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春の薊とお別れと

作者: 瀧田悠真


はじめましての方も、いつもいらっしゃる方も、お立ち寄りいただき、ありがとうございます。


拙いばかりの文章ですが、お楽しみいただければ幸いです。


 店は街を見下ろす高台にあったから、いつだってそこは陽だまりの中だった。


 オープンテラスの床板の褪せた茶色とか、見慣れた看板の字体とか。馴染んだ場所への愛着がやけに胸に刺さって。これから訪れる、自分で選んだはずの先を急に思い出して。何故だか息苦しかった。


 裏口の軋むドアを開けて外に出る。祖父が毎日欠かさずに手を入れている庭は、数え切れないほどの種類のハーブと色とりどりの花に埋め尽くされていた。


 木苺の茂みには小さな花に混じってまだ青い実がひっそりと隠れ、ずいぶん昔に祖父が自ら作った簡素な池には冬を越したスイレンの葉が浮かんでいる。開き始めた山吹の花。若葉の緑色。ミツバチの羽音。


 穏やかな春の景色。その中で、俺の目を引いたのは鮮やかな紅紫色だった。


 鋭い針を束ねたような、アザミ。


 ひと月前。高校最後の一日を思い出す。また会おうとか、元気でいろよとか、何一つ言えないままで別れてしまった一人の少女を思い出す。


 少し前の。


 受験勉強の忙しさを理由に顔を合わせなくなる直前の、彼女の雰囲気に似ていたんだ。アザミの花の鋭さや冷たさが。




 物思いを嘲るような音がして、ドアが再びゆっくりと開いた。


 花の群れから顔を上げると、祖父の姿が目に映った。白いシャツと落ち着いた色合いのカフェエプロン。


 閉まる寸前のドアの向こうからコーヒーの香りが漂って、一瞬で穏やかな風に散らされた。


「明日か」


「うん。10時に出発する」


 祖父は短く呟いて、俺はわかりきった予定を意味もなく付け加えた。


「経済学部か。お前はもっと別の道に進むと思ったが」


 祖父の言葉は淡々としていて、どうしてだろう、無性に泣きたくなった。


「うん、じいちゃん。俺もそう思ってた」


 けど、いいんだよ。


 親はそうしろって言ってるし。


 やりたいことも見つからないし。


 それに、案外楽しい学生生活が待ってるかもしれないしさ。


 色んな言葉が頭を巡ったけれど、どれも言葉にはならなかった。


 ただ、見えない先が怖かったから、必死で笑う。


「なんかないの?餞別とかさ」


 祖父の目がまっすぐに向けられる。穏やかな目。


「ないな」


 短い言葉に黙って頷く俺に、祖父はけど、と付け加えた。


「いつでも帰ってきたらいいよ」


 暖かい風が吹いて、春の庭を抜けていく。木苺と山吹の茂みを撫でて、スイレンの池に漣を残す。


 葉擦れの音が俺の意識を逸らしたおかげで、涙は零れずに済んだ。強がった笑顔のままで頷いてみせる。


「ありがと、じいちゃん」


 アザミの花が、視界の隅で揺れていた。まるで手を振ってるみたいだと、ぼんやりと思った。


 ああ。これから、どんな未来を進むんだろう。


 どんな人と出会って。


 どんなことをして。


 どんな風に生きていくんだろう。


 どんな未来を歩んでも、隣にはいるはずのない彼女のことを思って、淋しく思う。


 別れの日取りだけを伝えた電話。黙りこむ気配。何も言えなかったこと。


 全部なしにして。


 時間を戻すことなんて出きっこないから、望まない。


 だけど、もし。


 もしも会えたらその時は、本当のことを伝えてみよう。


 手を振る薊に背中を向けた。街を出て行く、前の日だった。


お読みいただき、ありがとうございます。


率直な感想などありましたら、いただければとても喜びます。


それではまた、別のお話でお会いしましょう。

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