◆ ‐甘い雰囲気などいりません‐
あの後、紅羽は授業が始まる直前になぎさに送られて戻ってきた。
授業中は私の方をしきりに振り向いて、どこか困ったような表情で何かを気にしていたが。授業中ずっと何だろうと思っていると、彼女は授業が終わるとすぐに私のところに来た。
「さっきは、ごめんなさい。お礼も言わないでいなくなって」
「え、えっと、別に気にしてないから。急ぎの用事があったみたいだし‥‥‥」
私は戸惑い気味に手をパタパタと振る。
まさか紅羽から謝られるなんて思ってもみなかったから。
別に突然連れ去られた彼女が悪いわけではないのだし、謝られても困る。
「それより、まだ質問残ってたと思うけど‥‥‥」
「ああ、それはあれだけでいいってあのヒト達も言っていたからいいの。掃除当番も一ヶ月間やってくれるって。誓約書も貰ったわ」
小さな紙切れを出して見せてくれる。
それにはでかでかと誓約書の文字が書かれていた。
きっとその紙切れの誓約書はラザが書かせたのだろう。彼女達の名前から組、出席番号まで書いてある。
「よかった。役にたてたようで」
「そう。だからちゃんとしたお礼をしたいの」
お礼なんてされるほどのことをしていない。
「いいわ。大したことじゃないもの」
私はぎこちなく口角を上げて言う。
すごく久しぶりに人前で行ったので、ちゃんと笑っているように見えたか心配だが。
しかし、紅羽は私をまっすぐに見て首を振る。
「ラザに、ちゃんとお礼はしなさいって言われているから。何かしてほしいこととか、ほしいものはない?」
「え‥‥‥、でも‥‥‥」
どうしよう。
今回のことで、紅羽は真面目で純粋だということが発覚している。
おそらく、何かお礼を受け取ってくれるまで私を解放してくれないだろう。
私は小さく息をついて紅羽に言った。
「分かったわ。お礼はアナタが好きなものを選んでくれるかしら?」
「私の、好きなもの‥‥‥」
顎に手を当てて考えこむ素振りを見せる彼女。
たっぷり三十秒ほど考えて、彼女は何か思い当たったように手を叩いた。
「分かったわ。頼んでみる。任せて!」
「う、うん。お願いね‥‥‥?」
頼むって、誰に何を頼むつもりなのだろう。
「ねえ、頼むって‥‥‥」
「―――紅羽!ラザが待ってる。早くなさい!」
先ほどのことを訊こうと口を開いたのだが、紅羽を急かす声に遮られてしまう。
彼女は声の主―――なぎさを振り返ると慌てて早口になる。
「明日、帰りに何か用事はある?」
「ない、けど」
「じゃあ、明日の帰りに第三音楽室に来て。詳しいことは明日話すから」
「あ‥‥‥、はい」
「―――紅羽!」
じれったそうになぎさが彼女を攫っていく。
私はそれを前と同じようにぼーっとというか、ぼーぜんと見送った。
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「―――で、どうしてアナタ自転車じゃないのかしら?」
先ほどのことから我に返った私は、のろのろと校門までやって来ていた。
帰りも迎えにくると言っていた大気をキョロキョロと探していると、自転車に乗っていない彼を見つけたのである。
「今日バイトが早く終わったから、先に家に帰ってたんだよ。で、ここまで散歩がてら歩いてきたというわけだよ」
にっこり笑って私に近づいてくる。
しかし私は顔を顰めて二、三歩下がる。
「‥‥‥何で逃げるの?」
「だって、アナタ抱きつこうとしてたでしょ?」
「あら、バレてら」
私の方に伸ばしていた腕を引っこめてペロリと舌を出す大気。
そんなことをしても全然かわいくない。
「それで、どうして自転車じゃないの?」
「ああ、それは‥‥‥」
「それは?」
「少しでも長く皐月と並んで歩きたいからだよ」
「‥‥‥ふざけてるの?」
思いっ切り睨むが、全く動じない彼。
相変わらずへらへらと笑うばかりだ。
「‥‥‥もういいわ。自転車の籠に乗せられない分、ちゃんと買い物で買ったのを持ってよね」
「りょーかい!」
盛大なため息をついて、私達は歩き出した。
大気は例の歌を鼻歌で歌っている。
何かすごく上機嫌そうだ。こっちは彼のせいで心身共に疲れているというのに。
その元気を分けてほしいものだ。
再度ため息をついて前を向くと、何やらかわいらしいカップルが反対側からやってくる。
それをぼーっと見ていると、大気が私の足に引っかけて派手に転んだ。
「わ!?」
あ、結構痛そうに転んだなあと思いつつ、私は冷たく言い放った。
「‥‥‥何してるの?」
「いや、何って皐月の長い足に引っかけただけだけど」
「ふうん‥‥‥」
まあ、私が悪いのは分かっている。
私は仕方なく手を差し伸べて彼を引っ張り起こした。
すると、大気はへらりと笑った。
ウザいなあと思っていると、あちら側のかわいらしい少女が口を開いた。
「いいなぁ~。すっごいらぶらぶカップルだね。とってもお似合いで、うらやまし~い」
‥‥‥うらやましい?
私は思わず方眉を上げた。
大気はその言葉にうれしそうに笑って大声で言った。
「お似合いのカップルだってさ、皐月!やっぱそう見えてるんだよ!」
にこにこと笑う大気に、私はさらに顔を顰めてあちらのカップルを見る。
すると、あちら側の少女も何もないところで躓いた。
あれもなかなか転ぶと痛そうだ。
しかし、少女が頭から地面に転ぶ前に隣にいた少年に抱き留められた。
「気をつけてよ。危なっかしい」
その言葉に顔を赤らめて少女が少年に抱きついた。
「‥‥‥幸せすぎて、溶けちゃいそう」
わあ、何かすごい甘い雰囲気だな。
私は遠慮したいが。
「分かったから、離れて」
「あと、一年」
さも迷惑ですって声で言っているが、少年の顔はすごく赤い。
少女はそんな少年を無視してぎゅーっと抱きついている。
何か少年の方はいっぱいいっぱいって感じだ。
「お願いします。離れてください」
「いーやー。あと一年と半年」
「なんか増えてるし。分かった、今離れてくれたら明日の朝迎えに行ってあげる」
「まじですか。わーい」
目をキラキラさせて素直に離れる少女。
その様子を見ていた大気がちらりと私を見て、いいなぁと呟く。
そしてニヤリと笑ったかと思うと、私にガバッと抱きついてきた。
「なっ!?」
「あれだけ見せつけられたら我慢できなくなった」
ぎゅうぎゅうと抱きつく大気に私は悲鳴のように叫ぶ。
「放しなさい!ちょっと‥‥‥!」
頭を叩くが、離れてくれない。
「大気っ!離れてってば!」
「ヤだ」
駄々をこねる子供のように私から離れようとしない。
私は恥ずかしさよりも怒りで顔が赤くなるのが分かった。
「―――いい加減にしろっ!!」
唯一自由な足で彼の足を思いっ切り踏みちぎる。
「ぎゃいんっ」
子犬のような悲鳴を上げて飛び上がる大気。
私は必死に呪縛から逃れ、大気を睨みつける。
「もう!馬鹿やってないでさっさと行くわよ!」
「え~!待ってくれよ皐月ぃ」
大股で歩き出すと、涙目で追いかけてくる大気。
むこうでぽかんとしたような顔でカップルが見てくるが、無視してそのままスーパーへと向かった。
今日も大気は元気に変です。はい。