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静かな夜を歩く者  作者: 和泉發仙


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第二十七話 運ばれる命と、数え直される価値



街道は細くなり、川は離れた。

足元の土は柔らかく、轍が残る。

残るが、消せる。

消せるうちは、まだ自由だ。


アッシュは歩調を落とさなかった。

早すぎれば目立つ。

遅すぎれば追いつかれる。


背後を振り返らずに言う。


「疲れたか」


リディアは首を横に振った。


「……いいえ」


嘘だ。

だが、悪い嘘ではない。

生きるための嘘だ。


彼女の外套は替えてある。

倉庫の布切れではなく、街道用の粗い旅布。

顔には煤を塗った。

美しさは、時に最も危険な目印になる。


「次の街で分かれる」


アッシュが言う。


「そんな……」


「一緒にいる時間が長いほど、追跡は正確になる」


「でも、私は……」


リディアは言葉を探す。

彼女は「守られている側」ではいられないと、もう理解している。


「あなたは、いつも一人で?」


「そうだ」


「怖くはないの?」


アッシュは少しだけ考えた。


「怖い」


正直な答えだった。

だが、それ以上は言わない。


昼過ぎ、街が見えた。

小さい。城壁も無い。

名は ヴァルトブルク。

宿場ですらない、中継点だ。


こういう街は便利だ。

情報が薄く、記録が雑で、会計の目が届きにくい。


門番はいない。

代わりに、掲示板がある。


――来訪者は名を残せ


名を残す街。

だが、残す方法は簡単だった。

炭で壁に書く。

消すのも簡単だ。


アッシュは何も書かずに通った。


市場は小さく、人も少ない。

視線が少ない街は、危険でもある。

一つの視線が、やけに鋭くなるからだ。


宿屋は一軒。

老夫婦が営んでいる。


「二人部屋は?」


「一つだけ」


「取る」


銀貨を出す。

老主人は受け取り、じっと見た。


「運び屋か」


「そうだ」


「荷は?」


アッシュはリディアを見る。


「これだ」


老主人は何も聞かなかった。

聞かない宿は、長く続いている宿だ。


部屋に入ると、リディアは椅子に座り込んだ。

緊張が解けた証拠だ。


「今夜は、ここで止まる」


「追ってきますか」


「来る」


即答だった。


「だが、数は少ない」


「なぜ」


「会計は、無駄な追跡を嫌う」


リディアは苦笑した。


「合理的ですね……」


「だから厄介だ」


夜。

外は静かだった。

虫の声も少ない。


アッシュは窓際に立ち、外を見る。

影が一つ。

二つ。

三つ。


(三人。想定内)


ノックは無い。

静かな侵入。

会計のやり方だ。


扉が、音もなく開く。

鍵は回されていない。

外から外された。


入ってきたのは三人。

棍。短刀。

殺しではない。捕縛だ。


アッシュはリディアに目配せする。

ベッドの影へ。

動かない。息を殺す。


最初の一人が踏み込む。

床板が僅かに鳴る。


その音で十分だった。


アッシュは一歩、斜め前へ。

肘。

首筋。

二秒で沈黙。


二人目は反応が早い。

だが、早い反応は大きい動きになる。

アッシュは机を倒し、音を“事故”に変える。


「何だ?」


老主人の声が下から聞こえる。


「大丈夫だ」


アッシュが即座に答える。


「荷が落ちた」


老主人はそれ以上、来ない。

信頼とは、こういう形で成立する。


三人目が距離を取る。

賢い。


「話が違うな」


低い声。


「お前一人だと聞いていた」


「だから、三人で来た」


アッシュは言う。


「それでも足りなかった」


三人目は舌打ちし、短刀を構える。

殺す気だ。

捕縛を諦めた。


刃が来る。

速い。


アッシュは避けない。

刃の腹を手の甲で流し、距離を詰める。

喉元に、硝子片。


「騒ぐな」


囁く。


「騒げば、会計が損をする」


男は動きを止めた。

会計の名は、末端にまで効く。


「帰れ」


「……追跡は?」


「続く」


「なら意味がない」


アッシュは言った。


「意味はある。

 お前が帰れば、“数”が変わる」


男は一瞬、考えた。

そして短刀を下ろす。


「……次は、もっと多い」


「だろうな」


男は窓から去った。


アッシュは扉を閉め、椅子を立て直す。

二人の捕縛者は縛り、ベッドの下へ。

夜明けには解放されるだろう。

死なせる理由はない。


リディアが、震える声で言う。


「……私のせいで」


「違う」


「でも……」


「世界のせいだ」


アッシュは静かに言った。


「お前は、その帳簿に載っただけだ」


夜明け。

街は何事もなく動き始めた。

老主人は何も聞かない。

それが、彼の生存戦略だ。


出立の前、アッシュは老主人に言った。


「昨夜、騒ぎはあったか」


「いいや」


「なら、これで足りる」


銀貨を一枚、余分に置く。


街道に出ると、空気が軽い。

追跡は一度、途切れた。


「次は?」


リディアが聞く。


「分岐だ」


「分岐?」


「俺が表に出るか、

 お前を完全に消すか」


「消す……?」


「死なせる意味じゃない」


アッシュは言う。


「記録から外す」


会計にとって、記録されない存在は扱えない。

扱えないものは、恐怖になる。


「それは……可能なんですか」


「難しい」


「でも、やるんですね」


「ああ」


アッシュは前を見る。


「それが、俺の仕事だ」


二人は歩き出す。

足跡は残る。

だが、全ての足跡が、追跡に使われるわけではない。


数え直されるのは、命ではない。

価値だ。


次の街で、会計はそれを知ることになる。


次の夜へ。

静かな夜を歩く者として。

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