第四十五話 出口のない依頼
依頼は、もう来ないと思っていた。
会計は潰れ、
調整官は死に、
役職は名を失った。
それでも――
依頼は来た。
夜明け前、街道の分岐に置かれた小箱。
封も、印も、名もない。
ただ、置かれている。
アッシュは立ち止まり、周囲を確かめた。
気配はない。
だが、これは罠ではない。
罠なら、もっと分かりやすい。
箱を開ける。
中には紙が一枚。
短い。
――対象:アッシュ
――場所:任意
――方法:任意
――期限:今夜
報酬の欄は空白。
依頼主の名も無い。
(世界が、依頼主か)
アッシュは紙を畳み、火を点けて燃やした。
灰は風に散る。
だが、依頼は消えない。
この依頼は、断れない。
断れば、別の誰かが「実行」しようとする。
模倣者。
英雄気取り。
あるいは、ただの狂人。
それを止めるのが、
最後の仕事だ。
街は選ばなかった。
人の多い場所は、余計な血を呼ぶ。
森へ向かう。
かつて、帳塔へ向かった道の反対側。
古い狩場だ。
夜が深まり、月が出る。
木々の間に、影が立っている。
一人。
武装していない。
だが、歩き方が知っている。
「……来たか」
声は、若い。
男が前に出た。
二十代半ば。
装備は粗末。
だが、目だけは鋭い。
「名を言え」
アッシュが言う。
「ありません」
まただ。
「誰に頼まれた」
「……あなたに、なりたかった」
模倣者だ。
「帳塔の話を聞いた。
回収所を止めた話も。
だから――」
男は言葉を探す。
「あなたを殺せば、
自分が“次”になれると思った」
正直だ。
だから、危険だ。
「刃は」
男は短剣を抜く。
安物。
だが、覚悟はある。
「下がれ」
アッシュは言う。
「今なら、生きられる」
「……それは、あなたの基準だ」
男は踏み込んだ。
速さはある。
だが、重心が高い。
人を殺したことがない。
アッシュは半歩ずらし、
男の手首を叩く。
短剣が落ちる。
音が乾く。
男が、殴りかかってくる。
拳。
怒り。
アッシュは受けない。
かわし、背後へ。
首に腕を回し、
落とす――寸前で止めた。
「……なぜ、殺さない」
男が、苦しそうに言う。
「俺を殺せば、
お前は“次”になれる」
「なりたくない」
アッシュは言った。
「お前は、まだ戻れる」
「戻って、何になる」
アッシュは、男を離した。
「誰でもいい」
男は膝をつき、
肩で息をする。
「……あなたは、どうなる」
「俺は――」
アッシュは言葉を切った。
「出口を、塞ぐ」
男は顔を上げた。
「出口?」
「俺が生きている限り、
誰かが“次”になろうとする」
アッシュは静かに続ける。
「だから、今夜で終わらせる」
男の目が見開かれる。
「……死ぬのか」
「違う」
アッシュは言う。
「消える」
男は、理解できない顔をした。
「名を捨てる。
噂を捨てる。
役割を捨てる」
アッシュは外套を脱ぎ、地面に置いた。
黒い布。
多くの夜を渡った布。
「これを、持って行け」
男は、震える手で受け取る。
「俺は、どこへ」
「街へ戻れ」
「あなたは」
アッシュは、森の奥を見た。
「通過する」
男は、何も言えなかった。
夜が、少しだけ軽くなる。
アッシュは、森のさらに奥へ進む。
道のない場所。
名の付かない場所。
背後で、男が叫ぶ。
「あなたの名前は!」
アッシュは、立ち止まらなかった。
名前は、
呼ばれた瞬間に、
次の帳簿になる。
夜が、深くなる。
残りは、あと二夜。
一つは――
最後の暗殺。
もう一つは――
何も起きない夜。
アッシュは歩く。
静かに。
静かな夜を歩く者として。




