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君に会いに  作者: 伊簑木サイ
ヒスファニエ編
19/44

   6

 試練の儀は極秘事項だ。故に城に戻っても特別な出迎えはなかった。ただ、ルルシエと近習たちが城の正門の内で出迎えてくれた。

「ファー!」

 待ち受けていたルルシエが、とびきりの笑顔で歩み寄ってきた。彼女はヒスファニエの正妃候補と見なされている。他の出迎えたちは皆、彼女に道を譲った。

「ご無事のご帰還、祝着至極にございます」

 彼女はふわりと足を折り、少しだけ腰を沈める淑女の礼をした。それからすぐに手を伸ばしてきて、ヒスファニエに抱きついた。

「お帰りなさい。無事に帰ってきてくれてよかった。ああ、神様、感謝いたします」

「ただいま、ルルシエ」

 ヒスファニエも親愛の情を示して彼女を軽く抱き締めてから、そっと肩を押しやった。

 彼女は甘えるように首を傾げて彼を見上げた。

「あのね、あなたにお話があるの」

 その仕草に長い話になりそうだと見当がついて、ヒスファニエは彼女の肩を軽く叩いて宥める。

「すまないが、王と神官長に帰着の報告をしてこなければならない。今日は無理だが、近いうちに話を聞くよ」

「今日は駄目なの?」

 彼女が顔を曇らせる。

「ああ。本当にすまない。早急に話し合わなければならないことがあるんだ。それでしばらく忙しくなるが、必ず話は聞くから」

「明日は?」

 ルルシエの肩から手を離し、歩き去ろうとした彼の腕を掴んで、慌てて彼女は聞いてきた。

「わからない。約束はできない。…すまない。急いでいるんだ」

 その手を優しく退け、背を向けた。いつになく食い下がる彼女の様子に、余計に聞きたくない思いが募る。煩わしいとしか思えなかった。

 アリィと別れてから、もう2日もたとうとしている。ヒスファニエはそのことで頭がいっぱいで、気が急いてしかたなかった。

 彼は笑みを顔に貼りつけて、出迎えの者たちと二言三言言葉を交わしながら、父の執務室へと急いだのだった。


 人払いをし、王、宰相、神官長、ヒスファニエと部下4人になった執務室で彼が語り終えると、神官長は興奮した色を浮かべ、王は目を伏せて無表情に押し黙った。宰相はそんな王を見遣り、それからヒスファニエに視線を戻した。

「確かに戦がなくなれば、人的にも物資的にも、その分を国内の振興にまわせます。戦のたびに国力が下がることもさけられる。この国は豊かになりましょうな」

「飛びぬけた豊かさは、他国から狙われる。いずれにしろ戦はなくならない」

 王は呟くように言った。

「我が国だけ豊かになろうなどと、なぜ思うのです。貧しさが戦を引き起こすなら、豊かさを分け合えばいい」

「一国を背負う重みがおまえにはわかっていない。色に溺れて、随分と甘いことを言うようになったな」

 王は目を上げて、反論したヒスファニエを見据えた。

「溺れたわけではありません。すべては神に導かれて悟ったことです」

「さすがは大神官のお血筋でございますな」

 神官長はゆっくりと何度も頷いた。大神官家とユースティニア王家は、過去に何度も婚姻を交わしている。恐らく列国の王族の中で、最も濃く大神官家の血を引いているはずだ。ただし、だからといって、王族の中に神託を受ける才能を持った者が生まれたことはなかったのだが。

「古の大神官は、何気ない風景の中にも神からの啓示を見出したそうにございます。それを思えば、今回のことは、我々から見ても明らかなものでございましょう。突然嵐が起き、一人で過ごすべき場所に人が流れ着いたのも、それがブリスティンの姫だったことも、偶然で片付けられるものではございません」

「それを偶然と言うのだ」

 起こるとは思えない不思議なめぐり合わせをそう呼んでいるにすぎないと、王は呆れて溜息混じりに指摘した。だが、神官長は引き下がらず、なおも話を続けた。

「ヒスファニエ様は無事に試練の儀を終えられました。それは、神のご加護があったからに相違ありません」

 王はふっと笑った。試す眼差しで、意味深にヒスファニエに問いかけてくる。

「おまえは神を(かた)るつもりか」

 古の大神官でもない者が神の意を語れば、ともすれば(かた)ることにもないかねないのは、ヒスファニエにもわかっていた。それでも、あの島でアリィと共に見出したものは強固に胸の中心にあり、それが間違っているとは思えなかった。

「偉大な神を(かた)るなど、滅相(めっそう)もありません。俺はただ、神の意に従いたいと思っているだけです」

 王は深い溜息をつくと、沈痛な面持ちで言った。

「馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、おまえの馬鹿さ加減は底が知れんな。まったく、迂闊(うかつ)な誓いをたてたものだ」

 室内がなんともいえない気まずい雰囲気に静まり返った。


「恐れながら、一つ申し上げたいことがございます」

 それまで黙ってヒスファニエから一歩ひかえた場所で立っていた、親友であり部下である側近たちの中から、アレクトーが静かに手を挙げた。全員の耳目が彼に向く。王は手を振って発言を許可した。

「ブリスティン王は、かのアリエイラ姫を口説き落とした者を王太子にすると言ったようです。ブリスティンでの姫の名声は高く、かの姫が選び、力添えをする者ならば、王位に足ると思われているようです」

 初耳のそれに、ヒスファニエは咄嗟(とっさ)に口を挿みそうになった。なぜもっと早く言わなかったと、胸倉をつかんで揺すってやりたかった。

 その答えは簡単だ。そうすれば、ヒスファニエはきっとすぐにでも追おうとした。王太子の彼には許されるはずもないのに。

 だから、皆言わなかったのだ。ヒスファニエに間違った決断をさせるわけにはいかなかったから。あるいは、苦渋の選択をさせないために。その代わり、デュレインがすぐに追ってくれたのだ。

 ヒスファニエは拳を強く握り、乱れそうになる呼吸を意識して整えながら、数瞬瞑目(めいもく)した。

 デュレインを思い浮かべ、頼む、と祈るような気持ちで語りかける。

 この瞬間にも、アリィがラファエラに口説かれているかもしれない。それだけならまだしも、手篭めにされているかもしれなかった。最悪、そんなことをされれば、彼女の性格では自ら命を絶ってしまいかねないというのに。

 その業腹(ごうはら)な想像に吐き気がするほどの怒りがこみ上げてくる。それでも、ラファエラに彼女を手に入れようという考えがあるならば、そう簡単に死なせはしないだろうという一点で、まだ救いはあった。

 それ以上に心配なのは、政治的な問題だった。もしもこれがこの国の話であり、王太子を選ぶ娘がルルシエだったとしたら。彼女が敵国の王太子と契りを交わし、他の誰も受け入れないと知ったら。父王とヒスファニエならばどうするかを考え、あまりの焦燥に眩暈がした。

 王の宣言を取り消すことはできない。敵国の王子を王太子にできるわけもない。ならば、選んではならない男を選んだ娘をどうするか。

 父王なら、そしてヒスファニエであっても、ルルシエを殺すだろう。

 ブリスティンの国情はヒスファニエにはわからない。ルルシエはアリィほどの名声もない。自分の推測が的外れであって欲しいと願いながらも、アリィの影響力が大きいと仮定するほど、殺される可能性が高まることに気付き、いてもたってもいられなくなる。すぐにでも船に飛び乗って、彼女を追いたかった。

 しかし、空手で出て行って彼女を取り戻せるわけもなく、遠回りでも今のヒスファニエには、彼女を迎えに行くために、王を説得するしかなかった。

 ただし、彼は一人ではなかった。デュレインは命を懸けて時間稼ぎをしてくれているし、アレクトーは説得を試みてくれている。他の者たちも怪我を隠し、ヒスファニエの後ろについてくれている。

 穏やかなアレクトーは、デュレインのように鮮やかに言い負かすことはできなくても、ゆっくりと確実に人の心を変えていく話術を持っていた。

「ヒスファニエ様は、そうと知らずにその姫を娶られた。これが神の啓示でなくてなんでございましょう」

「そんな不確かなものを啓示として、民に負担を強いるつもりか。しかもブリスティンの女を王妃に戴くだと? どれほどの者が恨みを持っていると思う。おまえの父だとて、殺されたであろう。そのような女を正妃にした王が支持されるとでも思うのか」

「かの姫はその名を捨てたと言いました。また、自分の命を盾にヒスファニエ様を逃そうとしました。どれだけの女性が、夫のために命を捨てる覚悟があるでしょう。かの姫はまさに神から贈られた娘として、ヒスファニエ様のために生きるに違いありません。神の娘を妃とした王を、確かな神の加護を、喜ばないゲシャンの住人はおりません」

 ヒスファニエの脳裏に、剣を捨てさせるぐらいなら、自ら刃に首を押し付けようとした彼女の姿が、鮮やかに甦った。

 その時。

『ヒスファニエさま』

 突然、彼女の声が耳に甦り、彼女の気配が身に迫って感じられた。

『アリィ?』

 反射的に(くう)に視線を彷徨(さまよ)わせ、声には出さずに唇を動かして彼女の名を呼ぶ。

 ヒスファニエの血が一瞬で熱くたぎった。なぜか神経が冴えわたっていく。それにしたがって、自分のまわりが、そう、世界が、驚くほど鮮明に感じられてきた。

 この部屋の中だけではない。壁を抜け、城の外に広がる城下町、そして島を囲む海と、その波濤を越えていく彼女が乗せられた船。それを追うデュレインの船。その先、青い海原に浮かぶブリスティン王国。そういったものが、俯瞰(ふかん)できた。

 そして、激しい危機感に襲われる。背筋を震えが這いのぼるほどの。

「急がないと」

 ヒスファニエの口から、意識することなく言葉がもれた。身の内を炙る何かに突き動かされるままに、両膝を床につき、拳を握り合わせて、目の前で掲げる。

「どうか、全軍を率いる許しをください。時を置いてはいけない。今すぐブリスティンに向かわないと、」

 『何もかもを失う』。思い浮かんだ最後の言葉に、ヒスファニエは絶句した。

「向かわないと、どうなるというのだ」

 王はヒスファニエの変化に、背筋を伸ばし、いずまいを整えて見下ろした。

 ヒスファニエは言ってはいけないと思った。

 言ってしまえば、自分が認めてしまえば、『すぐそこ』に流れている『何か』、ヒスファニエにひたひたと押し寄せる『何か』に、逆らえなくなる。きっと、絡めとられてしまう。

 本当に、『失ってしまう』。

 ヒスファニエは目に苦悩の色を浮かべて、口も利けずに身を強張らせた。まわりの様子など目に入らなかった。その『何か』に呑まれまいと、必死だった。

 部屋の中は、ヒスファニエを中心に空気が変わっていた。居合わせる誰もが息を呑むほどの厳かな気配が、彼から放たれていた。それを本人だけが認識できていないのだった。

 王は、口を開こうとした神官長を小さな動作で止め、頷いてみせた。ヒスファニエの身に何が起きているか、わかっていると。

 恐らく、これが『啓示』。エーランディアの大神官と共に失われた、神意を見出す力。それが今、ヒスファニエに発現しているのだろう。

「いいだろう」

 王は身を強張らせたままのヒスファニエに言った。

「我が息子ヒスファニエ。神が定めたユースティニアの王太子よ。おまえに我が国の全軍をあずける。神がおまえに降されし役目を、果たしてまいれ」

 ヒスファニエは瞠目した。王の発言に、波のように四方八方からうねって押しよせていた『何か』が凪いだのだ。

 そして、『何か』がヒスファニエの言葉を待っている。凪の次に動き出すべき方向へ流れようと、彼を押してくる。

 彼は、そちらに行きたくなかった。それは、彼が行きたい未来ではなかった。

 ヒスファニエは本能的に恐怖していた。

 彼を絡め取るモノは、王が言うような『神』ではない。

 その『何か』には善もなければ悪もない。それどころか、意図さえありはしないのだ。海に潮の流れがあるように、それもまた流れているだけのモノ。

 ヒスファニエにはわかっていた。

 ユースティニアとブリスティンだけではない。この流れはすぐに同盟諸国にも波及し、やがてゲシャン海域すべてを覆うものになる。

 この流れに乗ってはいけない。乗ったら最後、人間は嵐の海に放り込まれる。きっと、たくさんの人々が水底に沈むだろう。

 それでも。

 そう心の中で唱え、ヒスファニエは『流れ』から視線を引き離し、父王を見た。王の目に迷いはなかった。むしろ期待が透けて見えた。その隣の宰相にも、神官長にも。そして、部下たちにも。

 彼らにはわからないのだ。これが、そんな希望に満ちた未来を招きよせるものではないのだと。

 それでも、彼に他に選ぶ道などない。この流れに乗らなければ、今すぐブリスティンに向かわなければ、『何もかもを失う』のだから。

 アリィを失ってしまう、そんなことなど、ヒスファニエにはできなかった。

「ありがとうございます。必ずや、ご期待に添える働きをしてまいりましょう」

 ヒスファニエは手を組み直し、もう一度優雅にかかげて、宣誓した。その途端、押し留まっていた『何か』が奔流となって流れ出す。

 後戻りは、もうできない。

 それを感じ取った時、ヒスファニエは、人として自分が神への誓いを破る以上の大罪を犯したのを知り、一瞬で己の魂が真っ黒に染まった気がしたのだった。

 

アリィ視点 「誘惑」18

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