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『天使は人間を導くがために、迷わぬ心を強く惹きよせる。



王様は天使の足元から全身に視線を這わせました。


天使は身じろぎもせず、王様の値踏みとも感じられる目の動きを受け止め、ついにはその瞳と瞳とがぶつかり合いました。


王様の瞳はどんな光をものみこむ漆黒の闇をたたえています。


一つに束ねた長くて黒い髪は右肩からながれおち、王様の黒い外套の胸元まで蛇のようにぬめつく艶をみせていました。



『我々は人間を堕落に誘うために、迷う心を著しく惹きつける。



天使は王様と互いに視線をとどめたまま、つむがれる言葉を黙って聞いていました。


王様は片頬をあげるようににやりとした笑顔の形をとりました。



『お前は力ある天使のようだ。



『あなたの前に立とうというのです。

下位のものではかなわないでしょう。


『今もそうです。

なにを試したのかは知りませんが、あなたの声には抑圧の魔力がのせられている。

わたしがその程度で屈服するとでも思ったのですか。



天使は苛立ちを吐き出しました。


嫌悪のため、表情はさらに険しいものとなっています。



『この程度で屈従するようでは役にはたたぬ。



言うやいなや、王様は右手を振り上げるように天使にむけて突きだし、広げた掌をぐいとばかりこぶしに握り込みました。


天使の身体は周囲の空気に圧迫されるような重圧を受けました。


王様の力です。


天使はとっさに膝を曲げることで衝撃を和らげ、額正面で両腕を交差させて身を守りました。


ひとまずはしのぐことができましたが、王様はじわりじわりと天使をおさえつける力を強めているようです。


ともすれば押し潰されてしまいそうなほど、耐え難い圧力になってきました。


王様の魔力から逃れるために考えをめぐらせました。


天使には自らの魔力を武器の形に具現化する能力があります。


けれどもほんの数歩の距離ですが、魔力の剣で斬りかかったところで王様の圧力を受けたままでは思うように動けず、おそらく返り討ちにあうでしょう。


だからと、例え弓矢をだして放ったとして、王様が腕に抱える赤ん坊にあたってしまわないとは限りません。


天使はこのままではリリアを奪いかえすどころか、王様から逃げることもままならないと、なにか反撃の糸口になるものを求めました。


王様は天使を見下すように口元に嘲笑の笑みを浮かべたまま、拘束の魔力をさらに強めてきています。


突如、リリアの手がびくりとひらいて悲鳴のような呼吸を一息吐き出し、火がついたように泣きわめき始めました。


同時に、天使は自分の身をとりまく魔力がやわらいだのを感じました。


天使は赤ん坊が悲鳴をあげた瞬間に王様の視線がそれて抑圧が軽くなった隙を逃しませんでした。


右足から踏み込んで身をのりだすと、魔力を細身の長剣に現し、リリアを支えている王様の左手にきりつけました。


ひるんだ王様の手から赤ん坊を奪い、そのまま空へと飛びたちます。


天使の背には白くて大きな翼が現れていました。


勢いのまま天使はリリアを連れて自らの世界に戻るつもりでしたが、ここで地面へと引きずりおろすような恐ろしいまでの力が足先から這い上がってくるのを感じました。


やはり王様は簡単には逃してくれないようです。


絡めとるかのように這い上がる魔力は、赤黒いバラのつるのようでした。


つるは王様の左手からはなたれています。


いいえ、よく見てみると、バラのつるのようなものは王様の左手から流れ出た血液でした。


先程天使が剣で斬りつけた傷口から流れた血が、王様の魔力をまとってバラのトゲをもつつるの姿で天使を絡めているのです。


王様はいよいよもって嗜虐の悦びに浸るかのような冷笑を浮かべていました。



『お前の魂も私のものだ。



つるはつくり出した短剣の刃でいくら斬り払っても、切れたそばから互いに糸をのばすようにして元の通りの姿を取り戻し、天使を絡めとります。


いまや王様の左手から放たれた血のバラのつるは、天使とリリアの二人をくまなくとりまき、ぎしりと強く縛りつけていました。


天使は泣き叫ぶリリアを抱え込んで守りながら、魔力の短剣を、力をこめて王様に投げつけました。


短剣は王様の眉間に届く直前、弾かれるようにして消え去りました。



『お前ごときの力、私からすすんで受け入れねばかすめることもない。



王様は天使が斬りつけた左手をもたげてちらりとみやりました。


傷がついていたはずの左手は、痕すら残さず癒えています。


天使は絶望に捕らわれるのを覚えました。


おそらく王様はわざと天使の剣を受けていたのです。


なんのために。


理由はわかりませんが、王様はリリアと、自分の魂をも必要としているのです。


おもむろに、王様は左手を空中にある血の捕縛檻にむけてゆらりとのばしました。


ゆっくりと掌を上にむけ、小指から順繰りにたたんで閉じてゆきます。


王様の手の動きにあわせて捕縛檻の周囲にバラのつるが爆発的に増えて拡がり、急激に集束しました。


空中には握りこぶしほどの大きさの、ほのかな光を放つ珠が残されました。


それは王様の手元に引き寄せられておさまりました。


細く紋様のように絡まり合う赤黒いバラのつるに包まれた光は、金とも白ともつかないやわらかなきらめきを放ち、中心に抱えた小さな赤い灯火を揺らめかせています。


王様は後ろへ振り返りました。


足下にはリリアの墓碑があります。


珠を持つのと反対の手を、リリアが埋葬されている辺りにかざしました。


どんな力か、土の表面がふつりふつりと泡立ち、地面からぐったりとして青白い肌色をしたリリアの身体が浮かび現れます。


王様はリリアの身体と正面に相対して立ちました。


リリアの身体は、上から糸で吊るされたようにだらりと力なくさらされました。



『受け入れよ。



王様は、手に持っていたつるバラの檻を、リリアの胸元に送り出すように差し出しました。


光の珠をくるみ込んでいたバラのつるの一部がうごめき、生き物の触手のごとくリリアへとのびてゆきます。


つる先はリリアの身体へのみ込まれていきました。


バラのつるがリリアに入り込むごとに、まだまだ細くて柔らかい産毛の頭髪が、淡い栗色から色を濃くしていきます。


髪の毛の一本一本がすべて黒い色にかわりきる頃にはいくつものつる先がリリアを捕らえ、そしてとうとう光の珠と共にみな身体の中に消えていってしまいました。


青白かったはずのリリアの身体に赤みがさしてきました。


生気が宿ったのです。


王様はリリアを腕に抱きかかえました。


やわらかく、あたたかな温もりが小さな寝息をたてています。


王様はくくっとこらえきれないといった笑いをもらしました。



『お前は私の娘だ。

名もあらためよう。


『………ルーシュ。


『そうだ、ルーシュ。

これからは、存分に私を楽しませてくれ。



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