奴隷商人のマンモン
【アラム王国 スラム街】
アラム王国は広大な砂漠の中にある大都市である。
ここにはオアシスがあり旅の中継地点として多くの旅人や行商が行き交い貿易都市として栄えていた。
しかし、それは貧富の差を大きくさせた。
商人が儲けるなか、貧困層は拡がり、繁栄に見えるアラム王国の実態は格差の激しい闇の部分を抱えていた。街の一角には貧しい者達が住んでいるスラム街があり、地元の者は決して入らない。そこは無法者が集まっている危険な場所だからだ。そんな荒くれものの巣窟にルシファーは来ていた。
何故ルシファーはそんな危険な場所に来ていたかというと、そこには闇ギルドがあるからだ。
闇ギルドとは、非合法のギルドである。
依頼には暗殺から密売、人身売買等、その多くは犯罪紛いのものばかりである。
ルシファーが闇ギルドの集会所の扉を開けると、片目に大きな古傷をつけた屈強な男がルシファーを見て言った。
「久し振りだな旦那。」
「ああ」
闇ギルドの窓口の男のようで、見慣れたようにルシファーに話をしてきた。
「今日はどういった御用で?」
「仕事を探している。」
「ならこいつに目を通して適当に選んでくれ。」
男から分厚い帳簿を渡されると、ルシファーは手慣れたようにページをパラパラめくる。この帳簿に依頼が書かれているのだ。
ルシファーは地上界に堕ちてから闇ギルドで依頼を幾つも引き受けていた。そう、金のためである。今回アラム王国に立ち寄ったのは、ルシファーは手持ちの金が心許なくなってきたので仕事を請けようしたためである。
人間として旅をしていくには最低限の金が必要だ。よって闇ギルドはルシファーにとって馴染み深いものだった。
ルシファーは闇ギルドの分厚い依頼書に目を通していった。彼が選ぶ仕事は主に暗殺だ。だが殺す相手は選ぶ。教会関係者、または屑相手には人間だろうと容赦なく始末してきた。無駄な殺生を嫌うルシファーだが屑相手は別である。地上に降りてからというもの殺した人間の数は、ゆうに百人を越えていた。
しかし、この依頼書にあるのは人身売買に人拐い、強盗の片棒に、挙げ句には金持ち相手に性奴隷役ときた。ルシファーは溜め息をつきながらビンゴブックを閉じた。
「ロクな仕事がないな。」
「だったら、これなんか旦那にいいんじゃないか?」
そう言って男は一枚の依頼書を見せてきた。ルシファーはそれを見て呟いた。
「暗殺依頼か…」
「ついさっき来たばかりの仕事だ。旦那にピッタリのやつだろ?」
「勘違いしているようだから言っておくが、俺は誰か
れ見境なく殺すわけじゃない相手を選ぶ。見たところターゲットは普通の商人のようだが。」
「わかってるよ。だから旦那にピッタリなんだって、そいつはとんでもない悪党さ。そいつはな…」
男はルシファーにターゲットの話を聞かせた。
****************
【アラム王国 マンモンの屋敷】
商人マンモン
それが今回のターゲットだ。
若い女子供を拐い人身売買し、奴隷も扱っている正真正銘の屑。だからルシファーは容赦なく殺すことに迷いも躊躇も無用の相手だ。仕事に専念できる。
日中、ルシファーはマンモンの屋敷の前まで来ていた。普段なら暗殺は夜の闇に紛れて行うのだが、このマンモンというターゲット、夜は必ずどこかに行ってしまって行方をくらませるそうだ。大方奴隷の取引をしてるんだろうとギルドの窓口からの得た情報だった。仕方なくルシファーは昼間にマンモンを暗殺することにした。
「立派な屋敷だな。」
ルシファーは屋敷を見上げる。マンモンはアラム王国の一等地にある豪邸に住んでいる。代々続く商人の家系らしく、かなりの金持ちだ。悪どいことをして成り上がったわけらしい。
さて、どう入ろうか。
ルシファーは屋敷の周りを歩いて調べる。しかしそこで違和感を感じた。
「警備がいないのか?」
悪党ほど用心深い。普通こういう類いの悪党は用心棒や私兵を雇っているのがほとんどだが、この屋敷には人がいる気配がない。
住所を間違えたか?
ルシファーは渡されたマンモンの住所が書いてある紙を確認するがやはりこの番地であっている。
ルシファーは再度屋敷の様子を伺う。やはり用心棒や私兵といった戦いに身を置く者が発する闘志のオーラを感じない。
違和感はあるが、このまま待っていても始まらない。しかたない少し不気味だが正面から行くか。
基本物事を強引に推し進める癖があるルシファーは、正面突破することにしマンモンの屋敷の敷地内に入った。敷地は広く庭園になっていた。
ルシファーは屋敷の正面玄関の扉の前まで行くと、足をあげて蹴り破ろうと構えた瞬間、背後から誰かに声をかけられた。
「そこのカッコいいお兄さん、マンモンさんの屋敷に何か用かい?」
ルシファーは振り向くと男がにこやかに声をかけてきた。気さくそうな青年だ。麦わら帽子にフードと枝切りバサミを持っている。服装からみるにどうやらこの屋敷の庭師だろう。
まずい、見られた。
ルシファーは慌てて蹴りあげようとした足を地面に戻し青年を見た。見るからにこの男はどこにでもいそうな普通の人間だ。男からは殺気も邪気もまったくと言っていいほど感じない。おそらくこの屋敷に奉公している使用人なのだろう。奴隷売買とは無縁な顔をしている。普通の人間を殺すことはしないルシファーは、青年への警戒心を解いて怪しまれないように振る舞う。
「私は旅の行商をしているルーキフェルという者だが、マンモンさんに商売の話があってな。御主人はいるか?」
咄嗟に思いついたルーキフェルという偽名を使って庭師の青年に尋ねた。庭師の青年はこの自称商人を疑うことなく答えた。
「マンモンさんなら今留守でね。しばらくしたら帰ってくると思うよ。」
そうか、マンモンは留守か
「わかった、なら出直すことしよう。」
ルシファーは屋敷に背を向け立ち去ろうとする。
いないなら押し入るだけ無駄だな。
そう思い庭師の青年を横切ろうとしたとき、またまた青年に声をかけられた。
「ちょっとちょっと!」
慌てるようにルシファーを呼び止める青年。
「なんだ?」
「マンモンさんが戻るまで中で待たないかい? 粗末だが茶の一杯ぐらいはもてなすよ。」
いきなりの誘いにルシファーは戸惑った。この人間、見ず知らずの相手に全く警戒心がないのか? いや、それよりも使用人が勝手に屋敷の中に招待していいのか?逆に罠なんかじゃないかと疑い始めたルシファーに庭師の青年は続けてこう言ってきた。
「今日は一段と暑い。どうせまた来るなら涼しい部屋で冷たい水でも飲みながら待つほうが、兄ちゃんにもいいんでない? またマンモンさんとスレ違いになってもあれだし」
確かに一理ある。この砂漠にあるアラム王国の暑さは結構堪えていた。正直無一文のルシファーは、涼めるような喫茶店などいける持ち合わせはなく、この炎天下の中、外でターゲットを待つのは地獄だ。中に入ってくつろぎたい気持ちもあった。そして魅力的なお誘いだった上に、何よりもタダだしな。
「有難い、ではせっかくなのでお言葉に甘えよう。」
ルシファーはそう言って青年に案内され屋敷の中に入ろうとした。すると一部始終を見ていたダーインスレイブは、庭師の青年に聞こえないように小声でルシファーに言ってきた。
(ルシファー! オマエ警戒シテンジャナカッタノカヨ!)
それにルシファーも小声で返す。
(問題なかろう。見たところこの人間は悪い人間には見えない。仮に罠だとしても、そんなものは軽くあしらうだけだ。)
全く怖いもの知らずのマスターだ。そんなことを思うダーインスレイブであった。
屋敷の中は広くひんやりしていた。砂漠のど真ん中にあるこの土地は過酷な環境だ。だから住みやすいように家は土や泥で造られ外の気温を上げないような涼しい造りになっている。ここに来てから汗をかいていたルシファーには屋敷の中の涼しさが天国に感じていた。いや、実際の天国とは全然違うが。神や天使はクソだが住みやすいさは天国に勝るものはない。しかし、屋敷に入って違和感を感じた。
「他の使用人の姿が見えないが、皆外出してるのか?」
さっきからこの庭師の青年以外屋敷には誰も見かけなかった。
「いんや、ここにはオイラ一人だけだよ。」
「一人?」
普通このぐらいの豪邸なら使用人の三、四人いてもおかしくない。やはり外から感じたひとけのなさは気のせいではなかった。
「このでかい屋敷に一人しか雇ってないのか? マンモンという男は相当ケチみたいだな。」
「ハハッ、確かにここのご主人はケチやな。ここで御奉公させてもらってるのがオイラ一人だけだし。」
この青年の言うことはほんとだろう。警備を置かないなんて余程の不用心か、強がってるだけか…マンモンという男にルシファーは少し興味が湧いた。まぁ出会った瞬間殺すが。
「ここや」
連れてかれたのは質素な部屋だった。その部屋には沢山の本棚があり、一冊一冊多様な本があった。
「てきとーに掛けてぇな。」
ルシファーは近くにあった椅子に座り、庭師の青年はグラスに冷やしていた水を入れて差し出す。
ルシファーと庭師の青年はテーブルを挟んで対面した形になりながら椅子に座りくつろいだ。ルシファーは出された水を飲んでいると青年は言った。
「ところで兄ちゃん、あんたマンモンさんを殺しに来たんだろ?」
青年から出た予想だにしてない言葉にルシファーは意表を突かれた。水をこぼしそうになった。
「なんのことだ?」
「顔にそう書いてあるで~」
顔に? そんな馬鹿な…
ルシファーは顔を触ってみた。わからん、どこかに鏡はないか?
我が主よ、顔に文字が書いてるわけではありません。この者は口に言わずとも、ルシファー様のお気持ちや、お考えが表情から読み取れると言っているのでございます。
ルシファーの中のベルゼブブがそう教える。なるほど、人間の使う言葉には色々な意味があるのだな。勉強になる。
感心してんじゃねぇよルシファー。こいつただの使用人じゃねぇぞ。
ああ、どうやらそのようだな。
頭の中でベルフェゴールに言われてルシファーは目の前の男に警戒心を持つ、そんな青年は可笑しそうにしながら言った。
「大方オイラが奴隷商人だと聞きつけたんだろ? 嫌な噂が流れて商売上がったりやわ。」
庭師の青年は深く溜め息をついた。ルシファーは全く話が読めずに戸惑っていると青年はそんなことお構いなしに話を進めた。
「ちょっとオイラの話を聞かないかい?」
「話だと?」
「うんにゃ、ルーキフェルさん。いや、悪名高きレイヴンさんとでも呼んだほうがいいかい?」
「……」
こいつ、どうして俺の名を…
また予想外の答えが返ってきた。益々この青年に警戒心を強めると、ルシファーは鞘からいつでも抜けるように青年から見えない位置に剣を腰元に寄せる。
「商人の情報網を舐めてもらっちゃ困るな~。闇ギルドからの依頼でオイラを殺しに来たのは知っているよ。」
「お前…只の使用人じゃないな、何者だ。」
「おっと、自己紹介がまだやったね。お初目お目にかかる。オイラが悪名高き奴隷商人のマンモンや」
こいつがマンモン…だと?
マンモンに雇われている庭師かと思っていたが、それはこの屋敷の主人でターゲットであるマンモン本人であった。これにはルシファーも面を食らった。
「お前がマンモン本人だとはな、すっかり騙された。」
「偽ったことは謝るよ。だけどそっちも偽名使ったんだからおあいこやな。」
ゲラゲラと笑うマンモン、不思議と騙された怒りは感じない。むしろここまでくると清々とする。
「ところで、なんであのレイヴンが、いち商人如きの命を狙う? なんかオイラはあんたの恨み買うようなことしたかい?」
理由か、知ってるくせに俺の口から直接言わせたいらしい。
「お前が悪どい奴隷商人だからだ。」
もはや素性がバレているのなら隠してもしょうがない。ルシファーは男に告げた。それを受け流すように涼しい顔してマンモンは受け止めた。
「ふーん、この世は奴隷が合法とされる世界なのに、オイラだけを殺すのかい? 他にも悪さしてる奴隷商人だって世の中腐る数程いるだろう?」
弁が経つ男だ。この男が商人だということもあるのだろうが、やたらと口がうまい。
「聞いた話だとお前は女子供を拐い無理矢理家畜の如く扱いをしてるそうじゃないか。それは屑以下の畜生のすることだ。」
ルシファーは率直に思っていることを答えた。するとマンモンはその答えに満足した顔をした。
「やはりオイラの思った通りだ。レイヴンさん、あんた優しい男やね」
「なんだと?」
「オイラは商売がた信用できる相手かどうかを視てきた、数百人以上ね。オイラにはそれを相手の目を見れば大体一目でわかる。あんたの目は純粋で優しい目をしている。だから直接会って話をしてみたいと思ったのさ。」
この男、本当に噂通りの悪党なのか? とてもそうは見えない。
「聞くより見るべし、オイラを斬る前に見てもらいたいものがある。オイラを斬るのはそれを見てから決めてくれ。」
そう言うとマンモンは本棚に置いてある一冊の本を抜くと、本棚が動きだしその裏には隠し扉が現れた。
「大層な仕掛けだな。」
「商売上、人様から恨みを買いやすい仕事なんでね。じゃ先に行ってるよ。」
マンモンは隠し扉に先に入る。
「オイ、ドウスンダヨ?」
ダーインスレイブが聞いてきた。
「どうするもこうするもあるまい、あの男がどういう考えか確かめる。」
主よ、罠なのでは?
ルシファーの中にいるベルゼブブはマンモンに対して用心していた。
「案ずるなベルゼブブ、仮に罠だとわかったら即座にマンモンを斬ればいい。」
ハッハッハ、考えすぎだぜベルゼブブ! 俺はあいつがそう悪い奴には見えねえぜ。むしろ気が合いそうだ。
お前は考えなさすぎるんですベルフェゴール。我が主よ、くれぐれも御用心して下さい。
「わかってる。」
ルシファーは仲間達の忠告を聞くと、マンモンの後を追った。
****************