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壁にかけられた気掛かり

お買い物というものはなんとすてきで楽しく、そしてなんと疲れるのでしょう。


服を買いました。


靴を買いました。


ふらりと立ち寄ったお店で可愛らしい置物を買い、お昼にはパンそのものも美味しいサンドイッチを食べ、おやつの時間にはチーズの香りが奥深いタルトを紅茶と一緒に味わったりもしたのです。


とにかく、何もかもを楽しくすごせました。


ルーシュにとって、すべてが初めてのことです。


きらきらと楽しい時間を喜ぶルーシュを見て、ティオールもにこにこすごし、時には声を合わせて二人で笑ったりもしました。


そうしてすっかり疲れてしまったルーシュは帰りの馬車の中でいつの間にか眠ってしまっていたらしく、自分にあてがわれた部屋のベッドで目を覚まして気が付いたのでした。


目を覚ましてからいっときの間、ルーシュはなぜ自分がベッドにいるのかがわかりませんでした。


ぼんやりとした頭で今日の出来事をじゅんぐりに思い返し、誰かに抱えてもらってベッドに横たわった記憶がなんとなくかすかに浮かび上がりました。


おそらくティオールが抱えてくれていたのでしょう。


ああ、そうだったなと納得のいったルーシュは、では今がいったいどのくらいの時間なのかを知りたいと思いました。


ベッドから降りながら周囲を確認しましたが、窓の外にはまだ明るさがあります。


そんなに遅い時間ではなさそうです。


窓辺のバラのつぼみは朝食後に水を替えたそのままで、一輪挿しにおとなしくしています。


ふと思い出しました。


朝食の後、ルーシュはしばらく屋敷の中を歩いてまわりましたが、いったいいくつの部屋があったのでしょう。


目的のある部屋などはリディが簡単に説明してくれました。


どうやら使われていない様子の部屋が多く、調度品はきちんとしつらえてあるのに、なんとなくがらんとした寂しい空気をたたえるばかりの部屋もありました。


一つだけ、壁にルーシュの背丈よりもずいぶんと大きな額がかけられている部屋がありました。


その額には重い緞帳がおりており、何が飾られているのかわからないようになっていました。


額縁の下部分は緞帳に収まっておらず、真鍮製でしょうか。


鈍くくすんだ金のような色合いの額には、たいへんにこった意匠の彫模様が見てとれます。


ルーシュが緞帳のむこうに興味をもって近付こうとしたことに気付いたリディが、『こちらは旦那様にお許しをいただいてからの方がよろしいかと存じます』と、少し考えながらルーシュをとどめました。


緞帳で隠された額の中は、ティオールにとって大事なものなのでしょう。


名残惜しげに視線をむけながら身体をそらし、そのうちティオールにお願いして見せてもらおうと考えながら、ルーシュは額の部屋をあとにしたのでした。


昼間はお買い物が楽しくて、そしてなにより人間の世界の風景が珍しくて、あの額のことをきくのを忘れていました。


晩餐の時にでもきいてみようと、ルーシュはあらためて考えました。


そうと決めたら、ルーシュはベッドサイドにあるナイトテーブルの上に置いておいた本、『姫君の物語』を手にとり、晩餐の時間まで読んでみることにしました。



『ルーシュさま。



姫君の物語はルーシュが一人で読むには難しく、それでもせめてと朝ティオールが読んでくれていたところを思い出しながら四苦八苦しつつ読んでいたところに、様子をみにきたリディが声をかけました。



『そろそろ晩餐のお時間にございます。



『わかったわ。

ありがとう。



今夜の晩餐もとても美味しいものでした。


デザートのシャーベットは、昨日の果物らしい風味のジェラートとは違ってミルクの味わいが濃く、それでいて後味がさっぱりとした食後にぴったりのものです。


ルーシュはやっぱりデザートのおかわりをしたのでした。


さて、せっかくティオールと食後をすごしているのです。


午前中に見掛けた緞帳に隠れた額のことをきいてみることにしました。



『―――ああ……。



ティオールの表情からいつものにこにこ顔が消え、感情を消したかのような雰囲気がただよいました。


どうしたのでしょう。


ほんの少し思い詰めたように押し黙った間がありましたが、



『―――……あの絵、見てみるかい……?



見てみたいとは思います。


ただ、ティオールの口調から、なにかしらとても大事なものが隠されているような気がしてきました。



『……いいの?



ルーシュはおずおずときき返しました。



『そうだね、少し……


『ルーシュを驚かせるかもしれない。



ティオールは一瞬緊張したかのような面持ちを見せました。


ですがふと肩から荷でもおろすように、息をはきながらかすかな笑みをもらし、続けて意を決したとでもいった勢いで椅子から立ち上がりました。



『おいで。

見せてあげるよ。



ルーシュは少し先を踏みしめるように歩いていくティオールの後ろをとことことついていきました。


どきどきします。


ティオールにとっての大事な秘密をみせてもらえるようなのですから。


さあ、例の額の部屋の前まできました。


ティオールはルーシュにふりむくことないまま扉の持ち手に手をかけて動きをとめました。





扉にひたいがつきそうなほど近付いてなにかを小さく呟いたようです。


誰だか、女の人の名前のような気がします。


扉が開きました。


部屋の中は暗く、静かです。


ティオールは中に進むと、黙って燭台に明かりをともしていきます。


明かりを受けて、額の隠された緞帳が浮かび上がりました。


ティオールが緞帳のむこう側にいる誰かに視線をむけるように、ぐっと首を上げました。


ルーシュはずっと黙ったまま、ティオールのやることをみつめています。


ティオールはルーシュに背中をむけていますが、視線は少しうつむいたようです。



『ユリシアっていうんだ。

ぼくの……妻なんだ。



緞帳のすみに垂れ下がる紐をゆっくりひいていくと緞帳のひだが片側に寄せられ、そのむこうに描かれたものがあらわになっていきました。


きれいな女の人です。


両の手を身体の前で重ね、正面より少しだけ斜めにむいてすらりと立つ女の人のドレスは、胸元の白から裾へかけて薄桃色のグラデーションが見事ですてきです。


明るい栗色の髪をゆるくまとめて結い上げてあります。


灰色がかった緑の瞳の眼差しはあたたかく、つややかな紅梅の唇はほのかな笑みをうかべています。


ひととき、ルーシュとティオールの二人はユリシアをみつめ続けました。


このユリシアという女の人がとても美しいのはよくわかります。


けれどもティオールがこの絵を見てルーシュが驚くかもしれないと言った意味はわかりません。


どういうことでしょう。



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