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君に会いに  作者: 伊簑木サイ
アリィ編
31/44

   6

 外で足音がした。かたん。それに、小さな物音も。それでもアリエイラは動けなかった。全身を耳にして気配を探す。扉がキィッと小さな音をたてた。外側に開かれ、光がさしこむ。

 アリエイラは顔を上げた。見知ったシルエットに、立ちあがって駆けよる。彼の胸に飛びこんで抱きついた。

「なんだ。どうした。ここには人を襲うような動物はいないぞ」

 そう言いながら、しっかりと抱きしめてくれる。顔を覗きこもうとする気配に、泣いていた痕を見られたくなくて、彼の胸に顔をこすりつけて隠した。

 彼の心臓の音が聞こえた。とく、とく、と規則正しく鼓動を刻む体は温かく、また涙がにじんでくる。

 ああ。神様。この人が生きていてくれたことに、感謝いたします。

「怖い夢でも見たか」

 笑いを含んだ明るい声が頭の上から降ってくる。それに、自分のふるまいがいかに子供じみていたか気付き、彼女は身を引こうとした。すると彼は彼女の肩を押さえつけて、ひょいっと身を屈めて視線を合わせてきた。

 みっともないのに。情けないのに。

 なのに彼は少し驚いた顔をして、すぐに包みこむようにして抱きしめてくれた。

「ごめんな。寂しかったな」

 優しい声で、なだめるように何度も背中を叩いてくれた。それが心地よくて、安心してアリエイラは彼に身を任せた。

「罠に獲物がかかっていた。うまそうな野草も採ってきたし、それから、これは土産。甘かったぞ」

 彼が腰にさげた籠から葡萄を取り出し、目の前にさしだしてきた。どうぞ、という眼差しに彼女が手に取ると、彼は急に彼女を抱えあげた。驚いて動けずにいたら、そのままのしのしと連れていかれ、寝床の上で下ろされた。

「さあて、今日は久しぶりに違う味の飯にするか!」

「違う味? 何をつくるの? 手伝います」

 アリエイラは彼を見上げて、勢いこんで言った。彼が料理をするというのなら、ぜひ手伝って覚えたかった。

 彼はニッと笑って、葡萄を一粒摘んで、彼女の唇に押し当てた。

「うん。そうしてもらうか。用意するから、それ食べてな」

 彼が皮から押し出した実から果汁がしたたり、彼女は慌てて口を開けて受け入れた。

「甘い」

 葡萄はとても瑞々しく、驚くほど美味しかった。

「そうだろう?」

 彼はくすくすと笑って彼女の頬を撫ぜた。


 葡萄を堪能し終わったところで、洗い場に彼に呼ばれた。

 葡萄の残骸はこっちと言われ、小さな籠の中に捨て、その横の桶の中で手を洗った。それから、洗い場の中に無造作に置いてある葉や泥だらけの根菜を、桶の中で洗うようにと言われた。一つ一つ丁寧に洗いながら、形を覚える。そして、洗ったものは(ざる)にのせていった。

 その間に彼は、生の肉らしきものを大きな厚い葉の上で小さく切り分けていた。元はなんだったのか、薄赤いだけのそれからは想像もつかなかった。

 彼が一日外に出れば、これだけのものを見つけてこられる。それがどれほどすごいことなのか、今のアリエイラには理解することができた。

 彼は全部切り終わると、別の厚い葉にナイフをのせて、アリエイラに渡してきた。

「切っておいてくれ」

 そう言って、肉を持って(かまど)の方へと行ってしまう。彼女は困ってナイフと(ざる)の上の物を交互に見つめた。ナイフなど使ったことはなかったのだ。

 でも、さっき、彼がやるところを見ていた。あれと同じにすればいいはずだ。

 一人で、よし、と頷いて、右手でナイフをつかみ、左手で洗った葉をつかんだ。そして刃を当てようとして、どのくらいの大きさにすればいいのか悩む。

 彼の方へ視線をやるが、彼は背を向けて鍋をかきまぜている。再びアリエイラは手元に視線を落とし、ちょっと躊躇ってから、口に入りそうな大きさになる場所に、えいっとナイフを押し当てた。ざくり、という感触が手に伝わり、葉が切り分けられる。

 切れた! 彼女は興奮して目を輝かせた。すごい。私にもできた! 嬉しくて、楽しくて、夢中になる。

 幅広の植物は細長いのにあわせて細くしてから切ってみたり、厚みのあるものも工夫して賽の目にしたり、あっという間にやりとげた彼女は、葉の上にこんもりと盛られた成果を満足気に眺めた。

 目の端に彼が動くのが見えて顔を上げると、ちょうど彼が振り向くところだった。手に持っていたナイフを置いて、切り終わったそれを葉ごと持ち上げて見せてみる。

「もう入れますか?」

「ああ。持ってきてくれ」

 零れないように慎重に運び、これ、と彼に見せると、それをちょっと見た彼は頷いて、入れて、と鍋を顎で示した。アリエイラは鍋を覗きこんだ。大事に持ったそれを、中にぼとぼとと落とす。切ったものが鍋の中で混ぜられる。初めてのそれが、誇らしくて、嬉しくてたまらなかった。

「どんな味になるんですか?」

 彼女はうきうきと彼に尋ねた。

「さあ?」

「さあ?」

 おかしな返事に、彼女は彼へと顔を向けた。

「どんな味になるかは、食べてみてのお楽しみだ。昨日までと違う食材を入れたから、違う味にはなるんじゃないか?」

 思ってもみなかった、とんでもなく適当な答えが返ってくる。

「ええ? それだけ?」

 アリエイラは思わずそう言った。

「それだけ」

 彼女はとても驚いた。切って入れるだけなんて!

「あんまり美味しいから、何か特別な味付けをしているのかと期待していたの。入れて煮るだけだったなんて。とっても簡単なのに、すごいわ」

 これならアリエイラにもできそうだった。

「本当だよな。俺も驚いているんだ。初めてにしては、よくできてるって」

 えっ。彼も初めてだったの? それでこんなことができてしまうの?

 アリエイラは彼をまじまじと見つめた。なに? と彼が首を傾げる。どうやら、彼にとってはなんでもないことのようだった。

 彼女は素直に感心した。彼は本当にすごい人だ。

「さすがファー兄さまね」

 アリエイラはにっこりと笑って言った。

 彼は目を見開いた。それから目を細めると、おたまを放り出した。あ、どうしておたまを落としてしまうの、と目で追っていると、いきなり彼に抱き上げられた。そして、頬にキスをされる。その上、頬擦りまでされた。

 どういうわけなのかちっともわからなかったが、彼に熱烈にカワイイと思われているようだった。何度も繰り返される頬擦りに愛情が伝わってきた。それに、心が弾む。アリエイラはくすくすと笑った。

 けれど、剃り残しがじょりじょりと当たり、少々痛い。

「もう、いやぁ」

 彼女は笑いながら、彼の頬を両手で押さえつけた。ところが、彼は面白がって、その手にも、すり、と擦り寄ってくる。掌までちくちくして、くすぐったくて、背筋がぞわりとした。

「ちくちくする!」

 手を離せば、また頬へと襲いかかってくる。きゃぁ、やだ、と騒げば、彼は声をあげて笑った。

 屈託のない、心の底からの笑い声だった。まるで少年のようで、アリエイラはどきどきした。

 眼差しが合う。お互いの好意が透けて見えた。アリエイラは彼が愛しくて、その首へと腕をまわした。彼も笑みを深くする。今度は頬をこすりつけないで、ただ触れ合わせてきた。ちゅ、と軽くキスされる。

 胸の奥が震えた。愛しさに、心臓をぎゅうとつかみあげられる。

 彼の深い愛情が感じられるのに、物足りなくて、切なくなった。

 もっと、触れたい。もっと。

 キスは唇にして欲しい。あの時のように、素肌で触れ合いたい。

 自分がなにを望んでいるのかを知って、アリエイラは、はっ、と熱い息をついた。そして、彼の首へまわした手で、そっと彼の肩を撫ぜた。指先に感じる彼の肌、筋肉、熱に、愛しさがつのった。

 彼女は自分の中に、体の芯が蕩けていくような欲望があるのを知ったのだった。

ヒスファニエ視点 「出会い」5

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