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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

翁の面

作者: 朧転n

何となく書きました。

 自分が生きている世界が、“現実”が確かなものだと誰が言い切れるのだろう?


 ○


 去年娘から誕生日プレゼントとして貰った目覚まし時計に起こされ、布団の誘惑に抗いつつ体を起こし、顔を洗い髭を剃り、年頃の息子との距離感を図りかねつつ朝食を食べた。

 起床にかかった時間や息子との会話の内容など、多少の差異はあるものの全体の流れは変わらない。

 例えるなら、同じ塗り絵を何回も繰り返すようなものだ。

 色は変わっても輪郭は何も変わらない、その色だってあくまで常識的な範囲内での変化であって、草を緑で塗るか黄緑で塗るか、花を赤で塗るか黄色で塗るか、といったような具合だ。

 草花の色に、間違ってもグレーや黒は使わない。


 特に幸せを感じることもないが不幸でもない、変化は無いが安定していると言える生活。

 その後の通勤も普段通りだ。


 ○

 

 過密状態の電車の中でスマホを弄りニュースを確認。芸能人の浮気やら精神を病んだ会社員の自殺の増加やら、取るに足らないことしか掲載されていなかった。ふと思い付きウチの会社の株価を見る。下がっていた。


 今の自分の地位はあくまでそれなり、間違っても株価の僅かな変動で一喜一憂するような立場ではない。それでも、なんとなく嫌な気持ちになった。

 特に会社には何の感情も抱いていないつもりだったが、十年以上も勤めれば意外と愛着のようなものは湧くようだ。


 ……などというのも、「電車の中での暇潰し」という塗り絵の色付け(カラーリング)の一例に過ぎない。

 別にゲームをやろうが2chを見ようが、大した違いではない。本を読んでも考え事をしていても同じだ。


 ……という考えすら日常の取るに足らない事項の一つとして処理されてしまうのだろう。


 ……などと考えるのも…………やめておこう。

 自らの思考そのものについて考えだしたらキリがない。確か自己言及と言ったか。


 そんなことを考えている内に駅についた。

 人を押しまた押され、改札を通り地上に出る。

 改札を抜ける際、ICカードの読み取りに失敗して後ろの中年に睨まれた。やや不愉快な気分になったが、これも所詮は色が少しはみ出してしまった程度のことでしかないのだ。

 俺の生活という塗り絵全体を見れば、極僅かな失敗、汚点にしかならない。


 日常という塗り絵は今日も綺麗に塗られ続けている。同じ構図の絵を俺は何枚増やすのだろうか。

 それが人生というものなのか。少し虚しくなってきたが、だからと言って会社を休もうなどとは思わない。行くのは当然、そこに俺の意思は存在しない。

 何も考えなくとも体が駅から会社へのルートを覚えている。


 ごく普通に、普段通り出社した。


 ○


 そして昼休みが来た。

 仕事中について特筆すべきものは無い。特に可もなく不可もなく、何か大事件が起こったわけでもない。

 

 昼食は無難に牛丼でも食べようか。結構した当初は愛妻弁当だったものの、いつのまにか外食になっていた。別に夫婦仲は悪くない、と思う。ただ冷めただけだ。

 恋愛結婚だったため、思い返して我ながら恥ずかしくなるほど新婚の時はアツアツだった。

 だが、今や互いに四十越え、まぁ冷めるのも当然だろう。むしろそれで冷めてない夫婦など居るのだろうか。


 考える事は大量にある、どうせ帰宅する頃にはほとんどは忘れてしまうことだが。

 そんなことを思いつつ牛丼チェーン店へと歩を進める途中、それは起こった。


 __薄汚れたビル同士の隙間から、何か猛烈な違和感を感じた。


 ○


 何かが、ある。俺を呼んでいる。あるいは、俺が呼んでいるのか?

 確証は無いがある種の確信を持って、俺はそこに足を運んだ。

 魅入られる。

 まさにその言葉がシックリくるような感覚だった。


 周りの通行人が奇特なものを見る視線を向けてきた。まぁそうだろう、路地裏でいい年こいたおっさんがうごうごしているのだから。


 しかし、外聞など今は関係無かった。ただ、「それ」を探していた。

 

 無い。無い。この辺りにあるはずなのに無い。何故だ? あれは俺に必要なものなのに。俺に足りない物を埋めてくれるはずなのに。俺だけの「絵」のキャンパスになるはずだというのに。


 今までに経験したことのない焦燥感を覚え、半狂乱になりかけたところで、上から「それ」は俺の目の前に落ちてきた。


 ビルの窓から落下してきたのかと反射的に上を見上げると、素早く「それ」を落としたらしき人影は引っ込んでしまった。表情は分からなかったが、なぜか俺に向かって薄く笑ったような気がした。急に冷静になり、ゾッとしたところで「それ」と目があった。


 不気味な、面だった。確か能楽で使う「翁の面」というものだったか。

 ふいに悪寒と興奮が同時に込み上げてくる。


 ____これを取ったら取り返しのつかないことになる。今までの平穏な生活は永遠に失われる。

 ____これを取れば俺の「絵」は俺の、俺だけのものになる。他の奴らとは違う何かに。 


 そしてその興奮は、俺が薄々気が付いていたこと、気づかないふりをしていたことを俺にはっきりと自覚させてしまった。


 俺の塗り絵のタイトルは、「俺の生活」などではない。「どこにでもいる妻子持ちのサラリーマンの生活」だということに。

 俺のための特注品などではない、ただの量産された市販品。

 俺の代わりは、世の中に幾らでも居る。いや、ほとんど変わらないといっていいだろう。違うのは極僅か。草を緑で塗るか黄緑で塗るか、そんな取るに足らない違いのみ____。


 それが引き金となり、俺は「翁の面」を拾い上げ、鞄に入れた。面が笑った気がした。


 ○


 ……期待外れだった。しかし安堵も感じていた。

 その後の昼食、仕事、残業、帰路、そして家についてから。

 一切特別なことは起きなかった。


 今俺は風呂から出、夕食を食べ終わり、ベッドの上に寝転んでいる。無駄に気負って疲れた。もう寝ようか。


 その時、携帯に電話がかかってきた。一瞬ビクッとしたものの、画面を見ると後輩の原田からだった。特に何も考えず電話に出た。


『拾いましたね? あなた』


 頭の中が真っ白になった。

 なぜ知っている? なんだ? そもそもこいつは原田なのか?


 パニックになっている間に電話は切れた。

 慌ててかけ直そうとしたら__


 電話帳から、「原田京介」は消えていた。それだけではなく着信履歴、SNS。俺の携帯の中から「原田京介」という男は完全に消滅していた。交わしたメールまでも。

 色々探した結果幸いメモ帳に書かれた電話番号は消えていなかったため、電話をかけた。


『この電話番号は、現在使用されてお』


 「りません」を聞く前に電話を切った。


 どういうことだ? 理解出来ない。今にも発狂しそうな自分を何とか律し、落ち着いて考える。

 まず電話を掛けてきた存在だ。今の声は……今の声は?

 電話越しだとはいえ、ある程度は相手の声も分かるはずだ。

 しかしさっきの電話の声について何も表現出来ない。男女さえ分からない。どんな感情が籠っていた? どんなアクセントだった?


 ……何も、分からない。


 まるで音声ではなく、ただ文字を叩きつけられたような。

 ふと思い出し慌てて鞄を開けた。「翁の面」は消え失せていた。


 十年前。

 娘が好奇心から鞄を開けて中を弄ったせいで、重要な書類を忘れたことがある。

 その時俺は娘に初めて本気で怒った。それ以来、妻も子供も俺の鞄の中身を勝手に触ったことはない。


 ……なら、どうして無い。


 誰かが持ち出したことを祈りつつ家族全員に聞いた。

 誰も俺の鞄を開けたりしていないらしい。


 とんでもない事態が起こっている。それが何かは分からない。しかし致命的な何かが。


 ○


 結局一睡も出来なかった。妻は心配して会社を休むことを提案してきたが、俺は行くことにした。昨日のことが夢であることを願いながら。


 ○


 会社についた。ここまでは特におかしなことは何も起こっていない。希望を抱きながら俺は職場のドアを開けた。


 原田は、居なかった。はやる心臓を押さえつつ、部長に原田はどうしたか聞いた。


「原田京介? ウチの部署にそんな奴はおらんよ。何かの勘違いじゃないか?」

「そんなはずはありません! 原田は……」


 続きが出なかった。原田の特徴が何一つ思い出せない。まるで夢の内容を追いかけるが如く、どれだけ頭を使っても思い出せそうで思い出せない。それどころかどんどん曖昧になっていく。

 

 焦りながらメモ帳を開いた。原田の名と電話番号は消えていた。他の人にも聞いてみた。誰も覚えていないようだ。


 もしかしたら、原田という男は夢だったのかもしれない。これが現実なのかもしれない。

 原田京介が存在したことを証明出来るものは俺の記憶だけで、それすら曖昧になっていくのだから。


 ○


 眠気とショックで全く仕事は捗らず、十一時過ぎに部長に今日はもう帰って休めと言われた。

 ふらふら歩くうちに家に着いた。もう今は何も考えず寝たい気分だった。

 家に入り、家事をしている妻を一目見た瞬間、俺は卒倒した。


 妻の顔には……



「翁の面」が貼り付いていた。

 

 ○


 目を覚ますといつも通りの、優しげな、目と鼻と口がきちんとある妻と目が合った。

 どうやら俺は妻の膝枕で寝ていたらしい。気絶していたともいう。頭がズキズキと痛む。吐き気がする。


「あなた……大丈夫?」

「ああ……お前、何で面なんて着けていたんだ?」

「……え? 何の話?」


「…………いや、何でもない」


 ふらつく足取りでトイレに入り、鏡を見て俺はまたも気を失いかけた。鏡の中の俺の顔にも、「翁の面」が貼り付いていた。

 何とか踏みとどまりもう一度鏡を見ると、何度も見た、いまはだいぶやつれた自分の顔が映っていた。


 その後、俺は夕食まで眠っていた。


 ○


 雅楽のような音で目が覚めた。うるさいと思ったが雅楽はちっとも鳴り止まない。耳を塞いでも頭の奥に響いてくる。

 その後音を我慢しながら家族と夕食を食べた。

 案の定、娘にも息子にも面は貼り付いていた。一回目をそらしてからもう一度見ると、ただの子供の顔に戻っていた。


 ○


 次の日。

 相変わらず人の顔に面が貼り付いて見える。二回目以降は消える。煩わしい雅楽もそのままだ。

 意外と人間の順応性というのは高いもので、帰宅する頃にはすっかり慣れていた。

 ……電車の中で、息子からメールが届いた。


 ○


拾わなければよかったのにね


 ○


 唖然とする間に携帯が自動でそのメールを消去、ゴミ箱からも完全消去した。

 怖くて携帯の中身を見れないまま、駅に着くなりタクシーを呼び急いで家に帰った。


 ……息子は、存在自体は消えていなかった。ただ、二年前に自動車事故で死亡したことになっていた。妻の記憶、娘の記憶、携帯や日記の記録。 それら全てがもう彼は故人だと主張した。彼の部屋には遺影のみが飾られていた。雅楽は今も頭の中で鳴り響いている。


 もう何も考えたくない。墜ちるように、寝た。


 ○


 翌朝。何回見直しても顔から「翁の面」が消えないようになった。二年前からの息子についての記憶が思い出せない。


 ○


 ?日後

 人の声が聞き取れなくなった、雅楽がうるさい。


 ○

 

 ?日後

 空中に異形が見える。様々な人のパーツを組み合わせた、酷くグロテスクな異形が。よく見ると息子の顔が埋まっていた。


 ○


 ??日後。


 もう何が現実で何が夢で何が幻か分からない。

 「翁の面」を拾ったことで何かが変わった。


 世界が変わってしまったのか、ただ俺が幻を見ているだけか、それとも元々世界はこうで、「翁の面」を拾ったことで真実が見えたのか。


 何にせよ、世界は酷く不確実で不安定で儚いものだった。確たる現実などどこにも存在しやしない、俺の塗り絵だって本物だったのか分からない。


 でももうそんなことはどうだっていい。もう俺は疲れた。

 ちょうど、このホームに快速列車が来た。轢かれれば一瞬で死ねるだろう。


 そして俺は飛び込んだ。その瞬間、全ての面がこちらを向き声を出して嗤い……衝撃と共に俺の意識は途絶えた。


 ○


 しばらく俺は何もない、暗黒の中を漂っていた。これが死後の世界か。とても退屈だ。だが、これで俺は解放される……と思ったその時。




 目の前に、「翁の面」が現れ、俺を見、あの時の電話と同じような、説明不可能な口調と声音で、一言放った。






『死んでも、もう逃れられないよ』

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