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静かな夜を歩く者  作者: 和泉發仙


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第三十二話 回収所の灯と、帳簿の外側



カールスブルクを出てから、道は妙に整っていた。

草が刈られ、轍が均され、泥が少ない。


整った道は善意に見える。

だが、善意は無料ではない。


(誘導だ)


アッシュは歩調を変えず、ただ“道の端”を歩いた。

端は見落とされる。

見落とされる場所に、逃げ道がある。


日が傾くころ、谷に建物が見えた。

街ではない。

村でもない。


壁に囲まれた、長方形の施設。

見張り台が四つ。

門は一つ。

煙突が一本。


看板がある。


――回収所


字は丁寧で、強い。

剣の強さではない。役所の強さだ。


門前に、旅人が並んでいた。

荷車。

箱。

樽。

そして、人。


人が荷として並ぶ場所は、倉庫の街で見た。

だがここは違う。

ここは街の外で、街道の途中で、正式に“回収”する。


門番が言う。


「通行税だ」


「税?」


「街道は無料じゃない。

 通るなら支払え。

 払えないなら、担保を置け」


担保。

その言葉だけで、喉が乾く。


アッシュは列の後ろへ回った。

支払う気はない。

だが、騒ぐ気もない。


列の中に、少年がいた。

痩せていて、目が落ち着かない。

手首に縄の跡。

逃げようとして捕まった者の跡だ。


少年がアッシュを見て、視線を逸らす。

だが、逸らし方が下手だった。

助けを求める目だ。


(ここは、“回収”が仕事になっている)


門の内側、役人が帳面を広げている。

旅人の名、荷の数、支払額。

そして、担保の欄。


担保の欄に、人名が並ぶ。


アッシュは列を離れ、施設の外周を歩いた。

壁は高い。だが、古い石。

湿気で目地が甘い。


見張り台の死角。

樹の影。

排水溝。


排水溝の格子は新しい。

交換されたばかりだ。

つまり、ここが“出入り口”として使われたことがある。


アッシュは格子の固定具を見る。

釘ではない。ボルト。

手間をかけている。逃げ道を潰す手間だ。


(会計の手が入ってる)


夜になる前に、門が閉まった。

列の者たちは中へ入れられ、外へ出られなくなる。

回収所は宿でもあり、牢でもある。


アッシュは壁の陰で待った。

灯りが一つ、二つ。

交代の足音。


そして、門の内側から声がした。


「今日は大物が来る」


「大物?」


「“影”だ」


会計の連中が、そう言った。

影。

概念にされた名だ。


(俺を待っている)


アッシュは笑わない。

だが理解した。ここは、捕縛のための舞台だ。


真夜中。

見張りが一瞬、息を抜く時間がある。

交代の隙間。

この隙間は、どんな仕組みでも消せない。

人が働く限り、必ず生まれる。


アッシュは排水溝の格子を外した。

道具は使わない。

ボルトを回す代わりに、固定具の根元を“折る”。

音が出ない角度で、力を逃がしながら。


格子が浮く。

闇が口を開ける。


中へ入る。

臭い。湿気。

そして、遠くから聞こえる人の声。


(収容区画だ)


排水路は回収所の中央へ伸びている。

途中、上に小さな格子窓がある。

そこから灯りが落ちる。


その灯りの下で、誰かが泣いていた。

嗚咽を殺す泣き方。

大声を出したら罰が来ると知っている泣き方だ。


アッシュは格子窓の下で耳を澄ます。


「……ぼく、払えない……」


少年の声だ。

門前にいた少年。


「払えないなら担保だ」


男の声。役人の声ではない。

もっと雑で、慣れている。


「担保って、なに……」


「お前だよ」


短い言葉。

短いほど残酷だ。


アッシュは排水路から抜け、室内へ出た。

床板の隙間から。

ここは物置の裏。誰も見ない。


物置の扉を開けると、収容区画の廊下に出た。

鍵は掛かっていない。

鍵は“出入りの権限”が役目だ。扉そのものは障害にならない。


廊下の先に、二人の男。

少年と向かい合っている。


少年は壁に追い詰められ、拳を握っている。

だが、拳は震えていて、殴れない。


男の一人が笑う。


「抵抗するな。

 お前が大人しくしてりゃ、痛くない」


嘘だ。


アッシュは男たちの背後に立った。

一歩。

そして静かに言う。


「その言葉は、どこの帳簿にも載らない」


男たちが振り返る。

驚きは一瞬で、次に判断が来る。


「誰だ!」


「旅人だ」


「侵入者だろ!」


一人が棍を抜く。

捕縛用。

だがこの場所では捕縛が“商品”だ。


アッシュは棍の先を掴み、捻る。

骨を折らない。

ただ、握力だけを奪う角度へ。


棍が落ちる前に、アッシュが受け止め、床に置く。

音が出ない。


もう一人が短剣を抜く。

刃は光る。

光る刃は、この暗い廊下で目立つ。


アッシュは一歩で懐へ入り、短剣の腕を押し上げる。

刃先が天井板を掠め、木片が落ちそうになる。

落ちる前に、アッシュが掌で受ける。


そして、男の首筋に針。

浅い。

眠らせる量ではない。

だが、指先の感覚が消える。


短剣が落ちる。

アッシュはそれも受け止め、床に置く。

廊下には何も落ちない。

落ちないから、騒ぎにならない。


男たちは膝をついた。


「……何者だ」


アッシュは答えない。

少年の方を見る。


「走れるか」


少年は頷いた。涙を拭く暇もない。


「声を出すな」


少年は唇を噛んで頷いた。


アッシュは男たちの腰袋から、帳面を一冊抜いた。

回収所の内部用の台帳。

担保の台帳。


ページを開く。

少年の欄がある。

名は書かれていない。番号だけ。

番号の横に朱印。会計の印。


(ここにもいる)


アッシュはそのページだけを抜かない。

抜けばすぐに気づかれる。


代わりに、印の上に別の印を重ねた。

適当な木印。物置にあった、荷の検品印。

“検品済み”の印。


これで少年は担保ではなく、荷になる。

荷は売れるが、担保ほど扱いは厳しくない。

隙が生まれる。


「行くぞ」


少年の手を取り、廊下を進む。

出口は正面ではない。

正面は門であり、門は会計の目だ。


排水路へ戻る。

格子を開け、少年を先に入れる。


その瞬間、廊下の奥から拍手が聞こえた。


ぱち、ぱち。


音が小さい。だから怖い。


灯りが増える。

ランタンが三つ、四つ。

影が集まり、形になる。


現れたのは、女だった。

カールスブルクで会計の命令を出していた女。

その背後に、整った服の男が一人。

エリアスだ。


「優しいわね、アッシュ」


女が言う。


「担保を守るつもり?」


「守らない」


アッシュは答えた。


「回収する」


エリアスが笑う。


「回収所で回収とは。

 言葉遊びか」


「言葉は帳簿を動かす」


アッシュは言った。


「お前らが一番知ってるはずだ」


女が一歩進む。


「もう終わりよ。

 街に噂を流す必要もない。

 ここで、あなたを回収する」


「できない」


「できる」


女は静かに言う。


「ここは、街道の途中。

 誰もあなたを知らない。

 知らない場所なら、あなたは伝説になれない」


正しい。

だから、この場所が選ばれた。


アッシュは排水路の格子に手をかけたまま、目だけを動かす。

逃げ道はある。

だが、少年を運ぶには狭い。


(俺一人なら逃げられる。だが――)


エリアスが言った。


「担保を連れて行くなら、条件がある」


「聞かない」


「ジョージアを消せ」


またそれだ。

会計は、そこに執着している。

ジョージアを落とせば、アッシュの軸が折れると読んでいる。


アッシュは言った。


「俺は、条件を飲まない」


女が息を吐く。


「なら、担保は返してもらう」


女が指を鳴らす。

天井の上、どこかで足音。

見張りが動き出す合図だ。


会計は騒ぎを嫌う。

だが“回収所の騒ぎ”は許容する。

騒いでも、外へ漏れないからだ。


アッシュは判断した。


「少年、動くな」


排水路の中へ声を落とす。

返事はない。だが、息が止まる気配がした。

賢い。


アッシュは格子を戻し、ゆっくり立ち上がった。

逃げない。

逃げれば追われる。追われれば少年が拾われる。


「会計は、焦ってるな」


アッシュが言うと、エリアスの笑みが薄れる。


「何が見える?」


「お前らは、俺を概念にした」


アッシュは一歩進む。


「だが概念は、捕まえられない。

 捕まえられるのは、人だけだ」


女が眉をひそめる。


「何が言いたいの」


「お前らは今、人を捕まえようとしてる」


アッシュは言った。


「つまり、お前らは“概念”の戦いに負けた」


沈黙が落ちる。


その沈黙の隙に、アッシュは壁のランタンを一つ外した。

火を消さない。

油を床へ流す。


女が動く。


「やめ――」


遅い。


アッシュはランタンを床に置き、火を“線”にした。

燃え広がるのではない。

線が光るだけだ。

光れば、見張りは反射で距離を取る。

火は、秩序を乱すからだ。


「退け」


アッシュが言う。


「火を越えると、帳簿に事故が増える」


女は歯を噛む。

エリアスも動かない。


会計は事故を嫌う。

事故が増えると、説明が必要になる。

説明は、管理の負担だ。


アッシュはその間に排水路の格子を再び外し、少年を引き上げた。

少年は震えているが、声は出さない。


「走る」


短く言って、外周へ。


火の線はまだ生きている。

見張りは迂回する。

迂回は時間を生む。


壁の陰へ出た瞬間、エリアスの声が背後から届いた。


「アッシュ。

 次は街ではない。

 “お前の起点”を回収する」


起点。

それは、ジョージアのことか。

あるいは、もっと古い何かか。


アッシュは答えなかった。

答える言葉は、追跡の糸になる。


谷を抜け、暗がりの森へ入る。

少年は息を切らしながら言った。


「……ぼく、どうなるの」


アッシュは足を止めずに答えた。


「生きる」


「どこで」


「帳簿の外で」


少年は理解しきれない顔をした。

それでいい。

理解できない場所に、会計は手を伸ばしにくい。


夜が終わる。

だが、終わったのは“回収”だけだ。

本当の回収は、これから始まる。


次の夜へ。

静かな夜を歩く者として。

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