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君に会いに  作者: 伊簑木サイ
ヒスファニエ編
15/44

   2

 ヒスファニエはアリィを背に隠し、砂浜が始まる手前の林の端で立ち止まった。

 湾の沖に船が2隻停泊している。桟橋が朽ちてしまったために、大型船は近よれないのだ。その代わりボートが2(そう)岸に乗り上げていた。ここからその船体に描かれた魔除けの目が判別できた。やはりブリスティンのものだった。

 ただし、彼らはボートから少し離れた場所にたむろしている。彼が手を上げて振ると、それに気付いた友人にして部下たちだけが、こちらに駆けてきた。

「ヒスファニエ様、ご無事でしたか!」

 デュレインを筆頭にした5人が、あと数メートルでたどりつくというところで、ヒスファニエは腰の短剣を抜き、正しく自分の頚動脈に当てた。

「それ以上、近付くな」

 さほど大きい声ではなかったが、鋭く響く声で命ずると、彼らは驚いて立ち止まった。一人デュレインだけが表情も崩さずに冷静に話しかけてくる。

「ファー、馬鹿なまねはやめろ」

「おやめください、ヒスファニエさま!」

 デュレインが言うのと同時に、アリィも叫んで、後ろから恐る恐る胴に腕をまわして抱きついてきた。その手に左手を当て、心配ないと伝えるように軽く叩いて握った。

 一言前までは体面を気にして『ヒスファニエ様』と呼んでいたデュレインが、一緒に悪戯をしていた頃の呼び名に戻したのは、時期国王の側近ではなく、幼馴染にして親友の立場で話そうということなのだろう。だが、その手に乗る気はなかった。

「控えろ、デュレイン。今は馴れ合う気はない」

 デュレインは溜息混じりに鼻を鳴らした。死ぬ気もないのに命を懸けてみせる片手落ち具合に、呆れているのだろう。だが、こうでもしていないと、彼らに話も聞いてもらえない恐れがあった。いっせいに飛びかかられて気絶させられ、自分一人だけが船に乗せられてしまうに違いない。

「やめて、ヒスファニエさま。危ないです。それを下ろしてください」

「アリィ、少し黙っててもらえるか」

「いやです! あなたになにかあったら耐えられません!」

 涙声のそれに、ヒスファニエは、ふっと笑った。愛しさが胸に満ちる。

「大丈夫だ」

 彼女の指に絡めるようにして上から握りこんだ。そして、デュレインを非難する目で睨んだ。肝心の奴が慌てないで、彼女が怯えてしまっている。どうするか彼女に話しておかなかったのを後悔した。ただ、ここまで反応するとは思っていなかったのだ。

 デュレインは仕方ないというように溜息をつくと、両膝を地についた。それを見て、他の4人も同じようにした。そして、忌々しいことに、彼は事態の核心をさらりと口にした。

「そちらの女性はブリスティンのアリエイラ姫とお見受けしますが」

「彼女はアリィ。嵐の翌朝、岸に打ち上げられたのを拾った。過去を失っているから、俺が名付けた。その日は素晴らしく美しい(アリエット)だったからな」

「そうでしたか。実はその嵐に巻き込まれて、この海域でブリスティンの姫が行方不明になったそうです。最も近いこの島を捜索させて欲しいと、再三にわたって申し込まれておりました。ですが、神域で神意を問うている期間なのを盾に、今日まで待ってもらっておりました。他に行方不明の女性はいないとのことなので、恐らく彼女がその『アリエイラ姫』と思われます。あちらに待たせている者たちに、どうかお引き渡し願います」

 ヒスファニエはアリィの腕に力が入ったのに気付いたが、誰にも悟られないために、なだめてやることはできなかった。

「それはできない。彼女は俺の妻だ。俺が王位に就いた際には、彼女を王妃にすると誓いをたてた」

 誰に、あるいは何に、とは明言しなかった。さっきの彼女の過去の話にしてもそうだ。ヒスファニエは細心の注意をはらって、誤解を招きはしても嘘を口にしないようにしていた。

 彼女との誓いを、彼女にまつわる神への誓いを、穢したくなかったのだ。

「神官の立会いもなくですか?」

 デュレインは暗にその誓いは成立しないと言ってきた。

「ここはセレンティーア神の神域だ。俺は神意を問うている最中に、神の導きに従って彼女を賜った。結婚の宣誓も誓いも、神は聞こし召したはずだ。俺が無事に試練を終えられたことが、証となるだろう」

 神を引き合いに出されれば、ただの人が反論するには畏れおおいものだ。まして神の真意など、おいそれと人に知れるものでもない。デュレインはそれ以上は食い下がらず、無表情に返してきた。

「承知しました。ただ、我らも彼らに待ってもらう代わりに、探索の協力を神に誓いました。彼女の存在が知れた以上、顔を確かめさせないわけにもいきません。どうかそれはお許し願いたい」

「ならば神に誓え。この娘を我が妻と認め、俺を守るように彼女も守り、敬い、俺が王位に就いた際は王妃とするよう尽力すると。誓うまで、俺はこの島を出ない」

 デュレインは冷たい瞳でこちらを見ていた。その目が愚かだと言っていた。ヒスファニエの主張も、彼女に出会う前のヒスファニエと同じに、本人がたいして崇めてもいない神に誓わせようとすることも。

 彼は幼い頃から、こういう目でヒスファニエを度々見た。時には賢い彼に、馬鹿だ愚かだと罵られもした。そうしながらも、悪戯には最後まで加わり、叱られるのまでつきあってくれたものだった。

 それは命や国運が絡んでくるようになっても、変わっていない。彼がいなければ、今頃、生きてもいられなかっただろう。ヒスファニエの今は、彼がいたおかげであるのだ。その彼の助力がない限り、アリィとの未来がないのもわかっていた。

「デュレイン、神はいる」

 ヒスファニエは実感を込めてさとした。デュレインは珍しく眉をしかめた。そのまま動かず、ヒスファニエを確かめるように見ている。そこに迷いが見えた。

 先の見えない時、どう転ぶかわからない時、彼はそうやって全力で考える。そうして答えの出ることなら、ヒスファニエは彼の案に従うことにしている。彼の言うこと以上に安全な策はない。

 けれど、答えの出ないこともある。答えを出す時間がないこともある。そんな時は、ヒスファニエが心のままに選んだ道を、彼も行く。

 二人はそうして今まで生きてきた。だからヒスファニエは、はっきりと道を示してやった。

「我が(めい)に従え。神意の先の栄光を見せてやる」

 デュレインはがっくりと首を落として、深い溜息をついた。

「あなたはどうして、いつもいつも恥ずかしげもなく、馬鹿と紙一重の大口をたたけるんですかね」

 独り言というには大きすぎる声で、疲れたように言う。

「しかもなんですか。首に刃物を当てて、自分の命を懸けながらなんて、王太子のくせに、見栄もないんですか。まったく、呆れるったらありませんよ」

「惚れた女を守るのに必要ならば、見栄などいくらでも魚の餌にくれてやる。それほどのものを、神は与えてくれた」

「ああそうですか。聞いている方が恥ずかしいので、その話はもういいです。それで、誓うんでしたっけね、我が主よ」

 デュレインはすっかり軽口口調で顔を上げた。

「我、デュレイン・エスターナは、その娘をあなたの妻と認め、守り、敬い、王妃とするに尽力することを、神に誓います」

 ヒスファニエが他の者も見てうながすと、彼らは次々に誓いを口にした。それを受けて短剣を下ろし、鞘にしまう。

 そしてやっと彼らから目を離して、アリィへと振り返ることができたのだった。


「もう安心だ」

 胴にまわされた腕をほどいて彼女へと向き直ると、彼女は、キッと睨みつけてきた。

「なんてことをなさるんですか! 私のために命を危険にさらすなど、してはなりません!」

「大丈夫だと言っただろう」

「今回は、でしょう? 二度と、なにがあっても、こんなことをなさってはなりません。あなたはユースティニアの王になる方なのです。お願いです、二度となさらないと誓ってください」

 ヒスファニエは小首を傾げて、真剣な彼女に機嫌よく微笑みかけた。彼を必死に気遣う彼女の気持ちに、有頂天になっていた。それでも彼女に告げたのは、求められているのとは正反対の答えだった。

「誓わない」

 そう言ったからといって、嫌われることはないと高をくくった、無頓着な言い方だった。もっと言えば、己の決心を誇り、この思いを変えられるものなら変えてみせろという挑戦的な雰囲気さえあった。

 アリィは眦を吊り上げて、彼の手を振り払って一歩後ろに下がった。二歩、三歩と下がりながら、叫ぶ。

「でしたら私はこの島から出ません。この島で、死ぬまで一人で暮らします!」

 素早く身をひるがえし、さっき来た道無き道を走っていこうとする。けれど、背が小さく、たいして筋力も無い彼女の全速力は、体力が戻っても相変わらずのろく、ヒスファニエは走るまでもなく、大股に近付いて、簡単に彼女を捕まえてしまった。がっちりと腕の中に抱え込む。

「いやですっ。放してくださいっ。いやっ。いやっ。絶対にいや! 私のせいであなたが傷ついたり死んだりするなんて、絶対にいやなの!」

 彼女は涙をこぼした。ヒスファニエは他に人がいるのも忘れて、屈んで彼女の涙を唇で吸った。

「君の気持ちはわかった。でも、俺の気持ちもわかってくれ。君を失ってまで生きていたくないんだ」

「そんなことをおっしゃらないで。人の寿命は神のくださったもの。自らが決めていいものではありません。まして女はお産でも簡単に命を落とす存在です。そんな女と、王たるあなたを同列にあつかってはいけません」

「アリィ」

 苛立ちを込めて、ヒスファニエは彼女を呼んだ。彼の思いをくみ取ってくれない、非情とも言える物言いに傷ついた。

 そんな彼の頬に、彼女の両手が触れた。さするようにして、小さな掌で包んでくる。それは彼女を思いのままに抱きながら、彼女に身も心も包まれている気がするのと同じ感覚だった。

「私になにがあっても、生きて。あなたには生きていて欲しいの。それが私の一番の願いなの」

 燃えるような瞳で願われた。ヒスファニエは一瞬息を止めた。彼女の激しい愛に、身を貫かれた心地だった。

「……君は俺と一緒に生きるんだ」

 どうしてそんなことを願うのだろう。なぜ、一緒に死んでとは言ってくれないのだろう。

 そんなことを願うような女ではないと知っていた。だからこそ愛したともわかっていた。それでも、痛みに胸が引き裂かれる。

「ええ。私はあなたの妻ですもの」

 彼女はヒスファニエの頭を、頬を掴んだままひきよせた。唇にしっとりと口付けをしてくれる。それから彼の瞳をのぞきこみ、ね? という感じに、首を傾けた。

 見つめ合う。彼女の澄んだ茶色の瞳に囚われる。

 彼をひたすらに思う、その瞳から彼は逃げられなかった。

「わかった。誓う。君のために、生きるよ」

 ヒスファニエは喉が震えそうになるのを意志の力でねじ伏せて、切なく彼女に囁きかけたのだった。


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