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君に会いに  作者: 伊簑木サイ
ヒスファニエ編
21/44

   8

 母上が面会の申し込みをしてこられたという。

 帰還の挨拶もせずに神殿に籠もってしまったのは仕方のなかったこととはいえ、心苦しく思っていた。あの人はいつまでたっても、たとえ俺に対する態度を大人の男に対するものにしてくれていても、その瞳だけは幼子を見るものと変わらないのだ。心配をかけていることは想像に難くなかった。

「すぐに会おう。ここにお通ししてくれ」

「それが、ルルシエ様もご一緒でございますが、いかがいたしましょう」

 自分では気付かず、母を慕う息子の顔をしていたヒスファニエは、一瞬で表情を消した。

 父王から、アフル叔父とルルシエには、王命として側妃となるように話はつけてあると聞いている。

 それでも、王妃候補として、成人の儀以来体の関係のある女性だ。王妃にはならなくても、側妃として生涯つきあっていかなければならない。このままヒスファニエから一言もなく、すませられるものではないだろう。

「よい。彼女にも会おう」

 ただし、接客室を借り、神官長に立会いをお願いしてくるようにと言いつける。潔斎の最中に、不用意に女性に会うことはできない。

「急ぎの用ではない。神官長のお手をわずらわすのだ。あちらのご都合を優先するように。お手隙(てすき)になられたらお願いいたしますと申し上げよ」

 近習が出ていくと、ヒスファニエは軽く溜息をついた。わずらわしく、面倒くさい。どういうわけか、ルルシエに対してそんな感情しか抱けなくなっている。

 少なくとも、試練の儀の前までは、大切にしなければと考えていたのに。

 心から求める女性を抱くことが、体だけでなく、心がどれほど満たされ、生きる活力になるものなのか知ってしまった今では、ルルシエとのことは記憶の片隅にあるだけのものになってしまっている。

 それに、アリィは泣いたのだ。ヒスファニエが他の女に触れるなんて嫌だと。

 ヒスファニエの口元が久しぶりにゆるんで、笑みの形をつくった。それがすぐに苦いものへと変わる。

 彼はこれ以上、アリィを泣かせるようなことはしたくなかった。ただでさえ、彼は彼女の過去とも言えるものを壊し、滅ぼすのだ。もうそれ以外のどんな苦しみも与えたくなかった。

 そのために、ルルシエや他に娶らなければならない妃たちを、いかに黙らせておくか。そのへんも一度、父に相談しておかなければと、考えをめぐらせたのだった。


「ご挨拶が遅くなりまして申し訳ありません、母上。無事に試練の儀を終え、戻りました」

 扉を開けて入ったところで畏まって挨拶すると、母は神官長やルルシエとついていたテーブルから立ちあがり、切ない笑みを浮かべて、手をさしのべたまま歩いてきた。背の高い彼へと背伸びをする。その求めに応じて彼はかがんで、母が彼の頭を抱きしめられるようにした。

「ヒスファニエ、お帰りなさい」

 それから、母は彼の頬を両手でつつんで、じっくりと見た。

「立派になって。すっかり王太子の顔になりましたね」

 母の目には、誇らしさと、どことなく寂しさがまじっているように感じられた。ヒスファニエは、まいったな、と意味もなく思いながら、優しく話しかける。

「俺は白髪頭の老人になっても、あなたの息子ですよ」

 母は、ふふっと笑った。

「ええ、そうね」

 久しぶりの対面が終わったのを見はからって、神官長が椅子に座るようにと誘った。

 ルルシエも立ちあがっており、ヒスファニエに優雅に腰を落として礼をしてみせる。それに適当に頷いて、まず母の椅子を引いて座らせると、自分もその横の席に座った。大きな丸いテーブルに適当な間をあけて、ルルシエ、母、ヒスファニエ、神官長の順に並ぶ形となった。

 母とお互いの体調や近況を一通り語ると、一瞬、沈黙が訪れた。すると母は神官長へと向いた。

「カーティス様、失礼を承知でお願い申し上げます。内々の話がしたいのです。大変申し訳ないのですが、少々席をはずしていただけませんか」

「母上、失礼なことを仰いますな。俺が同席をお願いしたのです」

 ヒスファニエが口を挿むと、母はわかっていますと、きっぱりと言った。

「十分ほどでいいのです。どうか、戦に行く息子であり恋人でもある者と、心おきなく話せる場を頂戴(ちょうだい)したいのです。お願いいたします」

 神官長は母とルルシエを順番に見ると、ゆっくりと頷いた。

「そうですね。どうやら話し合いが必要のようです。わかりました。私は廊下に出ておりましょう。ただし、扉を開けておくことをお許し願いたい」

 ヒスファニエはとっさに反対しようとしたが、神官長は目だけで鷹揚(おうよう)に彼を黙らせた。わかっている、とも、信頼している、とも、逃げてはいけませんよ、とも見え、彼の真意はつかめなかった。

「ええ。もちろんですわ。寛大なお心に感謝いたします」

 神官長は微笑むと、静かに部屋を出ていってしまった。


「ルルシエ」

 母は、それまでまるでいないかのように静かにしていた彼女の肩にそっと手をやり、さするようにした。彼女は頷き、意を決したように目をあげた。

 迷いと不安と挑むような意気との間を行ったり来たりしているようで、その瞳は頼りなくゆれていた。ヒスファニエと目を合わせたり、そらせたりを繰り返し、そのうち、ヒスファニエの胸のあたりに視線を定めて話し始めた。

「あの、ね、ヒスファニエ、あなたにお話があるの」

 そんなことは知っている、と言いたくなるのを我慢して、できるだけ穏やかに問い返す。

「ああ。なんだ?」

「私、私ね、あなたの、あの、子供を身篭(みごも)ったの」

 ヒスファニエは眉宇をひそめて、軽く首をかしげた。

「なにを言っている?」

 有り得ない話だった。

 ヒスファニエは王になることが決まっていた。

 唯一争うに足る叔父アフルは、父王とほとんど変わらない歳であり、代替わりするには歳がいきすぎていたからだ。

 それでも、現王の御世を助け、先の王太子の仇を討った叔父の功績は大きく、その娘を取り立てるのは当然のことであったし、また、彼女とであれば生粋のユースティニアの血の子を得られるのは、大きな理由となり得た。

 しかし同時に、それだけのものでしかないとも言えた。

 それらは、ヒスファニエが王位に就く時に、ルルシエ以上に政治的な『王妃』が必要とあれば、彼女を無理にその位につけるほど強制力のあるものではなかった。

 そう、今のこの状況のように。

 だからこそ、慎重に避妊していた。『王妃』が王子を産むより先に、ルルシエが男児を生めば、血統的に後継者争いを引き起こす恐れがあるからだ。

 ルルシエも王族の娘としてそれを理解していたはずだ。必ず事の前には二人で薬酒を酌みかわし、体内に塗りこめる媚薬も、それ専用の物を使用していたのだから。ヒスファニエはそれを怠ったことは一度もなかった。

「いったい、誰の子だ。いくら君であっても、不敬罪に問うぞ」

 ヒスファニエは抑えながらも、怒りをのせて問い詰めた。

 冗談ではなかった。アリィの地位をおびやかし、王国の未来に争いの火種を放り込むなど、とても許せることではない。

 ルルシエはショックを受けた顔をした。

「他の誰でもないわ。あなたの」

「身に覚えがない」

 最後まで聞かず、言い捨てる。彼女は真っ青になって、唇を震わせた。見る間に涙がもりあがり、あふれだす。すがるような目で、ただ泣く。

 昔は守ってやらねばと思えたその弱さが、今は心底忌々しかった。

 アリィならば、きっと睨みつける。拳で彼の胸を叩き、疑ったことを責める。まっすぐに彼を見つめ、飛び込んでくる。

 ヒスファニエの胸に、腕に、彼女の感触が甦った。体も心も熱くなる。あの凛とした強さ、誇り高さを、愛していると思わずにはいられなかった。

「ヒスファニエ、落ち着きなさい。あなたの子です。なんのために、私の侍女をルルシエにつけたと思っているの? ルルシエの身の潔白は、私が保証します」

 何も言えなくなったルルシエの代わりに、母が弁明を始めた。

「しかし」

「私が薬を取り替えさせました。あれには何の効力もなかったのです」

 ヒスファニエは、一瞬絶句するほどの怒りを覚えた。それでも母であり女である人に声を荒げることはできず、黙って強い瞳で見返した。

「私はあなたが心配だったの。試練の儀で何があるかわからない。エインスリーに続いてあなたまで失ってしまったら、私は生きていけない。どうしても、あなたの血を引く子供が必要だったの」

 母が手を伸ばしてきて、ヒスファニエに触れようとした。

「だから、ルルシエと相談して、薬を取り替えさせたの。どうかわかってちょうだい、ヒスファニエ」

 母の指が腕に触れそうになった瞬間、彼はすっと避けて立ち上がった。初めて母の指をおぞましいと思った。

 ルルシエの美しく可愛らしくはあっても頼りない姿も、簡単にこぼれる涙も、特に無意識に腹にやった手が、どうしようもなく(いと)わしかった。

 今すぐ、その腹の子ごと殺してやりたいと思うほどに。

「俺はソレを俺の子と認めない。どこの誰ともわからない男の子を身篭(みごも)った君を、側妃にもしない」

 ルルシエは口元を押さえて、悲痛な声をあげた。

「ヒスファニエ! なんていうことを言うのです。取り消しなさい! あなたは(だま)されているのです。相手はブリスティンの女だと聞きました。さぞかしふしだらな女でしょう。そんな女を」

「黙れ」

 ヒスファニエは低く唸った。理性が焼ききれそうだった。握った拳が、小刻みに震えていた。

「我が妃は神の祝福、神の娘だ。そのへんの凡庸な女と比べられるような女性ではない」

 息子に、黙れなどと言われた母は、言葉を失っていた。それでも、非難の眼差しを隠そうともせず、こちらを見ている。

 その母を怒気を込めて見すえ、ヒスファニエは言った。

「神は我が妃を取り戻せと示された。この『啓示』に逆らう者は、誰であっても我が敵と見なす。そう思し召されよ」

 答えられない母と、その横で身をすくめて泣くルルシエも同じ視線で一撫でし、ヒスファニエは踵を返した。

「ヒスファニエ!」

 呼び止めようとする母の声を無視し、廊下に出る。そして、そこにいた神官長に軽く拳をかかげてみせた。

「お待たせいたしました。話は終わりました。些事(さじ)でお手間を取らせましたこと、改めてお詫び申し上げます」

 神官長は室内に目をやり、ゆっくりとヒスファニエに目を戻した。

「あの方々に、神の慈悲をお分けしてきても、かまいませんか?」

「あなたがそれを必要と思われるのでしたら」

 神官長は同じように目の前に拳をかかげ、挨拶をすると、部屋の中へと入っていった。すぐに、ルルシエの激しい泣き声が聞こえてきた。

 ヒスファニエは、もうその声を(うるさ)いとすら思わなかった。欠片の興味も引かれなかった。

 彼は屋内から回廊へと出て、無意識に『流れ』を引き寄せ、ブリスティンのある方角を睨んだ。

 母とルルシエによってつけられた怒りの火は、猛り狂う炎から青い(こご)りへと姿を変えていた。それは静かに温度を上げ、アリィとヒスファニエを引き離すものすべてを焼き尽くさんと、彼の内に宿って、これ以降、決して消えることはなくなったのだった。

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