思いの強さで…
20分ほど自転車を漕ぎ家に到着する。
駐車場横にあるちょっとしたスペース、定位置に自転車を置いて家に入ることなく神社に向かう。
この神社は優斗の家から徒歩で約10分の距離にある。
学校からの帰りだと自宅の前を通ることになる。道中急な坂や自転車で進むのは困難な場所があるわけではないので普通に考えればそのまま自転車に乗っていくだろう。だがあえて歩くことを選んだ。
通りから外れて、車一台通るのがやっとの狭い道を歩く。
「……ここを通るのも久しぶりだな」感慨深げに眺めながらぽつりと呟く。
今歩いている道は人通りが少ないどころかまったくない。
それもそのはず、この先には目的地の神社があるだけでそれ以外は何もく行き止まりになっている。
故に堂々と真ん中を歩いていても、誰かに注意されることもなければクラクションを鳴らされることもない。余所見をしながら歩いても誰に迷惑をかけるわけでもない。
地元の人間ですら滅多なことがない限りここは通らない。というよりは神社に行く以外で通る必要がないから必然的に使わなくなるのだ。
もっともそれまでの道もお世辞にも人通りが多いとはいえないのだが。
徐々にアスファルトで舗装されてないデコボコした道になってくる。雑草が伸びていたり、石があちこちに転がっているためうっかりしてると躓いてしまう。
木々が立ち並び始める緩やかなカーブを曲がると鳥居が見えてきて、やや足早に近づいた。
全体的に苔むし、笠木には枝が絡まっていたり額束の文字は擦れて何が書いてあるのか判らない。
だが目を凝らして注視すると辛うじて『神社』と書いてあるのが読めた。
夕陽に照らされた鳥居はどこか神秘的な雰囲気を醸し出していて、思わず見入ってしまう。
道の終点にあるためなのかその存在感は大きくまるで『ここで道は終わり。この先に何があっても君は乗り越えられるかい?』と問いかけられているようで無意識に背筋が伸びた。
そして視線を奥へ向け息を一つ吐き出して足を踏み入れた。
境内は鬱蒼とした森の中にあり昼間でも薄暗い。
先ほどまで見える世界を支配していた夕焼けは大部分を木々に阻まれながら、僅かな隙間を縫うようにまばらに降り注ぐ。
境内に入って最初に目に入るのは正面にある社だ。
木造でできているからなのか見るだけで古めかしさを感じさせる。
それほど大きくはないがそれでも見上げるほどには大きい。
次に向かって右側にある大樹を見る。
御神木として祀られており樹の周囲は柵が立てられて触れられないようになっている。
樹の太さは大人3~4人ほどが手を広げなければ囲むことができない。
地表から見える根はとても太くしっかりと大地に根付き、この樹が悠久の時を過ごしていることが想像できる。
見上げてみるが高く大きく広がっているためどこまでがこの樹なのか判断することは難しい。
社の屋根に覆いかぶさるようになっているところもあるが、それも半分ほどの高さに位置する。
ここへ来るまでは気にしていなかったが、最上部はもしかしたら周りの木々よりも高いのではないかと思う。なぜ御神木になっているのか少し解かった気がした。
「変わってないな…」呟いた言葉は風に揺られた木の葉によって掻き消された。
最後に来たのはいつだっただろうか。記憶を探るとランドセルを御神木の根元に置いて境内を数人の友達と走り回っていたことが思い出された。
「6年振り…か?」遠き日の記憶を思い出し自然と声が零れた。
6年、長い時間のように思えるが実際過ごしてみるとあっという間だった。
学校やら何やらに追われ月日が経つのを意識しておらず、気が付いたら経っていたという感じだ。
それだけ密が濃かった証拠とも言えるだろう。
それを最後にここへ来た覚えはない。
当時はこの薄暗さが幼い恐怖心を煽り怖くて堪らなかった。友達と一緒ならまだしも、一人だったら近づくことさえ絶対にできなかった。
だが今では何とも思わない。風の吹きぬける音や揺られた木々、冷たく湿った土に恐れを抱くことはない。
目線も高くなった。お賽銭箱の中を見ようと必死に背伸びをしていた自分と比べ、今では離れた所からでも見下ろすことができる。
見上げていた物と目線が同じになったり、また見下ろしたり。
あの頃に比べ外見は成長した。だが中身はどうだろう?少しは成長したのだろうか。
昔は高校生といえばとても大人のような気がして憧れ、羨望の眼差しを向けていた。
自分も早くなりたい!あの人たちみたいにかっこよく大人になりたい!と見かける度に思っていた。
これこれこうだからという明確な理由は無く、ただ漠然と『高校生』に憧れていた。
だがいざなってみると存外大したことはなく、学校に行って授業を受けて友達と話したり部活をして家に帰る。
来る日も来る日もそれを繰り返す。今までとあまり変わらない。
生活だけでなく中身もそうだ。日々の学校や友達と馬鹿なことを話したり、意味もなくかっこつけたり無気力になって何もしなかったりと、とても大人とは呼べず寧ろガキ丸出しだ。まるで変わってない気さえする。小学生の方がよっぽど真面目ではないだろうか。
だがそんな自分も今の小学生から見たら当時の自分と同じ感想を抱くのだろうか。
だとしたら言ってやりたい。『君たちが思ってるほど大人じゃないんだよ』って。
あの頃の俺が今の俺を見たら何と言うだろう、ふっと自嘲気味に笑い社へ歩く。
『神頼みなんざ当たらなくて当然だ。あんなの気休めにしかならん』今沢の言葉が思い出される。
まったくもってその通りだ。こんな実現不可能なことを頼みに行くなんてまるで小学生みたいだ。
俺はヒーローだと信じて疑わなかったあの頃のように。ある程度現実を知ってる分、今の方がよっぽど性質が悪い。
普段特別意識もしてないのに願い事がある時に限って拝みに行く、都合のいいようにする。
なんて勝手だろう。そんな人間の願いを一体誰が叶えようと思うか。
少なくても俺だったらそんな奴の頼みを聴く気にはならん。普段から信仰して毎日のように拝みに来る人に力を貸すだろう。可愛い子だったら話は別だが。
だが本人も本気で何とかしてもらおうとは思っていないのだ。
要は行ったという行動、事実があればいい。言ってしまえばただの自己満足、一週間もすればそんなことは日々の生活に追われ忘れてしまうだろう。
だが行かないよりは行った方がいい、やらないよりはやった方がいい。たとえ気休めだと分かっていても。そんな理由で自分を納得させて願い事を心の中で唱えながら手を合わせた。
「おや、どうしましたか?」
「っ!!」
祈祷を終え深々とお辞儀をして、さて帰るかと踵を返そうとした瞬間声をかけられビクっ!と肩を震わせた。
「申し訳ありません、驚かせるつもりはなかったのですが。珍しく参拝に来られた方がいらっしゃったのでつい声をかけてしまいました」箒を持った老人が声をかけてくる。入ってきた時は姿が見えなかったことから恐らく社の裏側を掃除していたのだろう。
「ああ…いえ…」視線を逸らしながら答える。大っぴらに人前で話せないことを祈祷している場面を見られてとても恥ずかしい。すぐにでも立ち去りたかったのだが人の良さそうな笑みを浮かべ近づいて来る姿を見ると不思議とその気も無くなった。
「そうですか。あ、私はここ成願神社で宮司を務めている宮本と申します」
「俺…僕は大村と言います」丁寧に挨拶をされてつられるように自己紹介する。
「大村さんですか。見たところ高校生のようですが…?」
「はい、北山学園に通ってます」
「そうでしたか。実は私の孫も北山学園に通っていたんですよ。一昨年卒業しましたが」
「そうなんですか奇遇ですね」
「はい。私もそうだったのですが高校生は多感な時期ですからね、色々ありますよ。悩みだったりね。
でも一番何かを吸収できる成長時期でもあるんです。立ち止まってしまっても諦めずに前に進もうと努力すれば答えは必ず出ます。
そしてそれらは後になってかけがえのない財産になります。
あなたにもきっと言主様のご加護がありますよ」やさしくほほ笑む。
「……だといいんですけどね」それにどこか影を落とすように返事をする。
「何か悩みがおありでしょうか?」それを感じ取り尋ねる。
「悩み…そうですね。悩みですね…聞いてくれますか?」
「勿論です。私でよければいくらでもお聴きします」おずおずと尋ねる優斗を快く受け入れる。
その様子に気づかれないように安堵の息を零し、ありがとうございますとお礼を述べる。
立ち話もなんですからと御神木を眺める縁側に案内され腰かける。
「申し訳ありません。何のお構いもできずに」すまなそうに頭を下げる宮司に慌てて立ち上がりながら首と手を何度も振り止めさせようとする。
「いえいえ!申し訳ありませんはこっちの台詞ですよ!こっちが頼んでるんだから!別に気にしてないんで大丈夫です!」
「……ありがとうございます」それを聞いて頭を上げて優斗を見る。
それにほっとしたように軽く息を吐き一人分の間を空けて座り直す。
「それじゃ…聞いてくれますか?」
「ええ、お願いします」笑みを浮かべ了承した姿を見て小声でお礼を言い一呼吸おいて話し始めた。
「って感じなんですけど」話し終え御神木を見上げる。
「なるほど。会いたい人がいるけど遠い所にいるため簡単に会うことができない。
でも会いたくて仕方がない、こういうことですね?」
「ええ、平たく言えば」さすがに漫画の世界に入りたいのだがどうすればいいですかと言うわけにもいかず近い意味合いで言い換える。
「そうですなぁ…」しばし思案したのち口を開く。
「言いにくいことかもしれませんがよろしいでしょうか?」
「はい?」何を訊かれるのだろうと少し身構える。
「先ほど遠い所と仰いましたがそれは物理的な距離のことですか?それとも、その―――」
「ああ!違いますよ!」何を言おうとしてるのか察し慌てて遮る。
「俺の知り合いはまだ誰も死んでませんからご心配なく。でも…まるっきり的外れってわけでもないんですよね、それ」
「と言いますと?」
「ええ、物理的な距離も少しは関係してるんですが、何て言うんでしょう…心の距離…とでも言うんですかね?別世界の人みたいで。いくら手を伸ばしても触れることはできない、干渉することすらできないって意味合いでは同じですね」
「なるほど、そこにあなたの想い人がいるのですね?」にこりと笑う。
「え?ええ…まぁ…」動揺しながらも答える。
「お気持ちお察し致します。確かに恥ずかしいことですけどね、でも素敵なことじゃないですか。
人を好きになることは尊いものですよ。その気持ち忘れないでくださいね?」
「……はい」伏し目がちにして俯きながら小声で返事をした。
「しかし別世界ですか…」
「はい?」宮司の呟きは優斗の耳には届かなかった為、訊き返すがお気になさらず、とはぐらかされてしまった。そう言われてしまってはしつこく訊くこともできないので黙るしかない。
「関係ない話かもしれませんが鳥居の意味を御存じでしょうか?」
「鳥居の?」と言って歩いてきた方向を見る。
「いえ、特に考えたことがなかったので…」すみませんと謝れば、いいんですよとそんなに気にしてなさそうに振る舞う。
「簡単にご説明しますと我々人間が住む俗界と神の住まわれる神域を区画するためのものなんですよ。
神域への入口と言えますね」
「ああ、なるほど。だから神社にお参りに来ると自然と背筋が伸びるんですね?」
「それはどうかは分かりませんが」と手を口元に当てて苦笑する。
「話を戻しますと昔の人は神域を自分たちが住む世界とは違う、別世界と捉える人もいたそうです。
つまり別世界への入口ですね」
「別世界への…入口…」
「はい。なかにはいくつもの世界を繋ぐ場所、様々な時代の交流地点と考える人もいたそうです。
ロマンがありますね」と言われるがどう返したらいいか分からずそうですね、と苦笑する。
「成願神社が祀っているのは言主と呼ばれる神様です。その昔人々が心の中で願ったことを何も訊かずに汲み取りその願いを叶えた。
それを繰り返す内に『この人に願えば叶えてくれる』と人々は思い彼の死後、これまでの功績と感謝の意を込めて祀ったと言われています」
「そうなんですか…」
「ですが全員というわけにはいかなかったようですね。いくらなんでも限界がありますよ。自身の力であったり、そもそもが単純に読み取れなかったりと」
「え…何でですか?」
「読み取れなかったのは二つ理由があると言われています。
一つ目は思う強さが弱かったことです。思う気持ちが強ければ強いほど伝わりやすくなりますから。
願いを叶えてもらうためにはまず聞いてもらえなければ始まりませんからね」
「…でもですよ?それはある程度面識があるからそういう事ができるのであって初対面の人が来てもなんだこいつ?て思いませんか?」
「思いの強さに面識があるないは関係ありません。本当に助けを求めてる人が誰なのか分からないのであればこんなところ存在してませんよ」背後に建つ社や境内をぐるりと見回す。
「救いを求める人の手を振り払うような人がこうして祀られていいわけがありません。
でもそうしなかったから、どんなに無茶なことでも力の限り挑んだから周りの人間に認められて慕われたんです」
「………」
「勿論今のは私の想像ですがね」最後の付け足しにウィンクする。齢に似つかわしくなかったが茶目っ気があり不思議と気にならない。
「なるほど…。じゃあ今こうして俺が来ても印象は悪くないんですか?大して信仰してないんですけど…」
「ええ、信仰心が僅かでもあればいいのです。普段から考えてる人の方が少ないですから。
それに信仰心が無い人はまず来ません」
「はぁ…」
「いいじゃないですか困った時だけ来て、救いを求めても。寧ろそういう人たちの拠り所でなければならないと私は思います。
大切なのは信仰心の大小ではなく強く願うことです。それを普段から頭の片隅でもいいから思い続けることです。
そしてここで二つ目ですが無心になってそれだけを考えることです」
「無心になる…?」
「はい。心を読めたわけではありませんからね。色んな思いが混在してたらいくら強く願っても分からないものです。
救いを求めるものにもそれなりの誠意は必要ですからね。分かりやすくするのは当然でしょう。
一つのことだけ強く願う。ただそれだけを思い、心を満たすのです。
そうして鳥居を潜りお参りすればあなたの願いはきっと届くでしょう」
「ただそれだけを…思う…?」呟きに似た言葉が優斗から出る。
「はい。ですがこれはかなり難しいです」それに少し表情を険しくさせる。
「針の穴に糸を通すようにそれだけに集中することは誰でもできます。
ですがそれは目に見えているからです。目に見えずに自発的に一つの事を思うのは思っているよりかなり難しいです。無意識の内に色々考えてしまいますから」
「………」
「アドバイスとしては塗りつぶすイメージでしょうか?
個人的にですがこれが一番解りやすい気がします」勿論人それぞれですがね、と付け加える。
視線を落とし考える。こんなバカげたことと自分でも思う。普通に考えたらありえないことだって分かってる。
でも何もしないわけにはいかなかった。何でもいいから何か行動していたかった。
動いていれば景色も変わる、見えなかったものも見えてくる。結果的に望むものとは違っても自分にとって大切な何かが手に入るんじゃないか。こうして新たな道を示されたのならやらない手はない。
ゆっくり顔を上げる。
「こんなくだらないことを聴いてもらってありがとうございました。おかげで大分心が軽くなりました。
早速試してみます」
「いいんですよ。お役に立てたのなら何よりです。
あなたの願いが叶う日が一日も早く訪れることを祈っています」柔和な笑みを浮かべる。
立ち上がって宮司の前で「ありがとうございました!」としっかりお礼を言い踵を返し、鳥居の下でもう一度お辞儀をして立ち去った。
その日の夜優斗は考えていた。
自室のベッドの上で仰向けになりながら後は寝るだけの状態を作り上げ、宮司宮本の言葉を反芻してこれからどうしようかということを。
「一つのことを考えろったって…難しいこと言うよな、あの人」あの後実際にやってみたがうまくいかなかった。そのことを含めてぼやきながら体を起こし本棚にある漫画を一冊持ってベッドに腰掛ける。
それは当然というか件の漫画の例の巻数である。
改めてじっくり見てみる。自分が見た夢とほぼ同じだ。登場人物、風景、場面展開。
違うところといえばそこに自分がいないことと、夢だからか少しずつ違ったり、風景がぼんやりしている点だろう。後は結末だ。
レイラはムウダと共に崖から落ち、爆発に巻き込まれ死んでしまう。
その出来事が目の前で起こった主人公達は悲しみに暮れ、自分たちの無力さを嘆きながらもレイラの死を無駄にしてはいけないと、少しでも報いる為に心を切り替えて再び旅に出る。
というのが本来のシナリオであり、夢とはいえ優斗がいなければ辿っていたであろう未来だ。
「……やっぱ納得できねぇよな」パラパラとページを捲りながら呟く。
せめて自分の中だけでも生きていてもらいたい、助かっていてほしい。願わくばその役目は自分でありたい。
ふと時計を見ると時計の針は午前1時を指していた。いつの間にか1時間近く経ってしまったらしい。
「夢で逢えるだけで…今はそれ以上は無理か」ため息と共に吐き出し、電気を消して布団に潜り込む。
いつかの夢と同じように無事に助け出したことを描きながら。
「なるほどねぇ~」頬杖をついて優斗を見る。
前日言った通り午後から学校に行き、既に部室に来ていた今沢と合流した。
少し音合わせをして今は小休止中。今沢と別れた後の出来事を現在話していた。
「やっぱり専門の人の言うことは違うねぇ~。説得力があるわ」
「俺も思った。普通の人と何か違うよな。うまく言えないけど」
「ああ。でどうなんだ?やってみたのか?それ」
「俺なりに考えてはみたんだけど結局よく分からなくてよ…」腕組みして天井を見上げる。
「ま、それとは関係ないんだけどさ、昨日夢見たんだよ。あの世界じゃなかったんだけど俺とレイラが向き合っててさ」
「……へぇ~、で今度は何があったんだ?」
「別に何もなかったよ。何か話してたんだけどよく聞こえなかったし」
「そうか…」残念そうに語る優斗を見て何か考えるそぶりをする。
「お前昨日何か変わったことやったか?」不意に尋ねてくる。
「変わったこと?いや特に…」昨日の行動を思い返すも特別変わったことはしていないのでそう答える他ない。
「変わったことはしてないけど、おかしなことにはなってる…かな?」
「ほっとけ。でなんでそんなこと聞くんだよ?」
「いや、何か条件があるのかと思ってよ。その夢を見るための。
ほら、これを持ってなければ続きが見れんぞよ、みたいなのがあるじゃん?
それがものじゃなくて何かの行動が条件になってるなら、知らない内にお前がそれをやってたってことはないのかなと思ってよ」
「なるほどな」軽く返事をするが今沢の言ったことがかなり気になり、今度は注意深く思い出してみる。
「別に変ったことじゃないけど寝る前にまた読み直してたな」先ほどは思い出さなかった行動が浮かんできた。
「だとしたらそれを考えてもいいんじゃないか?」
「かもな。でも偶然だろ?」
「かもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「どういうことだよ?」何が言いたいのか分からず眉根を顰める。
「その宮司さんの話じゃ一つのことだけ考えろって言ってたんだよな?」
「ああ、そう言ってたけど」
「漫画の読み始めは結構適当に読んでたりするもんだけど、いつの間にか真剣になってて気が付いたら一時間近く経ってたことってあるだろ?」
「ああ、まぁな」昨日もそうだったし…と小声で付け加える。
「つまりそういうことだろ。無意識のうちにフォルトニルっていう漫画だけど一つのことを考えてたって。それが宮司さんの言ってたことと繋がるんじゃないか?」
「なるほどな…」
「で昨日も言ったように寝る直前にしてたことを夢に見ることがある。この二つがうまい具合に重なってお前が見た夢って形で実現されたんじゃないかって思うんだ」
「なるほど…そう考えればそれなりの説明はつくな」納得したように頷く。
「ただ後者の方は偶然の要素が強いと思うけどな。寝る前に見てたものが毎度毎度夢に出てこられちゃ結構苦痛だと思うんよ。
それに言い伝えとか伝説だって本当にあったかどうか分からないんだしよ。そういうことがあったと言われてますよ(本当は違うけどね)みたいなさ。それを証明できる人間もいないんだし」
「おい、言主様をばかにすんなや。とりあえずこちとらやってみる所存なんだからよ」
「そりゃ悪かった。つーか言主様って…早速染まってんのかい。節操がないねぇ、今度はいつまで続くことやら」
「ほっとけ。てめーが呆れるまで続けてやるわ」
「そうかい。ま、俺が言いたいのはお前がその夢を見たのはそれらが考えられるんじゃないかってこと」
「かもな…」ゆっくり立ち上がって窓に近づく。
「ついでにもう一つ訊いていいか?」窓を背にして尋ねる。
「まだ何かあんのか?」
「ああ。何も見ないで一つのことを考えるのってお前だったらどうする?」
「え?俺だったら?そうだな…」顎に顎に人差し指を添えて考え始め、やがて何か思いつく。
「呪文みたいに何度も唱えるかな?」
「は?」なんだそれと言うような視線を向ける。
「だから、何か暗記しようとするときってまず憶えるものを見るじゃん?」その視線を受けながらも自らの意見を説明するべく鞄へ向かう。
あ、昨日のままだわと独り言を言いながら一冊の教科書を取り出す。
「例えば化学で言うと…あ、これでいいや。水酸化ナトリウムはNaOHって書いてあるじゃん?」
「へぇそうなんだ」と言いながら覗き込む。
「まず教科書を見て口に出してみる。次に上を向くなり教科書を閉じるなりして見ないようにして言ってみる。それを何度も繰り返すと憶えるじゃん?」
「長期的に見ればあまりいい方法じゃないけどな」
「ほっとけ。で、教科書見ないようにして憶えてる間はそのことしか考えないじゃん?憶えるのに必死だから。つまりはそういうことよ」
「なるほどな。それならあの人の言ってたことが理解できるわ」
「あとは…」意地の悪い笑みを浮かべて優斗を見る。
「お前お得意の脳内設定で妄想爆発させるとか?」
「うるせぇよ」軽く肩をはたく。
「でも一応当たってるんじゃない?お前の考えた物語を一つの事として捉えれば」
「…何か屁理屈みたいだな」
「まぁ考え方一つで色んな解釈ができるでしょ。でなきゃ今頃世の中の学者たちの意見は全部同じになってるよ。後はその考えで導き出した答えが運よく神様の琴線に触れてくれればいいな」
「正しく神のみぞ知る、だな」
「そういうこと。さ、せっかく来たんだからもうちょっとやろうぜ」教科書を置いて練習を再開させようと声をかける。
まだ少し考えてたが「ああ」と返し所定の位置に向かった。
「ふぅ…」息を一つ吐き出し目の前に聳える鳥居を見る。
現在優斗は再び神社を訪れていた。
あの後しばらく練習して、さて帰ろうと教室を出たところで昨日今沢に漫画を貸してほしいと言われてたことを思い出して、帰り支度をしている今沢の元へ引き返した。
鞄から持ってきた分を取り出して机に置き、今沢の鞄を見るとあることに気づく。
教科書がやたらつまっているのだ。しかもよくよく見ると昨日の授業の内容だった。
そのことを訊くとどうやら出し忘れていたようで「やたら重いから何かと思ったんだよなぁ」と事も無げに言う今沢に呆れてしまった。
既にスペースがかなり圧迫されてる為当初の予定の半分しか入らず、やむなく残りを再び鞄にしまい込み下校する。
そして昨日と同じように家に自転車を置いて徒歩で赴いた。
暫く見つめてから目を閉じて昨日の会話を思い出す。
――――強くそれだけを思う。それ以外の事は考えずに。
今度は先日見た夢を思い出す。何度も繰り返し思い出してるおかげで、どこも欠けることなくはっきりと鮮明に思い出すことが出来る。目を閉じればその映像が一瞬で浮かぶほどに。
出会いと一時の別れ、決意と救出、そして再会。夢の中なのに実際に起こっているようだった。
最初の邂逅の怪訝そうな瞳、普通だったら信じないような話を聴いている時の真剣さ、節々で感じた意思の強さ、助け出した時の驚愕に満ちた表情、そして穏やかに笑った時の柔らかな雰囲気。それらを感じたあの瞬間、まぎれもなく彼女はそこに存在していたのだ。
幼稚なことだと分かってる、くだらないなど百も承知だ。
でも…それでも……彼女に会いたい。彼女の為に強くありたい。俺が…護ってやりたい。
ゆっくりと瞼を開ける。その瞳には強い決意が宿っている。
そして足を一歩踏み出し鳥居を潜ろうとする。
すると前方で何かが光った。それは瞬く間に広がり優斗に迫る。
「くっ!」あまりの眩しさに腕を顔の前で翳したが、それだけでは防ぎきれず視界を覆っていく。
たまらずに目を瞑った。そしてその光は優斗を飲み込んだ。
「~~~~~~~」
何だろう?何かの音がする。いや、よく聴けば人の声のようだ。
「――――ぃ!――――ろ!」何を言っている?俺はどうなった?重い瞼を抉じ開け自分の状態の確認と、声の主を探そうとする。
最初に目に飛び込んできたのは銀色だった。次に心配そうに見つめる一人の女性。
「気が付いたか!大丈夫かアンタ!?」目を覚ました優斗に声をかけてくる。
「………は?」ゆるゆると上体を起こしてきょろきょろと周りを見回し、女性をじっと見てから視線を地面に向けしばしの沈黙の後、覚醒したばかりのうまく回らない頭で現状を理解しようとして思わず声が出る。
「え…?何これ?デジャヴ?」驚きのあまり出た言葉は硝煙の匂いを含んだ風に流された。