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静かな夜を歩く者  作者: 和泉發仙


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第三十五話 残された選択と、静かに増える犠牲



村を離れてから、風向きが変わった。


冷たさは同じだが、匂いが違う。

湿った土の匂いに、かすかな鉄の匂いが混じる。

血ではない。

予感の匂いだ。


アッシュは歩きながら、何度も背後を確かめた。

追跡の気配は無い。

それが、逆に重い。


(動いているのは、俺じゃない)


夜が明ける前に、丘を一つ越えた。

そこから見下ろす谷に、煙が上がっている。

黒くはない。

薄く、途切れ途切れだ。


村だ。


名を聞いたことのない、小さな集落。

畑と家が数えるほど。

人が生きるためだけの場所。


近づくにつれ、静けさが異様だと分かる。

犬が吠えない。

人の声が無い。


(早すぎる)


夜明けの村は、もっと音がある。

薪を割る音、家畜の声、井戸の軋み。

それが無い。


アッシュは歩を速めた。

だが、走らない。

走れば、見落とす。


村の入口で、荷車が止まっていた。

倒れている。

車輪が外され、意図的に横倒しにされた痕だ。


家の一つに近づく。

扉が開いている。


中に、人がいた。

老人だ。

床に座り込み、虚ろな目で壁を見ている。


「……行った」


声をかける前に、老人が呟いた。


「……皆、行った」


「誰が」


「回収所の者が」


アッシュの喉が、わずかに鳴った。


「いつ」


「夜の鐘の後だ」


鐘。

まただ。


「抵抗は」


老人は首を横に振る。


「無かった。

 理由があったからな」


「理由?」


老人は笑った。

笑ったが、目は笑っていない。


「この村は、助けられた」


言葉が、胸に刺さる。


「……誰に」


「通過者に」


アッシュは、何も言わなかった。


「だから、帳尻を合わせた」


老人は淡々と続ける。


「助けられた分、差し出した。

 それが、秩序だ」


秩序。

また、その言葉。


アッシュは家を出た。

村を歩く。

家々は壊れていない。

血も無い。


だが、人がいない。


(見せしめだ)


起点が揺れた。

だから会計は、別の場所で帳尻を合わせた。


村外れに、若い女が一人、立っていた。

肩を抱え、震えている。


「……あなた」


目が合う。

怯えと、怒り。


「あなたが、あの人?」


「あの人、とは」


「回収所を壊した人」


壊してはいない。

だが、結果としては、そう見える。


「私は、助かった」


女は言った。


「夜、家畜小屋に隠れていた。

 だから、回収されなかった」


「それで」


「代わりに、妹が」


声が掠れる。


「……連れていかれた」


沈黙が、重く落ちる。


「あなたは、正しいことをしたんでしょう?」


女は問う。


「それなのに、どうして」


どうして、誰かが犠牲になるのか。

その問いに、正解はない。


アッシュは答えなかった。

答えれば、彼女の怒りを奪う。

怒りは、生きるために必要だ。


「俺は、正しくない」


代わりに、そう言った。


「だが、止める」


女は、泣かなかった。

泣く代わりに、歯を食いしばった。


「……止めて」


「止める」


それは約束ではない。

宣言だ。


昼前、道で三人の旅人とすれ違った。

彼らは、アッシュを見るなり、足を止めた。


「……影だ」


誰かが呟く。


「違う」


アッシュは言った。


「影は、光が作る」


「じゃあ、あんたは何だ」


アッシュは答える。


「通過者だ」


旅人たちは困惑した顔をし、道を空けた。

噂は、もう形を変え始めている。


昼過ぎ、街に入る。

名は シュタインヴァルト。

石工の街で、建物が重い。


ここには、会計の拠点がある。

拠点というより、窓口だ。


掲示板に紙が貼られている。


――回収に関する相談承ります

――秩序を守るために


秩序を守る。

そのために、人を失う。


アッシュは窓口に入った。

中は明るく、清潔だ。


受付の男が微笑む。


「ご用件は」


「帳尻の相談だ」


男は一瞬、表情を固め、すぐに戻した。


「……どの件で」


「今朝、消えた村だ」


沈黙。


「詳細は、記録にありません」


「記録は、後で作る」


アッシュは言う。


「作る前に、止める」


男は笑った。


「止められません。

 仕組みですから」


「仕組みは、壊れる」


「壊れません」


「壊れる」


アッシュは一歩、前に出た。


「人が動かしている限り」


男は息を吐いた。


「……あなたですね」


「そうだ」


「なら、話は早い」


男は奥の扉を指す。


「お待ちです」


奥には、エリアスがいた。

変わらない笑顔。

変わらない服。


「やあ」


「やあ、じゃない」


アッシュは言う。


「次は、どこだ」


エリアスは肩をすくめる。


「分からない」


「嘘だ」


「本当だ」


エリアスは言った。


「会計は、分散している。

 私は、その一部だ」


「なら、全部を止める」


「できない」


「できる」


「どうやって」


アッシュは言った。


「起点を、全部揺らす」


エリアスの笑みが、初めて消えた。


「……無茶だ」


「知っている」


「犠牲が出る」


「もう出ている」


沈黙。


「一つ、教えろ」


アッシュが言う。


「次の帳尻は、いつだ」


エリアスは、しばらく考え、答えた。


「……今夜」


「どこで」


「……北の街道」


北。

ジョージアの領分に近い。


(来たな)


「止めに行く」


「止められない」


「止める」


アッシュは背を向けた。


エリアスが、背中に言う。


「あなたは、英雄にはなれない」


「なる気はない」


アッシュは答えた。


「だが、怪物にもならない」


街を出る。

空は曇り、夜が近い。


止めるたびに、別の場所で犠牲が出る。

それでも、止めなければ、犠牲は増える。


選択は、常に遅れてくる。

だが、歩かなければ、選択肢は一つになる。


北へ。

起点へ。


次の夜へ。

静かな夜を歩く者として。

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