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君に会いに  作者: 伊簑木サイ
アリィ編
32/44

   7

 その夜は、彼に抱かれていると、彼を意識しすぎて眠れなかった。だから、少し離れようとするのに、その度に、引寄せられて抱えこまれる。

「眠れなくても、目をつぶっておけ。朝になっても熱がなければ、明日は湯を沸かしてやろう。湯につかるのは体力を使うから、よく休んでおくんだ」

 耳元で囁かれた声はとても眠そうで、途中、途切れ途切れになっていた。

 ああ、彼は疲れているんだ。今日は一日、島の見回りに行ってきたのだから。

 アリエイラは動くのをやめて、おとなしくした。彼の眠りを邪魔してはいけない。

 やがて彼の腕から力が抜け、それに反してアリエイラの方へ傾いた体がのしかかってきた。たいして重くはなかったが、そのために彼女は体を固定されて動けなくなった。すー、すー、と規則正しく吐き出される息が、うなじをくすぐる。

 その息が、不意に意味を成す音を刻んだ。

「よかったな、アリィ…」

 それは、彼女を言祝ぐ言葉だった。

 彼女は息を止めた。

 眠りに落ちる瞬間さえ、彼は。

 涙が零れた。胸が痛むほど、ありがたかった。嬉しかった。彼が愛しくてしかたなかった。

 私は、どうやってこの人に報いればいいのだろう。妹になれ、とこの人は言った。養い子になれと。でも、それはアリエイラのためであって、この人のためではない。本当の意味でこの人のために、何をしたらいいのだろう。私は何ができるのだろう。

 ふっとなにかの感触が掌によみがえり、アリエイラは暗闇の中で、自分の手を目の前に持ってきた。形だけが辛うじてわかる、小さな手を。

 ずっと、この小さな手が嫌いだった。この手と同じに、小柄で非力で何のとりえもない自分が情けなくてたまらなかった。

 父の仇を殺したいと思えないのは、それができるような体に生まれられなかったからだと思っていた。はとこの王子たちが軽々と振り回す剣を、アリエイラは両手で水平に持ち上げることすらできなかったのだ。

 できるものならば、彼らのような体に生まれたかった。男に生まれれば、仇が討てるだけの強い力があれば、きっとアリエイラにも憎しみが抱けたはずだと思ったからだ。こんな弱々しい体では、憎んだところで何もできない。だから父のために憎むことすらしてあげられないのだろう。そう考えて、悲しくて、苦しくてしかたなかった。

 けれど、たぶん、それは違う。

 アリエイラは掌を拳に丸めた。ぎゅっと力を込め、それから、もう一度開く。 

 この手にも、力はある。確かに、あったのだ。それを彼が教えてくれた。

 ざくり、という感触を思い出す。

 彼はアリエイラに食事の用意を手伝わせてくれた。葉や根菜を切るのを任せてくれた。アリエイラは初めてのそれを、きちんとやりおおせることができた。

 この手は、剣を振り回して人を殺すことはできそうにない。だけど、別にできることがある。きっと、まだわからないだけで、他にもたくさん。

 小さなことだけかもしれない。些細なものでしかないかもしれない。それでもアリエイラは、自分のできることを、一つ一つ増やしていきたかった。まるで、宝物を集めるようだと思った。

 もう、この手を言い訳にしない。できないことばかり数え上げたりしない。きっと、価値のある手にしてみせる。

 アリエイラは目を閉じた。早く寝ることにしたのだ。

 明日のために。彼のために。


 翌日も彼は朝から精力的に働きだした。小屋の外に石斧を持ち出して、アリエイラと共に流れ着いた船の破片を、薪にすると言って叩き割りだしたのだ。

 アリエイラも何かするつもりで、棚で見つけた細いロープで髪をくくった。そして、とりあえず邪魔しない位置に立ち、彼の様子を見守った。

 彼は左の破片の山から取って、小さくしたものを前に放り出していた。そこへ行って彼女はしゃがんで手を伸ばした。

「私もお手伝いします。これ、どこに集めたらいいですか?」

「触らない。アリィの手では、トゲが刺さる」

 なのに、簡単に断られてしまった。アリエイラは心の中ではひるんだが、それでは今までと同じだと思い返して、食い下がった。

「大丈夫です。気をつけてやります」

「いいから」

 彼は手を止めて、有無を言わせない調子で言った。斧を置いて、彼女へと右の掌を上に向けて差し伸べてくる。よくわからないながらも、催促されている気がして、彼女もそれへと手を差し出した。彼は彼女の手を自分の大きな手の中に収めると、指で彼女の掌を撫ぜた。

「ほら、こんなに柔らかい。俺が心配で気が気ではなくなるから、触っては駄目だ。きっと手元を誤って、自分の手を切ってしまう」

 それから手から顔を上げ、彼女を見てにっこりとした。

「力仕事は男の仕事だ。アリィはまだ病み上がりなんだから、座って休んでおいで」

 彼女は戸惑った。彼は見惚れるような爽やかで甘い笑顔だった。けれど、ていよく遠ざけられている気がした。どれだけ自分は役に立たないのだろう思い至って、アリエイラは深く落ち込んだ。

 彼は、きゅっと彼女の手を握って、優しく言い聞かせるように話し出した。

「もう少ししたら、アリィにやってもらいたいことがある。そのときは頼む。それまでもうちょっと待っててくれるか?」

 彼女は、それは本当だろうかと上目遣いに彼の表情を確かめた。どことなく丸め込まれている気もしたが、彼がそう言うからには、何か彼女にも仕事をくれるに違いない。

 彼女は頷いたが、気分は浮上しなかった。

 彼は彼女の表情に、困ったなという顔をして、なぜか目を泳がせた。それから、少しバツが悪そうにして彼女に視線を戻すと言った。

「あー、その、男っていうのは、女の子に見られていると、ついいいところ見せようとして張り切るものなんだ。だから、その、見ててもらえると、やる気が出るんだが」

 言いながら、無意識なのだろう、もぞもぞと落ち着きなく彼女の手を握ったり擦ったりしてる。この前もこんなことがあったと、アリエイラは思い出していた。

 あの時、彼は、甘えてくれ、と言った。妹みたいに可愛がりたいのだと。ものすごく言いにくそうにして、恥ずかしそうにしながら。

 変な人だ、と思う。アリエイラが泣きそうになると、

 そう考えて、あ、と気付く。ああ、そうか、そうだったのかと、彼女は泣き笑いの顔になった。

 アリエイラが泣きそうになると。そう。そうすると、この人は慌てて、建前をかなぐり捨てて、本心から彼女の心に寄り添ってくれようとする。それが彼にとってどんなに格好のつかないものであっても。彼はいつでも、アリエイラのために、そうしてくれる。

「アリィ」

 名前を呼んだきり言葉に迷っている彼に、彼女は意識してにっこりとしてみせた。

「約束ですよ。私にもお手伝いさせてくださいね」

「ああ。約束する」

 彼はほっとした表情で、しっかりと頷いた。

「では、それまではファー兄さまを見ていますね」

「ああ」

 彼は彼女の手を離して、優しい目で、彼女の頬をさすったのだった。

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