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君に会いに  作者: 伊簑木サイ
アリィ編
41/44

   16

 アリエイラとヒスファニエが婚姻の契りを交わしてから約半月後、彼の試練の儀はとうとう終わった。

 神殿のある丘から浜へと下りながら、彼が海を指差して、彼女の迎えの船も来ているようだと告げた時、彼女の胸にわいたのは、喜びではなく、恐怖だった。

 彼は、背の低い彼女では木立に邪魔されて見えないだろうと、気を利かせて抱き上げてくれたが、アリエイラは彼の首筋に顔をうずめて、そちらを見ようとはしなかった。

「私を迎えに来る者などいません」

「そうだったな」

 なだめるように、背中を優しく叩いてくれる。そして、昨夜も言っていたことを、繰り返して言い聞かされた。

「アリィ。俺から離れるな。誰も見るな。何も覚えていないと言い張るんだ」

「はい」

 もちろんだった。二度とブリスティンに帰るつもりはなかった。

「アリィは俺のために神が招き寄せたんだ」

「君は俺の妻だ」

「俺たちは神が認めた夫婦だ」

 彼は何度もそう言って、キスをくれる。問題ない、心配するな、と。

 アリエイラも、もう、彼と出会えた奇跡を疑ってはいなかった。これが神の御業(みわざ)でなくて、なんだというのだろう。

 しかし、当事者の二人でさえ、出会ってすぐにそうだと悟ったわけではない。迷い、疑い、躊躇って、それでも消せない衝動に突き動かされて、思いを確かめ合った。

 それを他の人々に理解させるには、もっとたくさんの時間と労力がかかるだろう。

 きっと、道は険しい。けれど、どうしてもこの人と共にありたい。

 アリエイラは彼の胸にすがって、少しだけ泣いた。

 どうして涙が出たのかはわからない。

 不安はあったけれど、悲しくはなかった。ただ、彼女の心の中は、彼の存在でいっぱいになってしまっており、彼が彼女のために何かしてくれると、すぐに気持ちがあふれて、息苦しく感じられる。

 今の彼女には、苦難や困難さえも、二人の愛を確かめるためのものでしかないのかもしれなかった。


 砂浜が始まる手前の林の中、つまり神域内で彼は立ち止まり、アリエイラを背に隠すようにして立った。

 そうして彼は、側近と思われる人たちにアリエイラを紹介するより先に、自分の首に刃物を当てて、その命を盾にして、彼女を王妃とするのに協力するよう、脅しをかけた。

 アリエイラは驚いて、彼に取り縋って、危ないことはやめてくれるように頼んだ。彼に何かあったら、耐えられない。

 だが、側近たちが協力を神に誓うまで、彼は頑として聞き入れてくれなかった。

 だから、彼がナイフを収めて、もう安心だと振り返った時、彼女は心配するあまり、怒るしかできなかった。

「なんてことをなさるんですか! 私のために命を危険にさらすなど、してはなりません!」

「大丈夫だと言っただろう」

「今回は、でしょう? 二度と、なにがあっても、こんなことをなさってはなりません。あなたはユースティニアの王となる方なのです。お願いです、二度となさらないと誓ってください」

 アリエイラは必死の思いで、彼に言い募った。なのに、彼は小首を傾げてご機嫌でニコニコしながら彼女を眺めていたあげく、誓わない、と無頓着に言い放ったのだった。

 女であるアリエイラの諫言など歯牙にもかけない、男の、あるいは、王太子の傲慢さを隠そうともしない、挑発的な言い方だった。

 この人は、彼の命を危険にさらしてほしいなんて、アリエイラが本当に思うと考えているのだろうか。さっきだって、心臓が止まりそうだったのに。

 アリエイラは、君のためなら命も惜しくないと、さも自慢そうなそれが、怖かった。

 彼女は彼の手を振り払って、後退った。こんなことを繰り返すなら、彼について行けなかった。

「でしたら私はこの島から出ません。この島で、死ぬまで一人で暮らします!」

 彼女はそう叫ぶと、身をひるがえして、先ほど辿ってきた道なき道を走って逃げようとした。が、何歩もいかないうちに、彼に抱き留められてしまう。

「いやですっ。放してくださいっ。いやっ。いやっ。絶対にいや! 私のせいであなたが傷ついたり死んだりするなんて、絶対にいやなの!」

 彼女は身をよじり、まだ逃げ出そうとしながら泣いた。彼が危ない目に遭うのを考えると、恐ろしくてたまらなかったのだ。

 涙の跡にキスをされて、優しく慰められる。聞こえてきた、痛みを含んだ彼の思いがけない声に、動きを止めた。ゆっくりと彼に向き直り、目を合わす。

「君の気持ちはわかった。でも、俺の気持ちもわかってくれ。君を失ってまで生きていたくないんだ」

「そんなことをおっしゃらないで。人の寿命は神のくださったもの。自らが決めていいものではありません。まして女はお産でも簡単に命を落とす存在です。そんな女と、王たるあなたを同列にあつかってはいけません」

 彼女は彼をしっかり見据えて諭した。

「アリィ」

 彼は苛立しげに彼女を呼んだ。でも、その瞳は傷ついたように揺れていた。

 彼女は思わず、彼の頬を両手で包んでさすった。彼を悲しませたいわけではなかった。彼を何よりも大切に思っていることを、だからこそ彼自身を大切にしてもらいたいのだと、わかってほしかった。

「私になにがあっても、生きて。あなたには生きていて欲しいの。それが私の一番の願いなの」

 彼は目を見開き、次いで切なげに目を細めた。喰いしばった歯の間から、押し出すようにして、言葉を吐き出してくる。

「……君は俺と一緒に生きるんだ」

 愛しい願いに、アリエイラの胸は引き絞られた。

「ええ。私はあなたの妻ですもの」

 そして、彼の唇に、しっとりと口付ける。痛々しく引き結ばれているその唇を、幸せそうにほころばせたかった。

 私のすべてであなたを愛している。あなたの幸せを願っている。この命ある限り、あなたの傍にいるから。

 思いを込めて彼を見つめる。彼も食い入るように、彼女を見つめていた。

「わかった。誓う。君のために、生きるよ」

 しばらくして、切なげに顔を歪めて、彼はアリエイラを抱き寄せたのだった。


「だが、同時に誓う。もし、君が傷ついたり死んだりしたら、手を下した者も、指示した者も、必ず見つけだし、滅ぼしてやる」

 低く唸る響きでたてられた誓いに、アリエイラは息を呑んで身を固くした。彼は彼女をもっと強く抱き締め、側近たちにも苛烈な調子で、アリエイラを守るように命じた。

 そんな彼は激しく、冷酷な印象さえあった。けれど、だからといって、捨てた祖国の王子たちと同じだとは、思わなかった。

 彼は王になる人だ。そうなれば、慈悲ばかりかけるわけにはいかない。むしろ、非情に徹しなければならないだろう。

 それでも、彼は、憎しみがどんなものなのかわからなくなった、と言ったのだ。それにどんな意味があるのかと。そんなものに囚われるのはやめるべきだと。

 彼の芯には、賢明なあたたかさがある。それに、本来の彼は、惜しみなく救いの手を人に与えることのできる人だ。アリエイラは、それを知っている。

 だから、この人の妻になりたいと、願ったのだ。

「すまない。怖がらせるつもりはなかったんだが」

 怒りを治め、我に返ったように言う彼の胸にすりより、答える。

「怖くなんか、ありません」

 どんなあなたも、愛しい。

 もっとたくさん、私の知らないあなたを見せて。もっともっと、あなたを知りたい。

「君は神が俺に賜った妻だ」

 彼は人前にもかかわらず、愛しげに、誇らしげに囁き、キスで愛をアリエイラの中に吹き込んでくれた。どこであっても、いつであっても、彼女の不安を払ってくれようとする。

 何度でも。

 きっと、アリエイラの中で果てなく湧き出るこの気持ちのように、彼の中にも、同じ泉があるのだろう。

 触れる唇の熱さと優しさに、そう確信できる。

 彼女は、神域のあの泉を思い出した。中央から次々と湧き出る波紋が、縁に向かって広がる様を。あの、汲めども尽きぬ、清らかな水のように。

 この愛も、尽きることはないのだと。


 アリエイラにはヒスファニエしか見えていなかった。

 なぜなら、それまでの自分も、祖国も捨ててしまった彼女には、彼しかなかったのだから。

 だから、気付かなかったのだ。

 彼女を迎えに来たブリスティンの者たちが、幸せそうにヒスファニエと口付けを交わす彼女を、どんな目で見ていたのかを。

ヒスファニエ視点 「別れ」1、2、3

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