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地獄の沙汰も金次第

作者: 夏川優希

「いや、申し訳ございませんね。先生ほどのお人なら本来は閻魔大王が裁判官を務めるのが普通なのですが、いかんせん大王は多忙でして」


 女が開口一番にそう言う。

 ここは死後の処遇を決める裁判所である――と、先ほど私に付き添っていた鬼が説明していた。と、すると位置的に見て、彼女が裁判官なのだろうか。私が今までに見てきたどの裁判官よりも若い。

 私は人の好みそうな笑顔を作り、いやいや、などと言いながら手を振った。


「閻魔大王というのには一度会ってみたかったが、でもまぁ構わないよ。むしろ綺麗な御嬢さんが裁判官で良かったかもしれない」


「先生にそう言っていただけるとは、光栄です」


 女は唇以外一切の筋肉を動かさず、そう言った。まるで良くできたアンドロイドみたいだ。いや、最近のアンドロイドは良くできているからアンドロイドの方がまだ愛想がいいかもしれない。


「では、裁判とやらはいつ始めるのかね」


 私はあたりを見回しながら尋ねる。

 見たところ傍聴席というものはないようだ。部屋にあるのは被告人の入る赤く塗られた背の低い囲いと、裁判官の赤黒く、背の高い机だけ。そして、その机のそばには用途の良く分からないモノが雑多に積まれている。さすが黄泉の国の裁判所というべきか、裁判官のそばに控えている数名の秘書や雑用係といった者達の頭からは角が生えていた。


「いえ、実は判決はもう決まっているんですよ」


「おお、なるほど」


 私はようやく納得した。つまり、今こうしているのは事前の打ち合わせであり、これから行うのは結果の決まった裁判なのだろう。彼女は検事やらなんやらが来る前に、私に「すべて繕っておくから心配するな」と伝えたかったのだ。


「そうかそうか。そりゃ良かった、安心したよ」


 そう言って私は豪快に笑う。我ながら貫禄のある笑い声だ。

 そして女は高らかに声を張り上げた。


「判決、鬼籍193組27番を地獄行きとする」


「は」


 言っている意味が分からなかった。

 声が出ない。頭に血が上り、ぼうっとする。視界が暗くなる。

 とにかくなにか喋らなくては。


「ええと……」


 私は気を取り直し、わざとらしく首をひねって眉間にしわを寄せた。この顔をすると、秘書達は大抵狼狽える。


「その……鬼籍193組27番とは、誰の事なんだね?」


「あなたですよ、先生。他に誰がいましょう」


 抑揚のない、まるで感情の欠如してしまったような声で女は言った。この女に、狼狽えるなんて機能はついていないようだ。

 そして女は生気の抜けたような目で私をじっと見つめた。女の目には、光がない。


「それは……何かの勘違いじゃないのかね」


「いいえ、確かにあなたは地獄行きです」


「それが、決定した判決だと言うのか?」


「その通りです先生。これにて裁判は終了です、お疲れ様でした」


 開いた口がふさがらないとはまさにこのことだ。言いたいことがいっぱいありすぎて口は開いているものの、喉で渋滞を起こしているからいつまでたっても言葉が外に飛び出すことがない。


「どうしました、そんな顔をして」


「今のが……裁判だったのかい?」


「そうです」


 女は淡々とした声で、堂々とそう言い切った。自分は何も間違っていないという口ぶりだ。これほどまでに言い切られてしまったら私の知っている常識の方が間違っているような気がしてくる。

 それでもここで引き下がるわけにはいかないと、私は困ったような笑みを作り、恐る恐ると言った風にして口を開いた。


「裁判というのは普通……弁護士や検事などを呼んで行うんじゃないのかね」


「さすが先生、人の世界の裁判の仕組みにも精通してらっしゃるのですね」


 女は驚いたように目を丸くして見せた。

 しかしその仕草はどこかわざとらしく、人工的な雰囲気が漂っており、やはりアンドロイドみたいだ。

 私は思わず苦笑いを浮かべた。


「いや……それくらいは小学生だって知っているよ」


「そうですか。あぁ、先生は裁判が初めてではないのですよね。でしたらこの世界の裁判に違和感を持たれるのも当然だ」


 なんと言ったらいいか分からず、取りあえず頷く。普通なら怒鳴っても良い状況のはずだが、女の奇妙な言動に気圧され、怒るタイミングを逃してしまった。

 どうにも、この女のペースに飲まれている気がする。


「では、なぜ人の世界の裁判では弁護士や検事、そして証人が必要なのか。先生はどうしてだと思われますか」


「そりゃ……事件の真相を探るためだろう」


「そうです。事件を色々な角度から見て真相をあぶりだす必要があるんですね。しかし、こちらの世界では真相をあぶりだす必要がありません。なぜなら私たちは真相を見ているのですから」


 面食らってしまい、しばらく口がきけなかった。少し戸惑ったものの、私は正直に首を振る。


「すまないが、ちょっと意味が……分からない」


「分かりませんか。つまり、私たちはこちら側からあなた達の事を監視しているんですよ。悪いことをすれば、誰も見てなくてもお天道様は見ているって言うでしょう。そういう事です」


「つまり、私の悪事も御見通しという訳か……」


「そうなのです。つまり、私たちは完璧な裁判を行ったわけです。ですからあなたの地獄行きは覆らな――」


「すまなかった!」


 私の周りを囲っている赤い柵につかまりながら、跪くようにして頭を下げる。

 女は私のこの突然の行動に狼狽える様子もなく、私を見下ろしながら口だけを動かすようにして言った。


「突然どうされました」


「確かに私はたくさんの罪を犯してきた。政治家がここまで上り詰めるには多少後ろ暗い事もしなくてはいけなかった。だから地獄行きになるのも当然だ。でも私が地獄行きをごねたのには――理由があるんだ」


「ほう、是非聞かせていただきたい」


 私は目に涙を浮かべながら女を見上げた。

 そしてすすり泣くような声でポツリ、ポツリと語りだす。


「先ほど話にも出たが、私は裁判にかけられたことがある。金がらみで色々あってな。私は自分で言うのもなんだが、かなり大物の政治家だ。私の罪が露呈すれば困る者達がたくさんいる。家族と路頭に迷う事になる者も1人や2人ではないだろう。だから――」


「秘書に罪をかぶってもらった、ですか」


「やはり御見通しという訳か。そうだ、罪をかぶってもらった。彼の政治生命は絶たれることになるが、その代わりに何人もの人が助かるのだ。もちろん秘書やその家族の一生のサポートはするつもりだった。しかし秘書は……君なら知っているだろうけど」


「自殺、ですね」


 女は一切口ごもることなく、知ってて当然と言った風な顔で――いや、表情は全く変わっていなかったのだが私にはそう言う風に見えた。

 私は地面に視線を下ろし、1回大きく瞬きをした。大粒の涙が零れ落ちる。

 死んでも涙が枯れていないことに、なんだか妙な喜びを覚えた。


「そうだ。まだ若いのに……可哀想な事をしてしまったとずっと後悔していたのだ。誠実な彼の事だから今はきっと天国にいるのだろう。私は彼に謝りたいのだ、だから自分の罪をごまかした。天国に行って彼に謝れるように」


「なるほど、確かにあなたの考えている通り、彼は天国にいます。まぁ、悪い事もしていましたがどれも誰かに命令されたことであり、彼自身はなかなかに真面目な男でしたからね。可哀想な最期だったこともあって情状酌量しました」


「やはりそうか。彼は良い男だったよ。政治家にしては少し狡さが足りなかったが、人格者だった。だから私は――」


「利用したんですね。人格者の彼を」


 女は驚くほど冷静にそう言った。あまりにも何気ない言い方だったので危うく頷いてしまうところだった。

 私は慌てて首を振る。


「利用したという言い方は心外だ! 私だって苦渋の決断だった、他の大勢を守るために仕方なく!」


「大勢を守るために仕方なく、ですか」


 私は声のトーンを落とし、頭を垂れた。


「そうだ、私だって胸が痛かったよ」


「先生」


 女の呼びかけに呼応するように顔を上げる。

 女はしばらく私を生気のない目でじっと見つめてから、ゆっくりと口を開いた。その声のトーンは先ほどまでよりもいくらか低い気がする。


「あんまり嘘ばっかりついていると、舌を抜かれてしまいますよ」


 首筋にナイフを当てられたような悪寒が私の体中を這いずり回った。


「う、嘘などついていない! すべて本心だ」


「まだしらを切りますか。担当裁判官が閻魔大王でしたらとっくに舌を抜かれて地獄に放り投げられていますよ」


「本当なんだ、信じてくれ! 確かに私は少々薄情な人間に見えるかもしれないが、心の底ではいつだって秘書に謝り続けていて――」


「埒があきませんね。仕方がない、奥の手です」


 そう言った次の瞬間、女の姿が消えた。空っぽになった裁判席を見て、私は目を丸くする。あたりを見回すも、女の影さえ見えなかった。

 裁判席の近くで佇んでいる鬼たちも私と同じように目を丸くし、驚いたような顔をしていたが、私のそれとは違った感情も混ざっているような気がする。


「こちらです、先生」


 女は隣に立ち、私の顔を覗き込んでいた。


「うわぁ! 何なんだ一体!?」


 私は思わず声を上げ、女から少し離れた。

 女からは気配が全くしなかった。目の前にいるのに、まるでそこに存在していないような気さえする。彼女の実態が実はホログラムだと言われてもさほど驚かないだろう。

 女は手をゆっくりと振り上げた。手には長方形の赤い紙切れが握られている。


「失礼します」


 そう言うと、女は高く上げていた手を一気に私の鳩尾めがけて振り下ろした!

 私は言葉にならないうめき声を上げながら一歩、二歩とよろめき、最後には手すりに捕まりながらしゃがみこんだ。


「少々痛かったかと思われますが、まぁ我慢してください。地獄ではもっと痛い目を見るんですから」


 気がつくと、女は裁判席に戻っていた。まるで幻覚でも見ていたような気もするが、鳩尾の痛みがこれは現実だと叫びをあげている。

 呼吸が苦しい。鳩尾をこんなに強くつかれたことなんか今までに体験したことがなかった。まさか、死んでから体験することになろうとは。

 私は体中の力を振り絞るようにして立ち上がり、絶え絶えながらもなんとか言葉を発した。


「何を……」


 女は目を爛々と輝かせながら苦しむ私を見た――気がした。


「舌を、ね――」


 やはりすべての感情が消されてしまったような無味乾燥な表情をしてはいるが、声にはほんの少しだけ喜色が滲んでいる。


「付けたんです」


 思いもよらない答えに、私は一瞬言葉を失う。目を丸くしたまま固まってしまったのだ。

 しばらくその状態が続いた後、ようやく意識を取り戻した私は素っ頓狂な声を上げた。


「つ、付けただと? 抜いたんじゃなくてか」


 言い終わってから我ながら間抜けな物言いだと気付いた。しかし、女はそんなこと気にしていないのか、はたまた表情に出ていないだけなのか分からないが、少なくとも表面上はおかしなことなど何もないような真面目な顔で頷く。


「はい。舌を抜くのは私の美学に反します。やはりすべての罪を自らの口で吐露していただかなくては。出来れば舌を付ける事もしたくはないのですが、言わないのならば仕方ない」


 私は思わず口に手を突っ込み、中を確かめた。いくら調べても舌に異常はなく、私はホッと胸をなで下ろす。


「それではもう一度、質問です。罪を秘書に被せたのは何故ですか」


「何度聞いても同じだ、私は他の議員達のためを思って」


『金と権力を失うのが惜しかった!』


 どこからか、下品で汚らしい濁声が飛び出した。慌ててあたりを見回すも、誰も口を開いてはいない。


「なるほど、では他の議員たちの事は」


『そんなのはどうでも良い! でも恩を売れたわけだからそれはそれで役に立ったよ』


 私が口を開くより先に、またあの濁声が飛び出した。

 その濁声の話している内容にも腹が立ったが、それよりもまずその声自体に生理的嫌悪を抱いた。ザラザラとした声質で、俗っぽく、それでいて他人を見下したような喋り方――不快な点を数え上げたらきりがない。

 私はあたりをキョロキョロと見回しながら声を荒げた。


「なんなんだ、一体誰が喋っている! 悪戯か、無礼にも程があるぞ」


 女は冷ややかな目で私を見下ろしている。


「あなたは少し黙っていてください。その口はお呼びでないのです」


「なんだと!」


 女は私を無視して話を進める。


「それで、秘書の自殺についてはどう思われているのですか」


『いやぁ、うまく死んでくれて安心したよ。これで私の罪は完全に闇に葬られたわけだからな。ヤツめ、最初は死ぬのをごねて嫌がったんだ。まぁ、家族の事をチラつかせて脅したら最終的には頷いたんだがな。家族だってヤツの保険金が入っているはずだから文句ないだろう』


 やはりあの醜く汚い声が女の質問に答えた。その声には得意げな響きが混じっており、まるで自分の武勇伝を語っているようにも聞こえる。


「自殺した秘書の事をどう思ってますか」


『どうって――』


 この時、私はようやくこの声の方向を把握した。

 恐る恐る顎を引き、視線を下へと降ろす。


『ようやくあの木偶の坊が私の役に立ったってところだ。アイツも最後に私の役に立てて本望だったろうさ』


 声は私の――鳩尾から聞こえた。


「なっ、なんだこれは!」


「あなたの新しい舌ですよ。さぁ、自分の罪を洗いざらい吐露してください」


「やっ、やめろ!」


 私は鳩尾を手で抑え込み、うずくまった。

 次の瞬間、激しい痛みが私の右手を襲う。慌てて手を自分の顔の前に持っていくとそこには手が――手がなかった。


「うわああぁぁ、なっ、なんなんだ! やめてくれ、何なんだ一体!」


「あらあら、駄目ですよ。嘘つきが真実の口に手を入れたら。まぁすぐに生えてきますからご安心を。地獄で鬼に体を引き裂かれてもちゃんと再生します。何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も……きちんと再生するのです」


 ヒィッ、という声にならない叫び声をあげ、私は膝から崩れ落ちた。

 女はそばに控えていた鬼たちに目で合図を送りながら静かに口を開く。


「では、そろそろ連行して差し上げなさい」


「待ってくれ! 頼む、悪かった。反省している! もう二度としない、頼むから――」


「おや、あれだけ言ったのにまだ地獄行きを覆そうとしているのですか。そもそも、あなたを天国に行かせたところで私に何の得がありましょう」


 私は汗と涙と涎でぐしょぐしょになった顔を隠そうともせず、手すりに縋り付くようにして叫んだ。


「金か! 金ならあるぞ、いくらだ、いくらで手を打ってくれる!」


「金、ですか。地獄の沙汰も金次第とはよく言ったものですよね」


 そう言って女は視線を私から外した。女の目は一瞬右上を向き、そしてすぐに私の顔に戻す。


「10万で良いですよ。それで新しいスーツを買います」


「10万! それで良いのだな、10万なんか安いもんだ。すぐに10万用意しろ!」


 誰も返事をしない。

 私はようやく思い出した、ここには秘書がいないのだ。慌ててズボンのポケットを探るが、中には財布どころか埃すらも入っていない。

 私は左手のひらを前に突出し、必死の思いで女に頼み込んだ。


「ちょ、ちょっと待っててくれ。銀行にはたんまりと金があるし、10万くらいなら財布に入っている! 小切手だって――」


「亡者がどうやって銀行から金を引き出すのです」


 女は冷たい声でそう言った。

 氷の刃で胸を貫かれたような痛みが私に襲いかかる。

 私はよろけ、そのまま手すりに捕まりながらズルズルとしゃがみ込んだ。私の体を支えてくれる秘書はもうどこにもいない。


「幽体が、たとえ紙切れ10枚だとしてもここまで運ぶことなんか不可能なんですよ」


「お前、最初から分かって――」


 体が震えてうまく言葉にならない。声までも波打つように震えてしまい、非常に聞き取りにくい。それでも女には言葉の意味が理解できたようで、「もちろんです」などと言いながら頷いた。


「ですから言ったじゃないですか。地獄の沙汰も金次第。しかし、亡者は金なんか使えないんですよ。当然ですよね、死んでいるんですから。つまり、地獄の沙汰は何物にも操作できないという事です。いやぁ、いい言葉です」


 恐怖で口が開かない。ガチガチと歯が鳴る音だけが耳に充満している。

 屈強な二人の鬼が私の両側に立ち、腕をつかむ。そして半ば引きずるようにして黒い扉に近づいて行った。扉にはめられた銀色のプレートには、はっきりと大きく『地獄』の二文字が彫られている。


 鬼は静かに扉を開いた。


「金も権力も通じない世界で苦しみ続けるがいい。それがあなたに課せられた罰です。もう誰も、あなたを守ってはくれませんよ」


 どこまでもどこまでも続いている狭くて暑くて真っ暗な階段が私を飲み込んだ。

強欲な政治屋の話

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「嘘つきは閻魔大王に舌を抜かれる」と言いますが、ここでは「真実を話す舌を着けられる」点に発想の妙を感じました。 この話の主人公の様な人間にとっては「嘘を話せなくなる」よりも、「真実が明る…
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