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君に会いに  作者: 伊簑木サイ
アリィ編
37/44

   12

 もう帰れない。

 彼の腕の中で、アリエイラはそう思った。

 だって、他の男など、絶対に選べない。

 彼はきっと、祖母が言っていた、アリエイラの『生きるべき道』だ。ならば、彼のいる所がアリエイラのいるべき場所。

 なのに、どうして祖国に帰らなければならないなどと考えていたのだろう。あそこには、アリエイラの生きる道などないというのに。

 アリエイラは自分の居場所を見つけた高揚感に、笑みを浮かべた。

 だが、そう悟ってしまえば、次に気になるのは、彼の過去と未来のことだった。それはアリエイラの問題でもあった。

 彼が一生ここに一人でいるというのなら、アリエイラはそれに寄り添うだけだ。なんの問題もなかった。

 でも、これほどの人が本当に、放っておかれるなどありえるのだろうか。

 彼は、この島に一人で置いていかれた、と言っていたように思う。島流しにされるのは、大罪を犯した犯罪者が一般的だ。だから、アリエイラはずっと、彼がなにかの間違いで人を殺してしまったのだと思っていた。

 けれど、そうされるのは犯罪を犯した人間だけではない。政治的な理由で罪を被せられた者も、同じ憂き目にあう。

 それが追放だけで終わるのならいい。しかしたいていは秘密裏に暗殺者がよこされ、後の憂いとならないように殺されてしまうものだ。

 アリエイラは実際に、王妃教育の中でそうするようにと教わってきた。たった一人への慈悲が、多くの民の災いとならぬようにと。

 そうであるならば、彼の命も危うい。アリエイラも彼のために備えなければならない。

 なにができるかわからない。なにもできないかもしれない。それでも、できるだけのことはしておきたかった。

 アリエイラは身を起こして、少しだけ彼から離れた。どうしたと不満げな、彼の目を覗きこむ。

「もう一つお聞きしたいことがあるのです。あの、お話できないならば、無理にとは申しません。そうおっしゃってください」

 彼が軽く首を傾げたのを了解の意と取り、質問を続けた。

「ファー兄さまは、なぜこの島に一人でいらっしゃるのですか?」

 彼は困ったように、アリエイラを見た。話せないと拒絶されたら、もうしばらく時期を待とうと思っていた。でも、彼は話そうか話すまいか迷っているように見える。ならば、このままごまかされてしまう前にと、彼女は無邪気さを装って聞きだすことにした。

「あの、怒らないでくださいね? 私、お兄さまがここに一人で置いていかれたと聞いたような覚えがあって、だからずっと、何か犯罪を犯した人なのだと思っていたのです」

「そんなこと、言ったか?」

「よく覚えていないのですが、たぶん、浜辺で拾ってもらったときに。でも、ファー兄さまは怖い人に見えなくて。きっとなにかの間違いで罪を犯してしまったんだろうって」

 彼はしばらく考え込むようにして彼女を見ていたが、やがて、落ち着いた声で教えてくれた。

「罪は犯していない。俺はここで時期を待っているだけだ」

「時期?」

「ある(いさか)いで命を狙われるかもしれないから、ここに(かくま)われているんだ」

「そうでしたか」

 アリエイラは、とりあえずほっと息をついた。彼が追われるばかりの立場でないことに安心した。彼を守りたいと思う人々が、他にもいる。それだけで心強かった。

「安心したか?」

 俺が人殺しじゃなくて。言外にからかっているのがわかる声音に、彼女は安心の反動もあって、キッと強いまなざしを向けた。

「初めから、お兄さまが理由もなく恐ろしいことをする人だとは思っていません。でしたら、私は今ごろ、ここにこうしていられなかったでしょう」

 彼女は半ば怒って言ったのに、彼はくすくすと笑った。その目がいつも通り、可愛いなあと言っている。18歳だと言ったのに、態度が全然変わらない。

 アリエイラはなんだか脱力して、しかたがないと思った。彼女がどんなに怒っても拗ねても泣いても、それらは全部、彼の腕の中に納まってしまう。体の大きさだけでない、人として器の大きさが違うのだろう。

「明日はこの付近を案内してやろう。あの葡萄は、それほど離れていないところになっているんだ。そこにも行こうか」

 彼が楽しげに未来の予定をたててくれる。アリエイラがにっこりとして、はいと返事をすれば、いい子いい子と撫ぜられる。

 けっしてこれが嫌なわけじゃない。むしろ心地いい。だけど、いつまでも子供みたいに扱われるばかりでいては駄目なのだ。

 だって、絶対にこの人を失いたくない。私もこの人を守りたい。どうしてもその力が欲しい。アリエイラは、ただ強く求め、願った。

 彼女はもう、己の非力さを哀れんだり嘆いたりはしなかった。そんなことは、思いもつかなかった。

 心の底からの願いを前にして、真摯に全身全霊で臨むしかなかったのだ。


 翌日、彼に案内されて、坂を下った先にある大きな建物へと踏み入った。

 中は薄暗く、ひんやりとしていた。正面の奥、おそらく祭壇の上部にポツンと設けられた丸窓から、小さな光が差し込んでいるだけだった。

「ここは」

 それきり、アリエイラは思い当たった事実に言葉が出てこなかった。

「ああ。セレンティーアの大神殿だ」

「ここは神殿島なのですね」

「そうだ」

 ゲシャン海域で最も尊い聖域。その昔、セレンティーアの神託を授かっていた場所。今は主なき無人の地、神殿島。

 今でも神の意にそぐわぬ者が踏み入れば、たちまちにして神罰が降ると言われている。

 アリエイラは畏れ多さに歩みを止めた。けれど、彼はかまわず彼女の背を押し、祭壇のレリーフの前まで歩を進めた。

 大扉と丸窓から入る光だけでも充分見分けられるほど、そのレリーフは白く、巨大だった。

 中央に神々の王、創世の神セレンティーアがおわし、その足元にはかの神を崇め仰ぐ幾多の神々が控えている。そして雲によって区切られたその下、地上と海には人間と数多の生き物が平伏していた。

 セレンティーアはすべてを見みそなわされ、世界を知ろしめす。たとえ愚かな人間に、お声をかけてくださらなくなって久しいとしても。その神力を惜しむことなく陽の光として、くまなく地上を照らしてくださる。まさに、神の愛が地上に生きとし生けるものを育くんでいるのだ。

 アリエイラは床に落ちた丸い光の前で自然と跪き、頭を垂れた。

 神よ、感謝いたします。

 心の中で深く祈りを捧げる。

 地を這い生きるものへの恵みを。この島に踏み入るのを許してくださったことを。なによりも、彼に出会わせてくださったことを。彼を生かしてくださっていることを。その彼の傍に生きて居れることを。そう。この奇跡こそを。

 アリエイラは本来、彼に出会うはずもない場所で生きてきた。ブリスティンとイフィゲニーの王宮の奥深くで、大事に守られ、そこから滅多に出ることはなかった。

 その数少ない外出の機会に、たまたま嵐に遭い、偶然にもこの島に流れ着いた。

 彼もまた、常ならばいるはずもなかったこの島に滞在しており、アリエイラが息のあるうちに拾ってくれた。そして、敵国の娘と知っていながら、親身になって面倒をみてくれた。

 ここにこうして彼といるのに、いったいどれほどの奇跡が重なっていることか。これが神の御業でなくて、なんだというのだろう。

 祈りを捧げ終わり、気配に隣を見ると、彼もまた跪き、アリエイラを見守っていた。

 彼女は微笑みかけた。まだ教えてもらっていない、この人の本当の名前を呼びたいと思った。愛しくて、切なくて、彼女はその純粋な思いそのままに、美しく笑みを深めた。

 彼は真剣なまなざしで、彼女を誘うように腕を開き、なぜかそこで動きを止めた。その瞳に、どこか請うような色を見つけ、まさかと思う。そんなはずがない。同じ切なさと恐れを彼が抱えているなんて。

 それでも、アリエイラは自ら手を伸ばして、彼の手に自分のものを重ねた。彼女がそうしたかったのだ。

 その瞬間、力強く引かれ、その胸の中に引き込まれる。

 喜びが胸に満ちる。心だけでなく体も、彼を求めてやまなかった。アリエイラはもっと彼に近付きたくて、彼の背に腕をまわし、掌と指でたどった。厚い筋肉のついたそこにしっかりと当て、彼の胸にすりよる。

「アリィ」

 呼び声が触れた場所を通じ、体中に響いて、体が疼いた。

「はい」

 吐息まじりに答えると、彼女のすべてが彼に向かって開いていくように感じた。この人に何もかもをあげたかった。心でも体でも命でも、アリエイラの持つもの全部。

 彼の大きな手に頭を抱えるようにされ、上向かされる。彼の瞳に真っ直ぐに覗きこまれる。無心に見返す。

 あまりに近くて、彼以外、なにも見えない────。

 唇に乾いた柔らかいものが触れた。その瞬間に体を走り抜けていった感覚に、全身が震えた。思わず、ぎゅっと彼にしがみつく。

 何度も何度も、角度を変えて唇を食まれる。そのたびに震え、どこもかしこもどんどん敏感になっていく。もっともっとと彼を感じようとする。

 何がおきているのかなんて、わからなかった。ただ、彼を感じるだけでいっぱいで、温かくて、熱くて、気持ちよくて。

「愛してる。君を愛しているんだ」

 触れたままの唇が刻む言葉を、口移しに受け取る。

 ああ。私も。私もあなたを。

 さっきよりも激しく求められながら、思いを伝えたくて、唇を交わす間に、もどかしく言葉を紡ぐ。

「私もお慕いして……」

 アリエイラは最後まで言うことができなかった。動きもままならないほど強く強く抱き締められ、息つく暇もないくらいに唇を貪られる。

 まるで嵐に翻弄され、揺れる花のように。

 彼女は彼の腕の中で、歓喜に震える花となったのだった。

 

 

ヒスファニエ視点 「出会い」10

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