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君に会いに  作者: 伊簑木サイ
ヒスファニエ編
22/44

   9

 帰国して14日目の朝、ヒスファニエは侍従を王へと遣いに出し、神官たちが身に着ける白い聖衣の上から、一人で武具をまとった。

 ゲシャン海域での戦は、主に海戦であり、海の上で行われる。船から船へ渡り、戦いの末に海に落とされるために、鎧の類は金属を使うことはなく、ほとんどが動物の皮を樹液で塗り固めたものだ。また、全身を覆うものではなく、必要最低限を守るものでしかない。

 ヒスファニエの物も同様で、両手足の脛当てと、心臓を守る位置に家紋の入った胴当て、首には神の名の刻まれた首当てと、腰から下を守るための直垂のみだった。

 それに長剣を腰にさげ、大きく家紋の描かれた盾と槍を持ち、部屋を出た。

 その格好で神殿に行き、神官たちが驚いてざわめくのを無視して、主神セレンティーアのレリーフの前にひざまずき、頭を垂れる。

 ヒスファニエは祈りの形をとりながらも、神に対して語りかけてはいなかった。ここまできてしまえば、今さら何も言うべきことはなかった。

 神が認めようが認めまいが、見ておられようが見ておられまいが、罰を下そうが下すまいが、かまわなかった。

 今が、『その時』だ。『流れ』が激しい潮流となっている。これに乗って、行くのだ。

 アリィを迎えに。

 ヒスファニエが立ち上がり、祭壇から下りると、神官長が膝をついて拳を目の上まで掲げた。居合わせた他の神官たちも、それにならってひざまずく。あたかもそれは、風が草原の草を薙ぐようだった。

「あなた様の上にあります神のご加護が、あまねく世界を照らしますように」

 しんとした中に響いた神官長の言葉に、無言で微笑んで頷いた。

 神の祝福はアリィと共にあり、今は彼の上にはない。けれど、彼女を取り戻せば、きっともう一度神を見出すことができ、世界に神の愛を伝えることもできるだろう。

 それまでヒスファニエは、いや、人は、嵐の海の中を、神を求めて彷徨うしかないのだ。

 彼は一人で神殿の門を越え、聖域から俗の世界に足を踏み出した。

 空を見上げれば、全天の半分を雲がおおっていた。強い東風が吹いている。風がヒスファニエの髪をさらった。うまくこれを捉えれば、船はすべるように波の上を進むだろう。

 それはまさに、戦へと誘う風だった。


 ヒスファニエは王宮には寄らず、まっすぐ港へと向かった。途中、知らせを受けて、宰相自らが慌てて追いかけてきたのに捕まった。

「ヒスファニエ様、我が国の兵はそろいましたが、未だ同盟国の船が到着しておりません。どうかもうしばらくお待ちください」

 宰相の位にありながら道の前に膝をつき、両手を広げて留めようとする彼に免じて、ヒスファニエは足を止めた。

「待てないのだ」

 彼は、はっとしたようにヒスファニエを見た。

「間に合わない者はかまわない。後からいくらでも追いかけてくればよい。それを咎めはせん。だが、私が行くのは今なのだ」

 宰相はすぐに恐縮して拳を掲げた。

「浅慮を申し、失礼いたしました」

「かまわん。それより、全軍に出陣の用意をさせよ。武勲を立て、神の御前に名を刻みたい者は、急げと」

「は。かしこまりました」

 宰相は立ち上がって、速やかに道の脇へと退いた。

「ご武運をお祈りしております」

「ん。留守を頼む」

 集まる予定の同盟国の戦艦の補給や、一時戦力が落ちる本国の防衛など、後方は後方で臨戦態勢となる。

「お任せくださいませ」

 ヒスファニエは頬をゆるめて、宰相の肩を一度力強く叩き、歩き出した。


 港では部下たちが、昨日示し合わせたとおりに船を用意して待っていた。部下のそれぞれの血に連なる者たちの船も、幾隻か準備をすませ、帆を張ろうとしていた。

 ヒスファニエは旗艦となる大型船に乗り込んだ。彼が考案し、何年も前から用意させていた、二段櫂の船だ。装甲を厚くしたために重く、動きは鈍いが、小型艦に体当たりすれば向こうはひとたまりもないだろう。高所から一度に多くの兵を敵艦に乗り込ませることもでき、また、投石、投槍器の類も多く装備していた。

 船上から港を眺めていると、武装した貴族たちが次々集まってくるのが見えた。

 口々に『聖王』と呼びながら船のたもとに駆けよってくる。

 ヒスファニエはそれを無表情に見下ろしていた。後ろから、出港の用意が整いました、と声がかかる。

それに、碇を上げよ、と命じた。

 碇の鎖が巻き上げられるのを見て、人々がさらに声高にヒスファニエを呼んだ。

 彼は片手を挙げ、ゆっくりと左から右へと空を薙いでみせた。その手を目で追って、人々が静まる。 

「急げ。誉れ高きユースティニアの戦士たちよ。出陣の時は満ちた。神の息吹に乗って、いざ、聖戦に赴かん!」

 おおお、と海嘯に似た歓声がおきる。

「出港せよ!」

 たちまち船上で復唱が繰り返され、帆が風を受けるように張り巡らされ、船が動き出した。

 人々もばらばらに動き出し、己の船へと駆け出す。

 ヒスファニエはそれを見届け、舳先へと踵を返した。前方に広がる、緑がかった浅瀬の色から、黒味がかった青へと変わる海原を眺める。

 アリィを奪われてから、初めて心が浮き立った。


 ああ。やっと君に会いに行ける。

 もう少し、あと数日で君の許へ行けるから、どうかもうしばらくだけ、我慢して待っていてくれ。

 君を傷つけた者も、俺たちの邪魔をする者も、全部滅ぼしてやるから。

 もう一度二人で、神の御前に立とう。


 ヒスファニエは、これから始まる戦に血を滾らせ、たくさんの命がこの深い青に沈む予感に、蕩けるように笑ったのだった。

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