第四十三話 裏切りの依頼
依頼は、静かだった。
使者は名乗らず、封蝋も無い。
紙切れ一枚。
文字は簡潔で、余計な装飾がない。
――報酬、銀五百
――対象、会計残党の首魁
――場所、南街道・灰色の館
灰色の館。
聞き覚えがあった。
会計が、最後に“安全な場所”として使う名だ。
誰にも知られていないが、
知られていないこと自体が噂になる。
(罠だな)
だが、依頼は断らない。
断れば、依頼主は別の刃を探す。
別の刃は、無差別だ。
アッシュは紙を燃やし、
灰を風に散らした。
南街道は、北よりも人が多い。
多い分、紛れやすい。
そして――裏切りやすい。
灰色の館は、街道から少し外れた丘の上にあった。
石造りで、確かに灰色。
美しくも、威圧的でもない。
だが、門が新しい。
最近、人が出入りしている。
アッシュは正面から行かなかった。
裏手の斜面を回り、
壁の影へ。
そこで、足音を聞いた。
二人。
間合いを測っている歩き方。
「……やはり来たか」
声は若い。
そして、妙に丁寧だ。
振り返ると、男が立っていた。
貴族の服。
だが、剣は持っていない。
「依頼主か」
「正確には、代理人です」
男は微笑んだ。
「あなたを雇った者の、代理」
「対象は」
「中にいます」
男は館を指す。
「ですが、その前に――
一つ、条件があります」
条件。
来た。
「言え」
「あなた自身も、消えてください」
言い方が、あまりにも穏やかだった。
「会計は壊れました。
ですが、あなたが生きている限り、
“再発の恐怖”が残る」
恐怖。
それを理由にする者は多い。
「つまり」
アッシュは言う。
「俺が、最後の帳尻か」
「そうです」
男は頷く。
「あなたは、仕組みを壊した。
だから、仕組みによって消えるべきだ」
理屈は通っている。
通りすぎて、寒い。
「報酬は」
「倍に」
「いらない」
アッシュは即答した。
「でしょうね」
男は、残念そうに言った。
「では――」
合図。
斜面の上から、下から、
気配が立ち上がる。
七人。
全員、暗殺者だ。
会計は、最後に“同業”を使う。
アッシュは動いた。
最初の一人は、音を立てずに倒れた。
背後からの刃を、肘で逸らし、
そのまま喉へ圧。
二人目は距離を取る。
投擲。
アッシュは石を蹴り、刃を弾く。
弾いた刃が、別の暗殺者の足に刺さる。
混乱は一瞬。
だが、一瞬で十分だ。
アッシュは前に出る。
逃げない。
逃げれば、囲まれる。
三人目。
正面から。
相手は巧い。
だが、躊躇がある。
依頼が“二重”だからだ。
アッシュは、その躊躇を突く。
刃を折り、
柄で顎を打つ。
四人目、五人目。
距離を詰めさせない。
火を使う。
小さな油袋を投げ、
地面に火線を引く。
暗殺者は火を嫌う。
痕跡が残るからだ。
残り二人が退いた。
「……化け物だな」
誰かが吐き捨てる。
「違う」
アッシュは答える。
「仕事人だ」
最後に残ったのは、代理人の男だった。
男は逃げなかった。
逃げる役目ではない。
「殺すか」
男が問う。
「殺さない」
アッシュは言う。
「依頼主を呼べ」
男は、短く笑った。
「やはり、そう来ますか」
男は懐から合図筒を出し、
空へ打ち上げた。
しばらくして、館の門が開く。
中から出てきたのは、
会計残党の“顔”だった。
老いた男。
だが、目は澄んでいる。
「……あなたが、アッシュか」
「そう呼ばれている」
「私は、最後まで帳簿を書かなかった」
老いた男は言った。
「だが、私は指示を出した」
「同じだ」
アッシュは言う。
「書く手と、指示する口は」
老いた男は、静かに頷いた。
「殺せば、楽になるか」
「楽にはならない」
アッシュは答える。
「だが、終わる」
老いた男は、目を閉じた。
「……では、頼む」
刃は、一瞬だった。
音もなく、痛みもなく。
暗殺だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
老いた男が崩れる。
代理人の男は、膝をついた。
「……あなたも、消えなかった」
「俺は、依頼を終えた」
アッシュは言う。
「裏切りは、処理した」
代理人は、何も言えなかった。
館を出ると、夜風が冷たい。
依頼は終わった。
だが、まだ“最後”ではない。
残っているのは――
名を持たない役職。
それを切らなければ、
夜は終わらない。
次の夜へ。
終わりに最も近い夜へ。
静かな夜を歩く者として。




