8 芙蓉姫の境遇
伏龍は「メシ食ってねえだろ?」と言って、書斎のような所に桜を通してくれた。
聞くと、伏龍が執務室として借りている部屋だそうだ。
「前言ったの覚えてるか?
お前…いや、芙蓉姫は有名な美姫だって話」
「“お前”のままで良くないですか」
「いや、お前はなぁ…顔は芙蓉姫でも言動が奇怪だからなぁ…」
「ヒドッ」
伏龍がご飯を食べながら話すので、桜もご飯を食べながら話した。
おかげでかなり話し方が砕けた気がする。
同じ釜の飯を食うっていうのはこういうことかと頭の片隅で思う。
「それで、美姫だからどうしたんですか?」
「美姫は政治的に利用されやすいから、色々あるって事だよ」
「あぁ…」
色々ある美姫といえば、織田信長の妹のお市なんかが浮かぶ。立場のある武将の妹だからって嫁に行ったけど旦那を兄に殺されて、娘は色んな武将に嫁にやって、自分は兄の部下と再婚して…
だが聞いている感じ、芙蓉姫はもっと複雑そうな気がした。
「鵬燕が衛茲殿の名前も出してたし、言っとくか…」
そう言って伏龍は、自分が知っている限りの芙蓉姫のことを教えてくれた。
芙蓉姫は鴻家の三女の生まれだと説明したと思うが、実際は物心つく頃に“衛茲”という武将に養子に出されたんだ。
両家は親しかったし、娘だから跡取りも関係ない。
政治的目的というよりは長年子が出来なかった衛茲の妻のためだったらしい。
芙蓉姫の義理の父である衛茲は、人柄も頭よくて周りに人が集まる方だったそうでな。
衛茲は立場上は“張邈”という男の部下だったんだが、その張邈が衛茲を師匠と呼んで慕ってて、よく屋敷に入り浸ってたそうだ。
で、その張邈っていうヤツが、曹操や袁紹と学友でな。張邈が衛茲を紹介して、曹操にとっても師匠みたいな存在だったらしい。
それで、芙蓉姫とも顔馴染みになった。
(松下村塾に集まる若者たち…って感じかしら)
桜は自分言語に変換しながら理解していく。
お気に入りの塾の先生がいて、友達誘って一緒に塾通いしてたら、塾の先生の娘さんとも知り合ったよ…って感じだろう。
「衛茲は曹操を高く評価してたらしく、それで芙蓉と結婚を…って話になったらしいな。
まあ、家名が高い張邈や袁紹にはすでに親に決められた相手がいただけかもしれねぇが…。」
「みんなわりといい家の人なの?」
「ああ、曹操含めて皆お坊ちゃんだよ。
中でも一番家格が高いのが袁紹だな。袁家はずっと帝を支えてきた一族だ。」
「それはすごい…」
とんでもない貴族様だということがわかった。
おそらくお坊ちゃま学校のクラスメイトなんだろう。
「ちょっと話は逸れるが」
そう前置いて、伏龍は再び話始め、いわゆる“世情”の話をしてくれた。
当時、董卓という将軍が、幼い帝の後見人に収まって権力をほしいままにしていたらしい。
その董卓という人は自己中心的な人で、略奪をしたり虐殺をしたりととにかく酷かったらしく、
このままでは国が滅びる!と、董卓を倒すために連合軍ができた。
その“反董卓連合”のリーダーは“帝を支える立派な一族”である袁紹が任されたそうで、曹操や張邈、衛茲も反董卓連合軍として参加した。
けれど戦の方針が違うなど様々な理由から、袁紹、張邈、曹操の関係は少しずつ変化してしまう。
董卓が倒された時には、衛茲と張邈は戦死していて、袁紹と曹操は対立関係になっていたそうだ。
義父である衛茲や兄代わりの張邈が死んでしまい、守ってくれる人がいなかった芙蓉姫をいち早く“保護”したのが袁紹だった。
曹操の許嫁である芙蓉姫を手元に置いておけば、曹操に対しての人質にできるからだ。
また、あわよくば側室にしようとしていたのかもしれない。
けれどしばらくして、曹操と芙蓉姫は婚約を破棄した。
理由や事情は謎に包まれており、当事者の二人にしか分からないらしい。
一般的に言われている理由は、身体が弱く衛茲が死んだことで家格が落ちた芙蓉姫は正妻になるには不十分だったから…というものらしい。
「鵬燕は理由知ってたりすんのか?」
干し肉を噛みながら伏龍は桜の後ろに控えていた鵬燕を見たが、鵬燕は黙って首を振っただけだった。
伏龍は気にした様子でもなく話を続ける。
──人質としての利用価値はなくなっても、美姫としての価値はある。
おそらく、劉表に圧力をかけるために芙蓉姫を使えないかと思ったんだろうな。
ここ荊州は中原制覇を目指す際に要となる重要な土地だ。
(中原制覇はいわゆる天下統一、国を支配するみたいな意味合いらしい)
袁紹にとって、劉表様は必ず自分側につなぎ止めておきたい大事な部下だ。
荊州南郡を治めているだけではなく、身分がしっかりしていて人柄もよく、他の将軍からも信頼されている影響力の高い方だからな。
そんなわけで、恩を売る感覚で劉表様に芙蓉姫を下賜したんだろう。
劉表様はおそらく迷ったはずだ。
劉表様は袁紹の部下だが、曹操や他の武将のことも評価していて、出来るだけ中立を保ち、自領に火の粉が飛んでこないようにしたいという方針を通している。
自分の妻にしたら袁紹の味方であるという見られ方が強くなり、いざという時に動きづらくなる。
ご子息の妻にするという手もあるが、実は2人いるご子息のどちらが跡継ぎになるのかが決まっていなくてな。長子の劉琦様は身体が弱く、劉琮様はまだ幼い。
下手に芙蓉姫をどちらかに与えると火に油を注ぐことになりかねない。
「それで、劉備さんに白羽の矢が立ったと」
「ま、そういうこった。
仕事くれって泣きついてきた大将に、“じゃあ新野城あげるから芙蓉姫ひきとって”って感じだったんじゃねぇの?」
「はぁー…なるほど…」
壮絶だ。
壮絶すぎる。
育ての父親や幼い頃から兄のように慕っていた人は死に、
幼い頃からの許嫁は行き違いで別れて、
幼なじみに散々振り回されて、
縁もない土地に来て、
顔も知らない相手といつの間にか婚約していた。
「かわいそう…」
(そりゃあ疲れ果てるわな…、楽になりたかったってのも分からんでもない)
「そうかもな。
でも芙蓉姫がどう扱われて、どう思ってたかは俺らには分かりっこねえよ。
鵬燕ですら分かんねえんだしよ」
相変わらず干し肉と格闘しながら、伏龍は漏らした。
「…というと?」
「袁紹とすげえ仲良くて、保護されてる間楽しく過ごしてたかもしんねえだろ?そもそも自分が人質とは認識してなかったかもしれねえ。
曹操と婚約破棄になったのだって、曹操の事を何とも思ってなかったんなら、むしろ自由になれるわけだ。
それに劉表様は温かい方だ。こんな立派な離れをわざわざ芙蓉姫に与えてくれてるんだから、大切にはされてるだろ?辛い記憶しかない故郷を離れられて、息抜きできてたかもしれない。
大将は普段新野にいて、別に会わなくたってよかったしな。
大将は見目だけはやたらいいから、もしかしたら大将のこと好みだったかもしんねえし」
「たしかに、そうですね…」
結局、本人にしか分からないってことだ。
タイプの劉備さんと結婚式したかったのに後一歩で力尽きてしまった…っていう心残りだった可能性もあるし、
袁紹とまた穏やかにお茶したいって思ってたかもしれない。
「そういえば鵬燕はいつから芙蓉姫に付いてんだ?」
「衛茲様が亡くなられた後、袁紹様に保護される前です」
「ほ~なるほど。やっぱ曹操も芙蓉姫のこと心配だったのかもな」
「ん?どういう事ですか?」
「鵬燕は元々は曹操の部下だろ」
「はい。芙蓉姫の側にいるのは曹操様の命令です」
「えっ…」
それは初耳だ。
そして“命令”という響きに何故かガツンと頭を殴られた気がした。
しかし、伏龍の言葉が意識を反らしてくれる。
「衛茲殿が亡くなられて一人になった婚約者を少しでも守ってやりたかったんじゃねえの?」
「そっかぁ…」
そう聞くと、なんだか曹操と芙蓉姫が“運命に引き離された愛し合う二人”のようにも思えてこないか?
(せつない…)
桜は芙蓉姫の壮絶な人生を聞いて、しばし芙蓉姫の境遇に思いを馳せた。




