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夕暮れた闇

リリアをなくした屋敷は、重く暗い陰気の淵へと沈みこみました。


あの日リリアの呼吸が戻ることはなく、悲しみにくれる日々が訪れたのです。


とりわけ娘を失った母親の嘆きようは他に例えようもなく、陰鬱な悲嘆の中、自身を責めさいなみ床に臥せることが多くなりました。


呼吸が止まった明確な原因はわかりませんでした。


唐突突然に、リリアは息をひきとったのです。


おりしも街なかではたちの悪い疫病が流行っており、それはとうとう悲しみに臥せる母親をも襲いました。


容態の異変には、まずリディが気付きました。


いつにもましてぐったりと横たわる女主人の身体が異様に熱をもち、弱々しくも荒い呼吸を続け、咳き込む様子もみられます。


食欲がないと食事を断り、口にふくんだ薬湯は喉の痛みからか苦痛の面持ちを浮かべ、無理をしているのがありありとわかるようなさまでした。


数日の間にみるみると弱りはて、自らの力では起き上がることもできなくなってきていました。



『お前の母はもう長くない。



看病の続く部屋の片隅で、闇をまとったような陰がたたずんでいます。


しかし、部屋の誰もそれに気付く者はありません。


力なく臥す女主人と、それを甲斐甲斐しく世話する使用人の二人を見据え、悪魔の王様は腕に抱える赤ん坊にむけて話しかけました。


リリアは王様に、灰色がかった緑色の瞳でまっすぐな視線をむけています。


王様は病魔に苦しむ母親の枕元に静かに歩み寄りました。


ベッドをはさんだ反対側ではリディが女主人の身体を濡らした清潔な布で拭いているところですが、王様とリリアに気付く気配はありません。


リリアが母親にむかって手を伸ばそうと、身をよじります。



『母の元へと戻ろうというのか。



王様は口元に笑みを浮かべました。



『お前はもう戻れぬ。


『………いや、それも面白そうだ。

わかった。

お前が十の歳を重ねた頃、ここへ戻るがよい。


『だがこの言葉、覚えておく必要はない。



王様は捕らわれの腕から逃れたいと泣きじゃくるリリアのひたいに、空いている方の手をひらりとかざしました。


とたんにリリアはことりと眠りに落ちました。



『知らぬまま親の元を訪れるがいい。



王様はくっと僅かに笑いをもらし、病人の部屋から姿を消しました。


一呼吸をおく間もなく、王様とリリアは夕暮れた薄曇りの墓地に身を現しました。


リリアは眠ったままです。


王様はリリアのためにたてられた墓碑の前に立ちました。


埋葬から一月も経っていない、新しいものです。



『その子どもの魂はこちらのものですよ。



王様の背後から声をかけるものがありました。


濃灰色をした格子縞の上質な背広を着た、細面で端正な顔立ちの男の人が王様から四、五歩離れた後方に立ちました。


短く刈られた金髪がつんと立ち上がり、ささやかな主張をみせています。


茶色い縁の眼鏡の奥の切れ長な目が、清い水面のような青色の瞳で王様を険しくにらみつけていました。


王様はゆっくりと振り返りました。


王様の黒い外套がゆらりとふれます。


腕の中で眠るリリアは眉間にしわをよせてはいますが、ボア生地でフードのついた黒い羽織外套にくるまれており暖かそうです。



『魂にきずをつけてはいないようですね。



現れたのは天からの使いでした。


リリアの姿を確認して、一瞬ほっとした様子をみせたのもつかの間、あらためて鋭く王様をねめつけました。



『その子どもをどうしようというのですか。



天使の問いは至極まっとうなものでした。


本来であればリリアはこの天使に導かれて天へと召されるはずだったのです。



『あなたが自ら動くほどのなにが、その子どもにあるというのです。



天使は今話しかけている相手が何者であるか理解していました。


力ずくで奪い返せるような相手ではありません。


いざとなればリリアを諦めるしかないのです。


それでも天使はできればリリアをただしく天に連れていきたいと考えていました。


じきに母親が召されようとしているのです。


絶望にうちひしがれて旅立った母親を、さらにかなしませたくはありませんでした。


天使は知らなかったのです。


悪魔の王様が、こうしてリリアの迎えにくる天使をこそ狙って待っていたのだということを。



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