La Campanella ‐私の優しい叔父さん‐
次の日、朝一に私は大気のことを紅羽にお願いをしていた。
「‥‥‥というわけなんだけど、いいかしら?」
「ちょっと待ってて」
隣のクラスに抵抗なく入っていき、彼女はすぐに戻ってきた。
「うん、いいよ。ラザもいいって言ってくれたから」
あっさりと彼女は了承してくれた。
よかった、これで大気の機嫌を取ることができる。
「そういえば、私へのお礼に白矢君も関わっているの?」
私は先ほどの彼女の言葉に彼の名前があったことを思い出し、彼女に訊いてみた。
「うん。でも、まだ内緒」
「‥‥‥?」
「行けば分かるから」
首をかしげると、紅羽は少しだけいたずらっぽい笑みを浮かべた。
そのかわいらしい仕草につられて、私もいつの間にか目元が緩む。
普段無表情を崩さない彼女だが、少しでも笑うと印象がガラリと変わる。
いつもああして笑っていれば、他のヒト達から絡まれにくいなどと思われないだろうに。
「えっと、大気さんだったよね。早く連絡してあげたら?」
「あ、うん。そうね。せっかくオーケーしてくれたんだものね」
ポケットから白い携帯を取り出し、大気のバイト先に電話をかける。
『―――はい、喫茶柘榴石です』
かけてすぐに優しそうな声が携帯電話から聞こえてきた。
この喫茶店はいつも必ずマスターがワンコールで電話に出てくれる。
「もしもし、奈鶴さん?皐月です」
『ああ、皐月さんでしたか。ちゃんとご飯は三食食べていますか?』
「ええ、ちゃんと食べているわ。大気にも食べさせなきゃいけないし」
『そうですか。それはよかった。あ、大気君はいつもしっかり働いてくれていますよ。本当に皐月さんにはいいバイトさんを紹介してもらいました』
「いえ、こちらこそ大気の面倒を見てもらって助かってます」
『いえいえ。もっとわがままを言ってくださってもいいんですよ。一応私は皐月さんの叔父なんですから』
穏やかで静かな声が鼓膜を揺らす。
私はそのくすぐったいような優しい声が嫌いではない。
いつも私のことを唯一気にしてくれているその声が。
「私は奈鶴さんが気にかけてくれているだけでうれしいからいいの。それに、ちゃんと奈鶴さんは私の信念分かっているでしょ?」
『‥‥‥ええ、そうでしたね。でも、私はもっと頼ってくれると嬉しいんですよ』
「ありがとう。その気持ちだけで十分よ」
こう言えば奈鶴さんは悲しい顔をすることは分かっている。
でも、彼が責任を感じる必要はないのだ。
悪いのは中途半端に私の世話を押しつけた両親であり、奈鶴さんではない。
それをちゃんと彼も分かっている。
分かっているから、奈鶴さんは私に甘えることを強要してこない。
『残念です。でも、私にとって皐月さんは自分の娘みたいなものですから。それは知っておいてくださいね?』
「‥‥‥はい」
はにかみながら言うと、奈鶴さんが電話の向こうで微笑んだ気がした。
それに恥ずかしくなった私は慌てて本来の目的を伝えた。
「た、大気っていますか?伝えたいことがあるの」
『はい、いますよ。少し待っていてください』
電話の向こうで奈鶴さんが大気を呼ぶ。
すぐに何かが暴れるような音がして大気が電話に出た。
相変わらず騒がしい。
『皐月、どうだった?』
「オーケーしてくれたわ。四時半に裏門まで来てくれる?」
『裏門?いつもは正門なのに?』
疑問の声が上がる。
「だって、アナタ目立つんだもの。昨日もアナタのこと訊かれたし‥‥‥」
ちらりと目の前にいる紅羽を見て言う。
また彼女に面倒をかけるのは悪い。
私の視線に外を見て歌っていた彼女が首をかしげる。
何でもない、と口の動きだけで伝えると、また外を見て歌い出した。
「とにかく、裏門だからね」
『ふうん‥‥‥、分かった。四時半に裏門だな』
「そうよ。じゃあ、またあとで」
『りょーかい!あ、オーダー入ったから奈鶴さんに返すね』
分かったと答える前に大気の気配が電話から遠ざかっていく。
勝手に一人で忙しい奴だ。
『すみませんね、皐月さん。いつもはこの時間は誰も来ないのですが‥‥‥』
「ううん、伝えたいことは伝えたからいいの。無駄に大気と話してても疲れるだけだもの」
そばにいる時はいつも一方的にしゃべられて、正直参っているのだ。
これ以上電話で長話されたら堪らない。
むしろ助かった。
『皐月さんは本当に大気君に冷たいんですね』
「‥‥‥何笑ってるんですか」
『ふふ、何でもありませんよ?』
「‥‥‥もういいです」
意味深な笑い方をされた気がして私はムッとするが、口で勝てたことがないので諦めて話を切った。
『えっと、四時半に裏門でしたよね。話を漏れ聞く限り、間に合うギリギリまで大気君にはここにいてもらった方がいいですね』
さすがは奈鶴さん。
大気と違って話が分かっている。
「そうしてもらうと助かるわ。じゃあね、奈鶴さん」
『はい、またお店にも来てくださいね』
ピッ、と電話を切り、携帯電話をしまう。
「電話、終わった?」
「ひゃっ!?」
退屈しのぎも限界に達していたらしく、いつの間にか紅羽は私の背後まで来ていた。
「びっくりした‥‥‥」
「そんなに驚いた?」
「ちょっとね」
電話に集中していたからとはいえ、気配を全く感じることができなかった。
いつもは誰かが近づいてきたらすぐに分かるのに。
不思議な子だなあと思ったが、他のヒト達とは違って彼女となら仲良くなれそうな気がした。
何故そう思ってしまったかは分からないけれど。
「ねえ、まだ時間あるでしょ?少しお話しましょ?」
私は紅羽に興味を持ってしまったらしい。
これ以上関わりを持てば一人に戻れなくなるかもしれない。
それでも私は紅羽に話しかけていた。