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君に会いに  作者: 伊簑木サイ
アリィ編
27/44

   2

 彼の背中は、とても温かかった。彼に言われて首に腕をまわす。アリエイラは頭を起こしておくことができず、広くがっしりとした肩に頬を寄せた。

 彼が歩き出すと、世界がゆらゆらと揺れだした。幼かった頃に、誰かにこうしてもらった記憶がよみがえり、だんだんと身も心もゆるんでいく。

 そうして、アリエイラはいけないと思いつつも、気を失うようにして、彼の背中ですぐに眠ってしまったのだった。


 そこからの記憶は曖昧だ。アリエイラは高熱を出してしまったのだ。

 具合が悪くて、気持ち悪くて、頭が痛くて、体が少しもいうことをきかず、自分の体がどんどんおかしくなっていくのがわかった。

 寒くて、寒くて寒くて堪らなかった。がたがたと震えているのに、体を縮めて丸まることさえできなかった。ただ、力の入らない体を投げ出して、どうなってしまうのか、もしかして、このまま死んでしまうのか、すごく不安で怖かった。

 人の気配はなかった。たった一人で、誰にも知られず、どこともわからない場所で死んでいく。

 助けて、と思った。誰か助けて。一人はイヤ。寒い。寂しい。怖い。苦しい。痛い。助けて。助けて。

 その時、アリエイラの願いが届いたかのように、誰かが背中から抱き締めてくれた。ふわりと香った匂いに、知っている匂いだと思った。この人は、頼りにしていい人だ、と。

 温かかった。寒くて堪らないのがわかるかのように、手も足も絡めて、隙間なく肌を寄せてくれる。それがまるで、体から離れていこうとする魂をこちらの世界に引き止めてくれているようで、すごく安心した。

 布を通さずに触れる人肌は、炎にあたるより温かく、気持ちのいいものだと知った。その感触が慕わしく、必死に体を動かして、すがって、何度も何度もすりよった。

 傍にいて。抱き締めて。温めて。一人にしないで。

「傍にいる」

 その人は言った。

「大丈夫だ。必ずよくなるから」

 そう言って、頭を撫で、背中をさすってくれる。

 アリエイラは小さな子供に返って、ただただその人に身をまかせたのだった。


 時々、意識が戻るのに合わせてスープを飲まされた。彼の胸に背中をあずけて抱かれ、木匙で一口一口口元まで運ばれてくるものを飲みこんだ。

 初めは、口を開けるのさえ億劫だった。五口六口飲んで渇きが癒されれば、それでもう疲れ果てて眠りに落ちていく。

 それがいつからか倍の量が飲め、それが飲めたら、次はまたその倍が飲めた。すると、体に力が甦るのがわかり、急になにもかもが良い方へと向かっていった。

 だからその時、スープを飲み終わって横にされても、アリエイラはまだ目を開けて、見るともなく彼がお椀を持って立っていくのを見ていた。

 その頃にはアリエイラは服を着ていたが、まだ彼は上半身裸だった。

 綺麗な体だと思った。鍛えられてよく引き締まった、力に満ちた体。熱を分け与えてくれる、命にあふれた体。

 あの体が与えてくれるものは、どれも心地いいものばかりで、それを思い出したアリエイラは、自然と微笑んだ。

 けれど、彼が背中を向けた瞬間、彼女は息を止めて目を見開いた。

 彼の背中に、鳥の羽を模した刺青を見つけたからだ。

 ゲシャン海域の男は身分の上下なく、誰もが海に出る技術を身に付ける。たとえ一生を畑を耕すことになろうと、機織りすることになろうと、船を操れてこそ一人前と見なされ、それができないうちは、結婚もできなかった。そのため、男児は小さい内に、海にいる様々な悪いモノに捕われないように、背中に魔除けの刺青が施されるのだった。

 その文様は島ごとに違う。それは無事に海を渡りきり、島に降り立った始祖の神話に起因するからだ。

 アリエイラの属するブリスティンは、イルカを模す。始祖がイルカに助けられて島に辿り着いたとされるからだ。

 だが、鳥の羽を模した刺青は、鳥に導かれて島を見つけた者たちが施すものだった。その名はユースティニア。ブリスティン王国にとって、何百年と戦ってきた、最も憎い敵だった。

 まさか。そんなはずがない。

 だって、ユースティニアの男は、女と見れば犯し、子供であろうと殺す、人の皮を被った悪霊だと聞いている。平気で卑怯なことをし、だからアリエイラの父も殺されてしまったのだと。

 彼がユースティニアの男であるはずがない。なにかの間違いだ。あれは鳥の羽ではないのかもしれない。もしかしたら、もっと遠くの似たような神話を持つ、名も知らない違う国の人なのかもしれない。

 様々な理由を考えつつも、頭の隅でそれは有り得ない話だと知っていた。

 たとえあの嵐でどれほど流されていようと、一晩でアリエイラの知らない海域まで来ているとは思えなかった。あの夜は、あと一日余りあればブリスティンに着く場所まで行っていたのだから。

 そして文様も、まぎらわしいものなど決して施したりはしない。それは、それぞれの出自を誇るものでもあるのだから。

 彼はユースティ二アの人なのかもしれない。そう認めざるを得ず、アリエイラは泣きそうになって震える息をこぼした。

 彼女がブリスティンの者だと知れば、彼も噂通りのことをするのだろうか。

 そうは思えなかった。彼はそんな人ではない。そう思えるほど、彼女は目の前の彼を信じていた。

 だからこそ、いたたまれなくなった。

 ブリスティンに、ユースティニアに対する恨みのない人間などいない。誰もが、アリエイラでさえ、復讐を誓っている。けれどそれは、ユースティニアにとっても同じなのではないだろうか。彼らもブリスティンに対する恨みのない人間などいないに違いない。それほど二国は先祖代々長く争ってきた。

 その上、アリエイラは彼に慈悲をかけてもらえるような立場にはなかった。彼女はいずれ、王子たちの中から王太子となる者を選び、その妃となって、ブリスティンの王妃となるよう決められている。

 彼女はそんなことを望んではいなかった。でも、王がそのように宣言してしまったのだ。

 アリエイラは、いつか彼の母国へ派兵をうながす立場となる。そんな女の面倒を見るなど、たとえ島流しの身分になっているとしても、彼にさせてはいけなかった。

 彼女はここを出て行くべきだと思った。けれど、黙って出ていけば、彼は必ず心配して彼女を探してくれるだろう。そういう人だ。そして、動けない人間を放り出すような人でもない。

 だから、体が動くようになったら、きちんと話して、礼を言って、それから出て行くと決めた。それまでは、申し訳ないけれど、彼の厚意に甘えるしかない。

 ごめんなさい。

 アリエイラは目をつぶって、心の中で呟いた。これ以上彼を見ていたら、きっと泣いてしまうと思った。

 私は、この人の傍にいてはいけない人間。

 それが、どうしようもなく悲しくて堪らなかった。




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