ミッションは”龍の命名”
『愛いの』
「うん、可愛いね! 天使のようだね! このほっぺとか食べちゃいたい! あぁっ! 大好きっ!!」
出産後、火龍が覗きやすいようにとベランダの窓際に置かれたベッドで、真紅と漆黒の混じった髪を持つ、ふくふくほっぺの我が子に頬擦りしつつ体を休める。
『……妬ける程”メロメロ”だの』
火龍の呆れるような声に微笑みを向ける。
「メロメロだもん! そうだ! 名前決まった?」
以前から火龍にお願いしていた名前だが、名前をつけるという行為が龍には無いため、イマイチ要領を得ず未だに名前が決まっていない。
『うむ……。 やはりイサミが名づけぬか?』
「付けて良いなら付けるけど?」
『いや、やはりワシが考える』
もう何度も繰り返したやりとりの末、火龍が思案するように目を閉じ唸る。
「インスピレーションでいいよー? きっとそれが、この子に与えられた名前なんだから」
『インスピレーションなぁ』
火龍が目を開き大きな顔をこちらへ向け、その長い舌を伸ばしてくすぐるように赤ちゃんの頬を舐める。
『……いや、やはりもう少し時間をくれ。 少し、外に行って考えてくる』
「へ?」
意を決したように火龍は立ち上がり、神殿に来てからほとんど使うことの無かった背中の翼を広げ、大きく羽ばたき飛び立った。
「ぶわっ!!」
少しは周囲のことを考えてほしい!
風圧に髪の毛がぐしゃぐしゃ! 赤ちゃんは咄嗟にガウンの中に庇ったので無事。
「……そんなに思いつめなくてもいいのにねぇ? 困ったお父さんですねー」
くすくす笑いながら赤ちゃんに話かけると、あの風圧の中悠々と寝ていた寝顔の口元が、同意するようにもぞもぞと動いた。
火龍の動きにいち早く反応したのは、マイルガイル国より密偵として入っていた隠密達だった。
手元の伝送石に火龍が神殿を離れたことを伝えると、ものの数分もしないうちにマイルガイルの王宮から転送魔法を使って王宮付きの高位魔道士達がやってきた。
「やっと火龍が離れたか!!」
「これで御子を捕か…保護できる!」
「速やかに御子を連れ帰るぞ、アレは我が国のものだ」
冷静な声が他の者を制し、その声を合図に魔道士達は神殿の結界が最も薄くなっているところに特殊な相殺魔法陣を描き、神殿の者に気づかれること無くその内部へと侵入を果たした。
「ふぇ……っ」
「あら? お腹空きましたか?」
不意に目を覚まし、ふぇぇぇ、というまだ弱弱しい泣き声を上げた我が子に、満面の笑みで近づく。
生まれたてで肺活量がまだ無いから泣き声も小さくて可愛いっ!
これが甥っ子(9ヶ月)くらいになると、肺活量もついてかなり大きな声が出せるようになる。
それもまた楽しみー。
取り急ぎおっぱいですね!
たっぷり出て駄々漏れなので、濡れタオルで胸を拭いてからマイ天使ちゃんの口に乳を含ませる。
この子は生後5日なのに本当に飲みっぷりがいい!
甥っ子などはおっぱいの飲みが悪くて退院までに体重が減って、義姉は軽くノイローゼになっていたっけ。
そんな苦労を知っているだけに1日1リットルくらい飲んでるのではなかろうかというこの子の健啖ぶりはありがたい。
……多少飲みすぎなのではないかと思うけど…まぁ飲まないよりいいか。
両乳飲ませてお腹一杯になったマイ天使を縦に抱き、肩甲骨の間をさすってゲップをさせていると、部屋のドアが乱暴に開け放たれた。
「イサミ様! お逃げください!!」
「へ?」
入ってきたのは僧兵の人。
その慌てたようすにきょとんとするあたしに、続いて入ってきた神殿長が急ぎつつも丁寧な動作であたしをベッドから下ろし、脱いでいたガウンを羽織らせる。
「曲者が御子を狙っております。 どうぞこちらへ」
そう言って赤ちゃんを抱くあたしを本棚の前へ案内し、その一角を操作するとそこに秘密の通路がぽかりと口を開けた。
「すご…っ!」
「この先に部屋がありますので、少しの間そこでお待ちください。 危険を排除しましたらお迎えにあがります」
強引にあたし達を通路へと押しやった神殿長を振り向くと、外見はまだ20代後半の彼はあたしを安心させるように微笑みを浮かべ、本棚の仕掛けを動かし入り口を塞いだ。
「……って、一人ぐらい一緒に来てくれてもいいだろうにねー?」
何らかの魔法で仄かに明るい通路に、赤ちゃんを抱いたまま立ち尽くしていても始まらないので、先に進むことにする。
ほんの少し歩くと直ぐに行き止まりになり、その左手側に細いシンプルなドアがあった。
取っ手を引いてドアを開けると、中には埃避けの布が掛けられた大き目のベッドと小さなテーブルと椅子が2脚置いてあった。
埃を立てないようにベッドの布を取って、既に眠ってしまった我が子をガウンに包んでそっと寝かせる。
「大丈夫かしら……大丈夫よねぇ」
ドアの鍵を何回も確認し、ドアに耳をつけて外の様子を確認するが物音は聞こえない。
暫くするとまた赤ちゃんが泣き出したので、おむつが濡れていないのを確認して、抱っこすると、口をもごもごさせてお乳を探していることに気づいた。
「って、ついさっき飲んだばっかじゃん!」
突っ込みは入れつつも、乳を出して赤ちゃんの口に含ませる。
……なんだろうなぁ、搾乳されてる気分だわ。
猛烈な勢いで飲まれ痛かったが、もう片方の乳もすっかり搾乳される。
やっぱり火龍の血を引いてるからなのかしら、龍族半端無いわぁ。
抱っこしてゲップさせていると、不意に腕の中の重みが変わった。
危うく落としそうだったのを、反射的に抱えなおす……って、えぇぇぇ!!!
「かぁしゃま!」
腕の中にはあら不思議!! 3歳ほどの愛らしい男の子がっ!
燃えるような赤い髪に混じる漆黒の髪、真紅の瞳。
これはあれね、間違いなく我が子だわね。
「大きくなったわねぇ、母さん吃驚だわー」
最も可愛いとされる1~2歳の間をすっ飛ばされたのは結構ショックです。
龍族の成長ってこういうものなのかしら。
「かぁしゃま! とおちゃんが、なまえくれた! だからおれ、かぁしゃま、まもれる!」
ん?
火龍が赤ちゃんの名前決定したから、赤ちゃんがあたしを守る? いや、もう赤ちゃんじゃないけど。
というか、一人称が”俺”なんだ?
美形で、似合うっちゃ似合うんだけど、ボクとかワタシとかの方が似合いそう。
「かぁしゃま、まもってあげるからね!」
って、つい5日前に生まれた我が子に守られるってどうさ?
でもまぁ子供の意欲を折るのも可哀想だし。
「ありがとう、頼りにしてるわ」
そう言ってハグすれば、嬉しそうに抱きついてくる柔らかい子供の体。
あぁぁ!! 可愛いっ!!
でも裸のまんまって可哀想よね、あたしのガウンじゃ大きいし…。
って思ってたら、ベッドに掛かってたシーツを裂いて勝手に体に巻きつけてるし、力とかも半端無いのねぇ龍族の子って。
そしてトコトコとドアまで行くと、背伸びして鍵を外した。
「ちょ、ちょっと待ちなさいっ! どこ行くの!?」
慌てるあたしに、こっちを振り返ると、ニッコリ笑って爆弾発言。
「かぁしゃまは、あぶないからまってて。 おれ、ちょっといってくる」
そう言うと、追いかけようとしたあたしの目の前でドアを閉めて足音も軽く走っていく。
あたしはと言えば、閉められたドアに顔をぶつけ……。
「……やってくれるじゃないの…っ! って、あれ!? なんで開かないのよっ!?」
鍵も掛かっていないドアは、あたしが渾身の力であけようとしても、うんともすんとも言わない。
「ちょっとーっ!! 何よこのドア!? 立て付け悪いにも程があるでしょー!!」
押したり引いたり体当たりを繰り返したり、かなり、かなり頑張ったけどドアは開かず。
あたしは、途方に暮れて、ドアの前に座り込んでいた。
竜の子とはいえまだ生後5日の我が子が、あたしを守るとか言って危険に飛び込んでいったのに、母親であるあたしは何もできずに座り込むしかない無力感。
心配のあまり、お腹まで痛くなってきたわよ…。
痛みの増す腹部を押さえて、埃っぽい床に倒れこみ、痛みと不甲斐なさに涙で水溜りを作ったところで意識が無くなった。
「かぁしゃまぁ、かぁしゃまぁぁ!!」
すすり泣く愛らしい声に、意識が浮上する。
目を開け、ゆっくりと顔を横に向ければ、くりんとした赤い瞳と視線が合い。
あぁ、あたしの赤ちゃんだ、と、手を伸ばして抱き寄せた。
「……こぉの、馬鹿息子がっ。 生まれて5日で母ちゃんの胃に穴開ける気かっ!」
「ご、ごめんなしゃいっ」
ビクリと怯えた腕の中の子をぎゅうっと抱きしめて、顔中にキスを降らせる。
「…痛いところは、無いの? 怪我は?」
「な、いっ、おれ、げんきっ」
少し体を離して目視するが、確かに異常はないようだ……っていうか、着替えた?
動きやすそうな上下を着ている。
「イサミ様、ご気分は如何ですか?」
神殿長が近づいてきてグラスに入ったレモン水を渡してくれる。
「あたしは大丈夫だけど…。 何がどうなったの?」
気づけばこの部屋も、あたしの部屋じゃないし。
「……えぇと、一言で言いますなら、御子様がほぼ一人で賊を退治してくださいました」
生後5日の子が?
首を傾げるあたしに、神殿長は言い辛そうに言葉を補充する。
「マイルガイル国より来た高位魔道士数名が今回の賊だったのですが、御子様は1名を敢えて逃がした上で他の魔道士を粛清してくださいました。 まだ幼くはありますが、流石火龍の御子様です」
んん?
神殿長のべた褒めに、腕の中のチビ助は得意げな顔をしてから、何か思い出したのかしょぼんとする。
「でも、かぁしゃまのへやよごしちゃったの、ごめんなしゃい」
んんんん?
汚した、って…?
『イサミ! 名を決めたぞ!』
ぬっと入ってきた大きな火龍の顔にどつかれ、危うくベッドから転がり落ちそうになる。
「危ないでしょっ!!」
べしべしと、火龍の硬い顔を叩く。
『すまんすまん。 そんなことより、名が決まったぞ!』
反省の色が無いわね、まぁそんな事よりも。
「で、どんな名前にしたの?」
『ギルディ・ロウ・ジッスティ・フェルタ・オルクス・モッテゲレ・ファンマミーア・リフィタッダ・スクレイブ・ドーン』
………。
『古代語で、火を統べその手に天と地の祝福を受け、精霊と始祖なる龍の慈愛の下に育まれし、最愛の子、という意味だ』
「ジュゲムかよっ!」
とりあえず突っ込んでおいた。
覚えきれるか、そんなもんっ!
「ギルね! 了解したわ!」
『いや、ギルじゃなくギルディ・ロウ・ジッス「ギルね!」……一生懸命考えたのだがな』
「本名はそのギルディ・ロウ・なんたらでいいじゃない。 呼ぶときは短いほうが楽だからギルにしましょうねっ。 よかったわね、ギル…って、あら、寝ちゃってる」
抱きしめていた腕の中ですやすやと眠っているギルを抱きなおして、成長しても可愛いお顔を堪能する。
『うむ、少し能力を使いすぎたようだな。 神殿長、ギルを連れて行って休ませろ』
「畏まりました、火龍様。 イサミ様、ギル様をお預かりいたします」
爆睡しているギルを神殿長が大事に抱きかかえて、部屋を下がる。
なぜ? 折角一緒に寝ようと思ってたのにー。
『さて、これで2人きりになれたなイサミ』
そう言うと、火龍はぴとっとその大きな顔をあたしにくっつけ……。
「……で、なんで又人間の姿になんの? 発情期で処女に触られたときだけじゃなかったの!?」
以前と変わらず赤銅色の髪と美しい肉体に伸し掛かられて顔が引きつる。
火龍は蕩けるような顔をして、腕の中に囲ったあたしを見つめる。
「ワシ以外のオスの臭いが付いていなければ問題無い(直訳:他の固体にヤられてなければ問題なし)。 因みに今は発情期だ。 イサミ、愛してる」
「ちょ! ちょっと待って! あたし、子供産んだばっかり! まだ無理! 無理!!」
そう言って火龍の腕の中から逃げようとすれば、火龍はニヤリと笑み、右手をそっと下腹部の上に持っていった。
そして、ほわんと温かくなったかと思うと、産後じくじく残っていた痛みがすっかり消え失せている。
「ハンドパワーですかっ!」
「……治癒術だ。 この程度なら、ワシの治癒でも問題なく癒せる」
聞けば、火龍は治癒が苦手なんだそうな、得意なのは攻撃ですってよ。
「さて、これで体の問題は無くなった。 我慢していた分、じっくり味わわせてもらおうか」
輝いた火龍の真紅の瞳は攻撃的な光を孕んでいて、ゾクリと背筋が慄いたのは、その後降りかかるであろう目くるめく行為を期待したからではない! 絶対!!