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君に会いに  作者: 伊簑木サイ
アリィ編
26/44

誘惑1

 世界がぐらりとまわった。その気持ち悪さに呻く。ひどく喉の下あたりが痛い。何かが当たっているみたいで、それをどうにかしたいのに、腕がうまく動かない。とても体が重かった。寒くてたまらない。

 アリエイラはゆっくりと目を開けた。

 目の前には何もなかった。薄青い空が広がっている。

 空? え? どうして?

 不安が一挙に心に広がるのを感じながら、あたりを見回す。砂浜。海。そして、人。

 すぐ傍に、冷ややかに見下ろす男がいた。その男が持った棒で、アリエイラの鎖骨あたりを押さえつけている。ざっと恐怖が背筋を這いのぼった。

 誰? 何? どういうこと? 誘拐?

 王位争いをしている王子たちのうちの、誰かの仕業なのかもしれなかった。ただ、それにしては王太子妃に対する態度ではない。

 では、海賊?

 目の前の男の身分として、それは相応しい気がした。どこか人には従わない気高さがある。海賊はならず者の集団がほとんどだが、まれに、政争で逃げ延びた王族の末裔もいる。ちょうど彼はそんな感じだった。

 だとしたら、話が通じるかもしれない。ただのならず者では、死ぬまで慰み者にされるばかりだろうけれど。

 アリエイラは一縷の望みにすがって、王女の品格をもって、その男に話しかけた。

「何者です。なんのつもりでこんなところに攫ってきたのですか」

 男は少し首を傾げ、呆れた顔をした。面に表情がのって、得体の知れない怖さはなくなる。

「君は昨夜の嵐で難破してこの島へ流れ着いた。俺は君を拾う義務があるのだが、姫はお気に召さないようだな」

 アリエイラは、あっと声をあげた。そう。嵐。昨夜、酷い嵐に船がみまわれた。ギシィ、ギシィ、と船は軋み続け、終いには、悲鳴をあげるようにして裂けて壊れてしまった。

「レイド様は? サティは? ウィル、グイアス、シエイナ、誰か他に流れ着いた人は?」

「さあ。姫の他は、見ていないが」

「船は。船はありませんか。波間で助けを待っているかもしれません。どうか力をお貸しください」

 自分が難破したことを思い出し、アリエイラは必死になって、誰とも知れない男に懇願した。

 すぐにでも他の乗員の捜索に行かなければならない。事態は一刻を争う。船が難破したのは夜。あれからどのくらいたったのだろう。太陽の位置が低いから、朝か、もしかしたら夕方なのかもしれなかった。

「すまないが、船はない」

 ゲシャン海域の者は、海の恵で生きている。船のない島など有りはしない。

 ならばそれは、ただで動かせる船がないということだろうか。どうやら男は人攫いでも海賊でもないようだったが、この島の商人なのかもしれなかった。人を助けるのに、なんてごうつくばりなことを言うのだろうと思いながらも、それならばと提案をする。

「お礼なら、国に帰ったらいくらでも」

「そうじゃない」

 彼は首を横に振って言った。

「俺もこの島に一人で置いていかれたんだ。力にはなれない」

「そんな」

 嘘は感じられなかった。彼の言葉を信じると同時に、一緒に船に乗っていた者たちを誰一人救いにいけないと悟って、涙があふれた。

 今頃彼らはどうしているのか。水底に沈んでしまったのか。それとも、木切れにでもつかまって、冷たい海に浮いて助けを待っているのだろうか。

 堪らずに、震えて口の中で呟いた。

 ああ、どうか神様、彼らに慈悲を。

「君も体が冷えきっているだろう。服を乾かした方がいい。あちらに建物がある。そこに案内しよう」

 首下の圧迫が消えたと思ったら、彼がアリエイラのすぐ傍にしゃがみこんだ。彼女は、涙で歪む目を凝らしながら、彼を見つめた。

 この人は、何か罪を犯したのだろうか。島に一人で置いていかれるなんて、犯罪者ぐらいしか思いつけない。それも、島流しにされるほどの罪なんて。いったい何をしたのだろう。

 彼に荒んだところはなく、暗さも鬱屈も感じなかった。むしろ、真っ当すぎるほどの気遣いにあふれている。とても悪いことをする人には見えなかった。

 だったら、何か間違いを犯してしまったのかもしれないと思い至った。たぶん、事故かなにかで人を死なせてしまったのに違いない。

 アリエイラは鼻をすすりあげて瞬きをした。涙がぽろりぽろりと両目から一つずつ転げ落ちていった。涙で喉が震えてしかたなく、きちんと話せそうになかったから、はっきりと大きく頷いてみせた。

 すると彼がアリエイラの腕を掴み、引っ張りながら背中にも手を入れて起き上がらせてくれた。どうも体がふらふらする。それでも必死にバランスを取りながら、アリエイラは胸の前で左の拳を右の掌で包んで、顔の前まで持ち上げ、正式な礼をした。

「お世話になります。よろしくお願いいたします」

「ああ、たいしたもてなしはできない。堅苦しい挨拶はいらない」

 彼が苦笑とわかる笑顔を見せた。そうすると、初めの無表情だった彼とは別人に見えた。なにか温かいものを感じさせる。

「俺はファー。君は?」

 たぶん愛称なのだろう。それは、奇しくも婚約者候補の一人であるラファエラ王子の愛称と同じで、胸が苦しくなった。あの、冷たく、熱く、恐ろしい彼と同じだなんて。

 アリエイラは少しの混乱の後、自分も教えないわけにはいかないと思い出し、急いで答えた。

「アリィです」

「アリィ」

 彼は舌で転がして味わうかのように彼女の名を呼んだ。なんだか恥ずかしくなりながらも、はい、と返事をする。

 彼はそれに、にこりと人好きのする笑みを浮かべた。それから、彼女を上から下、下から上へと眺め回し、ごく普通な感じで耳を疑うようなことを言った。

「君の帯も貸してくれないか?」

 言いながら、もう自分の帯をはずしている。アリエイラは貞操への強烈な危機感に思わず胸元を押さえて、うまく動かない体でじりじりと後退った。

 そうすると、彼は、はた、と止まって、ああ、という理解の色を示し、また苦笑しながら説明しだした。

「建物まではけっこう歩かないとならない。君を背負っていこうと思うんだが、俺の帯だけでは背負い紐にするには短すぎるから」

 アリエイラはその筋道の通った理由に、あまりのバツの悪さに真っ赤になってうつむいた。そして大急ぎで帯をはずしにかかる。ところが凍えて指の感覚がなく、いっこうにうまくいかない。焦りに焦っていると、声がかかった。

「失礼しても、いいかな?」

 確かに、このままではいつまでたってもはずせない。はずせないけれど、成人した女性の帯を解いてもいい男性は夫だけなのに。

 彼に他意がないのは、さっきからのやりとりでわかっていた。アリエイラは無意識に下唇を噛んで、葛藤しながら彼を上目遣いに見上げた。彼は人の好さそうな穏やかな顔で返事を待っている。危険な感じは欠片もなかった。

 今は非常事態なのだから。彼に任せるしかないだろう。

 彼女は決心して、こっくりと頷いた。そして、恥ずかしさに彼を見ていられず、うつむく。その視線の先に彼の手が伸びてきて、アリエイラの帯に触れた。

 アリエイラはクラクラとするような緊張の中で、彼の無骨だけれど長い指が、帯以外のどこにも触れずに、濡れて固く締まった帯を手際よくほどいていくのを、じっと見ていたのだった。


ヒスファニエ視点 「出会い」1

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