物や浴衣と似たような服だったので着替えは一人で何とかなったし、知らない人に身支度をしてもらうのはやはり慣れない。
この時代にはパンツがなく身につけていなかった事に気付いた瞬間いたたまれなくなったが、女官がいて解決する問題でもない。
(パンツは近いうちに自作しようと心に誓った)
ゆったりと温かなお湯に包まれると、一気に緊張や気持ちが緩む。
(本当に大変な1日だった…
博物館に行ったと思ったら気を失って、
目が覚めたら別世界の人になってて。
しかもその人が激動の時代で
すごく複雑な過去を持ってて…。
なんで私を喚んだのかもわかんないし…)
緊張が緩んだからだろう、現代日本や友達、家族の顔が浮かんで、どうしようもなく泣けてくる。
でも、ひとしきり涙をこぼしきったら、この時代にきてからの事も頭に浮かんでくる。
(…私は、ラッキーだと思う)
優しく受け入れてくれた劉備や、理解しようとしてくれる伏龍、守ってくれる鵬燕がいて。
(きっと、大丈夫。
なんとかなるわ)
桜はそう小さく呟いて、ゆっくりと目を閉じた。
続




