◇ ‐バイオリニストとピアニストの独白(Side ラザ)‐
‥‥‥さて、どうしたものか。
銀髪碧眼の少年―――ラザは静かに息を吐き出した。
クレハに、ちゃんとお礼はしろとは言った。
彼女は世間一般の常識にかなり疎いところがある。だから、何かをしてもらったならお礼を言うという意味で教えたはずだった。
はずだったのに。
「‥‥‥何をどう間違ってこんなとになったんだか」
何故かオレがクレハに頼みごとをされてしまっていた。
どうしてそんな展開になったのだろうと訊いてみたところ、
『アナタの好きなものを選んでくれる?』
という言葉が、ことの起こりの一端だったらしいということが分かった。
どうやら『お礼を言え』が発展して『お礼をしろ』と、クレハの頭の中で書き換えが起こっていたようだ。
まあ、今回のことは説明を省いたオレが悪い。
責任は取ろう。
でも、まさか本当に自分の好きなものを選んでくれるとは思ってもいないだろう。
きっと相手は困ってクレハに言ったに違いない。
マジメで純粋なクレハは、お礼をするまで引き下がろうとしなかっただろうから。
『アナタが好きなものを選んでくれる?』
こう言った相手は、本当に無欲な人間だと思う。
とりあえず、言うまで解放してくれないと悟ったらしい。
それでほしいものがなかったので、ああ言ったのだろう。
「仕方ない‥‥‥か」
『私の一番好きなものは、ラザの‥‥‥』
そこまで言われてしまったからには手は抜けない。
と、なると‥‥‥
「優秀なピアニストもほしいな」
しかし、明日急に雇える優秀な者などいるかどうか。
「‥‥‥いや、学校にいたな。優秀な者が一人だけ」
アイツならオレに寸分違わずについてこられるだろう。
全てを記録するために『孤独な悪夢の王』のそばにいるアイツなら。
しかし、いずれ敵対するであろう者に協力してもらうのは、自分でもおかしなことだと思う。
「まあ、オレは敵対しようとは思ってないが」
これは本心だ。
どうせ、逆らっても無意味なのだから。
『孤独な悪夢の王』に、弱い人間の理屈は通用しないのだから。
「分かり切ったことほどつまらんものはない」
どこか投げ遣りな自分の言葉に鼻で笑うと、ポケットから携帯電話を取り出す。
碧の目を閉じて通話口を指でコツコツと弾く。
「―――繋がれ」
そう言って通話口を再度弾くと、水面に雫が落ちたような音が携帯電話から漏れる。
そして、すぐにダイヤル音が部屋に響き、三コール目で相手が出た。
『―――誰だ?』
普通は『もしもし。どなたですか』と出るのが礼儀だと思うのだが。
「ライザス・アーベントだ」
『ライザス‥‥‥、白矢 ラザか?』
皮肉がかった口調で言うと、相手の少しだけ驚いた調子の声が返ってくる。
『何故僕の番号を知っている?』
「さあ、どうしてだろうな?」
薄紫に光る目を開いて笑みを浮かべると、相手―――空月 蒼麻が不機嫌そうにため息をつくのが聞こえた。
『そうか、アンタは音を操り、繋ぐ者か』
「ああ、その通りだ。さすがは『孤独な悪夢の王』の玩具だな」
『‥‥‥貶すためだけに『力』を使っているなら切るぞ』
「そう怒るなよ。オマエにとっても悪い話しじゃあないだろうからな」
『‥‥‥どういう意味だ』
口調が険しくなる。
きっと電話の向こうでも顔を顰めているだろう。
それに満足してオレは口を開いた。
「オレと取引をしないか?」
『取引?』
「そうだ。頼みを聞いてくれたら、オレはこれから起こる反逆に敵として参加をしないと誓おう」
『はぁ?』
驚きと訝しみが混じった声。
『‥‥‥それで、もしアンタの頼みがそちら側につけというのだったら断るが』
「違う。オレはそもそも『孤独な悪夢の王』に逆らうことを望んではいない」
蒼麻の言葉にムッとして顔を顰める。
『オレが降りるからオマエがこちらに来い』という意味合いで言ったのではない。
「オマエがそちら側にいるということは、オマエの周囲の人間が巻きこまれることは必至だ。特に、身体の弱いヤツはかなりの危険が伴う」
『‥‥‥』
この意味が分からないほど蒼麻はバカじゃないはず。
案の定、彼はしばらく考えこむように沈黙する。
『それで、アンタはそちら側を抜けてどうするつもりだ?』
「オレはオマエ達の側につかせてもらう。ついでに情報も提供してやるさ」
『情報?そんなことをしたら危ないんじゃないか?』
「それはうまくやるさ。アイツらは、オレが乗り気じゃないことくらい分かっている。進んで詮索もしてこないし、オレが何をやっていてもあまり口を出してこないしな」
『そうか‥‥‥』
納得したような口調で返してくるが、おそらく蒼麻は完璧にはオレを信用していないだろう。
別に信用してほしいとかは思っていない。頼みを聞いてくれればそれでいいのだから。
『―――それで、頼みというのは?』
「明日オレのバイオリンに合わせてピアノを弾いてほしい。曲は『ラ・カンパネラ』だ」
『それだけか?アンタが対価に渡したものとじゃ割りが合わないが』
「じゃあ、そっちで適当に特典を用意してくれ。明日の下校時間に第三音楽室だ」
電話を切るために耳から放そうとすると、
『―――小早川に頼まれたのか?アンタも過保護だな』
というどこか皮肉がかった声が漏れ聞こえてきた。
「うるさい。クレハだけは普通に生活させてやりたいんだ」
少しだけ声を低くして携帯電話を睨む。
『そうか。アンタは過保護というよりは、惚れた者のよわ―――』
「黙れ」
ブチッと電源ボタンで切ってしまうと、そのまま携帯電話をベッドに投げ捨てる。
深くため息をついていると、ドアの前に気配が生まれた。
ドアを開けてやると、
「‥‥‥ナギサ?」
口元に薄い笑みを浮かべている彼女が立っていた。
てっきり明日のことを訊きにクレハが来たのだと思っていたため、少し驚いた。
彼女はベッドに転がった携帯電話を見る。
「誰かと電話していたの?『力』を使ってまで」
「ああ、まあ‥‥‥」
「そう」
曖昧に頬を掻いて答えると、彼女は意味深な笑みを浮かべ、
「惚れた者の弱み、ね」
オレの碧い目を覗きこむ。
「紅羽がかわいくてかわいくて仕方ないのは、ちゃんとよく分かってるわ。でも、私もあの子が大事なの」
「っ!?」
「あの子が気づいてくれるまでは、あの子は私とあなたのもの。二人とも保護者でしかない」
「‥‥‥」
「まあ、保護者からの格上げ、頑張ることね」
ひらひらと手を振って行ってしまう彼女。
「何故、知っているんだ‥‥‥」
一度として口にしたことがないのに。
ナギサは気づかれていてもおかしくはないが、今まで会話すらしていなかった蒼麻にまで言われてしまった。
数分考えこみながら突っ立っていると、開けっ放しのドアからクレハが顔を覗かせる。
「どうした?明日のことを訊きに来たのか?」
「うん。あと、なぎさからの伝言に」
「‥‥‥伝言?」
怪訝な顔をすると、クレハは頷いて言った。
「『あなた、すごく分かりやすいのよ』、だって」
「‥‥‥」
「どういう意味か分からないんだけど、ラザは分かった?」
かわいらしく小首を傾げて見上げてくるクレハ。
意味が分からないまま、本当に言われた通りに言いに来たのだろう。
「オレはそんなに分かりやすいか‥‥‥?」
深くため息をつき、頭を抱えて呟いた。
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「‥‥‥秋人に、明日一緒に帰れないって言っておかないとな」
先ほどの着信履歴から電話番号を登録しながら、蒼麻はポツリと呟く。
まさか彼から電話がかかってくるとは思ってもみなかった。
関わりはなかったし、携帯電話の番号もお互い知らなかったというのに。
「繋げたい相手に音で干渉する『力』、か。つくづく『力』というものは何でもありだな」
防音室に入り、ピアノのチューニングを行っていく。
しばらく触っていなかったので音が狂ってしまっていた。
「あの曲なら一度弾いていたのを聴いていたから、なんとかなるだろう」
チューニングの終わったピアノの鍵盤を叩くと、キンと小気味よい音が空気を震わせる。
その音が完全に消えるのを合図に、蒼麻は鍵盤に指を置いた。
ラザさん、過保護ですね~。紅羽が分かってないところが、また‥‥‥。
蒼麻君登場!