第5話 異世界に召喚された少年の人生はここから変わる
シエルさんの可愛さにしばらく悶えた僕は、ようやく冷静さを取り戻した。
呑気に女の子のことを考えている場合じゃない。問題は山積みだ。
まず、この世界についての知識が圧倒的に足りない。
この街に向かう道すがら、シエルさんとリドエラに色々教えてもらったが、それも触り程度のことだ。
召喚者とはなんなのか、元の世界に帰れるのか。
異世界に召喚されるなんて突拍子もなさすぎて、どうしたらいいかわからない。
この世界には魔法が存在するらしい。
自分が召喚されたのも、魔法のせいなんだろうか。
じゃあ、誰がなんのために?
シエルさんは、僕を助けてくれると言ってくれた。
明日、またこの世界について聞いてみようかな……。
考えれば考えるほど問題は出てくるが、取り急ぎどうにかしなければいけない問題が一つ。
眠く、ない。
外の暗さを見る限り、今は夜なんだろう。
しかし、自分がこの世界に召喚されたのは学校へ部活をしに行く道すがら。
日本時間でいうと朝の8時すぎ。
大魔王の攻撃で倒れていた時間を考慮しても、せいぜい今は日本時間で昼の0時くらい。
シエルさんにおやすみなさいとは言ったものの、まだまだ眠くなる時間ではなかった。
……すこし、外の空気に当たろうかな。
そう思い立ち、宿の外に出た。
とはいえこの街の構造もよくわからないので、あまり遠くへは行けないが。
街の様子をぼーっと見ながら歩く。
この街の建物は石やレンガで出来ていて、日本とは違う雰囲気を醸し出していた。
まるで海外にきたようで、少し楽しくなる。
たまに連れ立った人々とすれ違うが、どの人も楽しそうな表情して話に花が咲いている。
大魔王が討伐されたという情報がもう出回っているのだろうか。
そんなことを考えながら街を散歩していく。
明かりが消えている建物も多いが、中にはまだ明かりがついている建物もある。
明かりがついている建物の看板を見ると、“大衆酒場”と書いてあった。
中からは大きな笑い声や、店員と思われる気前のいい声が響いている。
自分はまだ酒を飲める年齢ではないが、酒って美味しいのだろうか。よくわからない。
明かりが消えている建物の中には、“武具屋”や“魔具屋”という看板を掲げているものもあった。
日本には存在しない店を見ると、ここが違う世界なんだということを改めて自覚する。
魔具屋とは、何を売っている店なんだろうか。明日シエルさんに聞いてみよう。
そうしてひとしきり歩くと、どこかから声が聞こえた。
左手の細い路地をのぞき込むと、1人の女性と、女性を取り囲むように立つ2人の男性が見えた。
「ねえ、俺らと一緒に遊ぼうよ。ウチ結構高い良い酒も置いてあるし、いいだろ?」
「いや、あの……結構ですので……」
「なぁーちょっとだけ遊ぶだけじゃん、なあ!?」
――ドクン
心臓がはねた気がした。
これ、ナンパだ。
それも、結構強引な。
どうしよう、自分だけじゃどうしようもできない。
人を呼ぶ?それとも……
……殺してしまおうか?
「え……?」
不意に湧き出た自分の中の黒い感情に、思わず驚きの声が上がる。
殺す?僕が?
当然と言っていいかわからないが、自分も友達との悪ふざけで「お前殺すぞー」なんて冗談を言ったことはあった。
しかし、今の感情は、もっと現実的で、リアルな重みを持っていた。
冗談なんかではない、本当に殺そうかどうかを真剣に考えるような……。
「あ……?なんだお前。」
自分の、思わず出た声に2人の男が気付く。
まずい。
どうしたらいいかわからなくなり、その場で固まってしまう。
「お前何見てんの?ちょっとこっち来いよ。」
男のうち1人がこちらに近づき、腕をつかんでくる。
細い路地に引きずりこまれそうになり、そこで初めて抵抗するも、もう遅かった。
力でかなうわけもなく、ずるずると路地に引きずりこまれる。
「や、やめろ……!離せ!」
「暴れてんじゃねえよガキが」
ゴッ
鈍い音が頭蓋骨を伝い、頭の中で反響する。
体から力が抜け、その場に倒れこむ。
殴られた。
痛い。
視界が歪む。
耳鳴りがする。
混濁する意識の中で、この身に起きた事実を反芻することしかできない。
「ほらー、君があんまり強情だから、この子倒れちゃったじゃん。」
「ね、やっぱウチ来てさ、一回落ち着かない?」
「いやっ……いやぁ……!」
「なあ、君もこの子みたいになりたくないだろ?俺らの言うこと聞いた方がいいと思うけどなー?」
男の声。
もうナンパなんて生易しいものじゃなく、女性を脅迫し、歪んだ欲求を満たそうとしている。
こんなことが許されていいのか。
何も悪いことはしていないのに、弱いというだけで強者に理不尽を押し付けられる。
弱いというだけで食い物にされる。
こんなこと、許されない。許してはいけない。
――ドクン
心臓がはねる。
はねた心臓の奥底から、力が満ちてくる。
横たわる自分の手に、足に、その力を流し込む。
震える手足を無理矢理動かし、鈍い動きながらも、立ち上がった。
「お?このガキ、まだ立てるんだ。」
「小鹿みてーにブルブルしてっけどな。かわいそー。」
「ギャハハハ、お前が殴ったんだろうがよ。」
――ドクン
心臓がはねるたび、体に力が満ちる。
――ドクン
力は体を満ちて、なおも溢れてくる。
「かわいそーに。今お兄ちゃんが楽にしてあげまちゅからねー。」
男がニタニタしながら、再び近付く。
握られた拳は、今にも暴力のために振るわれるだろう。
――ドクン
――ドクン
――ドクン
幾度となく鼓動するたび、心臓から力が流れ出してくる。
もはや制御できない力の奔流に身を任せ、手を振りかざし、叫んだ。
「あ、あ、ああああああああああああああああああああ!!!」
溢れ出てくる力が、形を持つ。
暗い夜に、黒く光る閃光となって、音もなく男の胸を貫いた。
男はゆっくりと、まるで操り人形の糸を全て切ったかのように、力なくその場に倒れ伏した。
「お前、それ、まさか、魔者……」
「うああああああああああああああああああああああ!!!」
力の奔流は、まだ止まらない。
慌てふためくもう1人の男の方を向き、手を振りかざす。
するとまた、力は黒い閃光となり、男を貫いた。
男は、先ほどと同じように、その場に倒れこむ。
「あ……ぼく、は……」
溢れ出た力を出し切り、冷静さを取り戻す。
2人の男は、こときれたように動かない。
男に絡まれていた女性を見ると、目が合った。
途端、女性の顔は恐怖に歪み、叫び出す。
「きゃあああああああああ!!助けて!!魔者が出た!!誰かあああ!!!」
ああ、まずい。
このままでは、まずい。
まずい。まずい。まずい!
なにが起きたかわからない。
わからないが、自分がなにかとんでもないことをしでかしたことはわかる。
ぼくは慌てて踵を返し、その場から逃げ出した。