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静かな夜を歩く者  作者: 和泉發仙


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第二十一話 鐘楼の影と、祈られなかった者



街に入る前から、鐘の音が聞こえた。


一定の間隔。

規則正しい。

だが、祈りの音ではない。


数を刻む音だった。


街の名は グロッケンハイム。

中央に高い鐘楼を持つ宗教都市で、巡礼と寄進で成り立っている。石畳は磨かれ、建物は白く、顔を上げれば必ず聖句が目に入る。


だが、鐘は祈りを導くために鳴っていなかった。

人を管理するために鳴っていた。


一刻。

二刻。

三刻。


鐘が鳴るたび、街の動きが揃う。

店が閉じ、扉が開き、路地が空く。


(軍隊より厄介だ)


アッシュは外套を深く被り、巡礼の列に紛れた。

巡礼者は多い。だが、目は死んでいる。信仰ではなく生活として祈っている目だ。


門番は名を問わない。

代わりに、胸の小さな木札を確かめる。


――祈祷証。


無い者は、夜に外を歩けない。


アッシュは列の最後尾で立ち止まった。

木札を持っていない。


門番が言う。


「祈祷証は?」


「祈りは内側にある」


門番は一瞬、戸惑った。

この街で“内側”という言葉は強い。


「……夜までには取得しろ」


「分かった」


通された。


鐘の街では、言葉もまた鐘のように鳴る。

正しい言葉を選べば、扉は開く。


宿は巡礼宿だった。

寝台が並び、壁には聖画。

宿主の老婆は名を マルガ と言った。


「夜は鐘が三度鳴る。

 一度目で祈れ。

 二度目で眠れ。

 三度目では……起きるな」


「起きたら?」


「神に会う」


神。

この街での“神”は、だいたい刃を持っている。


夜まで時間があった。

アッシュは街を歩く。


中央広場には鐘楼。

その根元に、管理局がある。宗教都市にしては現実的だ。

祈りは管理される。管理される祈りは、金になる。


広場の片隅で、若い女が物を売っていた。

蝋燭。

だが、祈祷用ではない。印が無い。


「売れるのか」


アッシュが聞くと、女は苦笑した。


「売れません。

 でも、祈れない人は買います」


「祈れない?」


「祈祷証が無い人。

 夜に外へ出られない人。

 ……罪がある人」


罪。

便利な言葉だ。


「罪とは?」


女は視線を落とす。


「鐘に逆らった人」


それだけで十分だった。


夜。

一度目の鐘が鳴る。


街中で人が膝をつく。

アッシュも膝をついたふりをする。

祈りの言葉は口にしない。呼吸だけを整える。


二度目。

灯りが落ち、扉が閉まる。


三度目。

鐘楼の影が、街を覆う。


その瞬間、路地の奥で音がした。

引きずる音。

布が擦れる音。


アッシュは起きた。


起きてはいけない夜。

だから、起きている者が狩られる夜だ。


鐘楼の裏へ回る。

影の中、二人の男が一人を引きずっている。

祈祷証の無い男だ。胸元に木札が無い。


「待て」


アッシュが低く言う。


男たちが振り返る。

黒い外套。胸に小さな鐘の紋章。


「夜間外出は禁じられている」


「彼は何をした」


「何もしていない。

 それが罪だ」


答えとしては満点だ。


アッシュは一歩踏み込む。

男の一人が短剣を抜く。刃が月を反射する。


音を立てる刃は三流だ。


アッシュは短剣を持つ腕を落とし、肘を極める。

骨は折らない。

折れる音は鐘より響く。


もう一人の喉元に、布。

声を奪う。


二人を地面に伏せさせ、引きずられていた男を離す。


「逃げろ」


男は震えながら走り去る。


アッシュは残った二人を見る。


「誰の命令だ」


一人が震え、言う。


「**鐘守かねもり**様だ……!」


鐘守。

この街の実質的な支配者。


鐘楼の頂で、時間と罪を管理する者。


「名は」


「アルブレヒト」


アッシュは頷いた。

標的が定まった。


鐘楼へ入る扉は、重く、厚い。

だが鍵は単純だ。祈祷証。


アッシュは先ほどの女から蝋燭を一本買っていた。

印は無い。

だが、溶かせば印は作れる。


管理局の机から、封蝋の欠片を拾い、即席の印を作る。

形は歪んでいる。

だが、夜番は細部を見ない。印があるかどうかしか見ない。


扉は開いた。


鐘楼の内部は螺旋階段。

上へ行くほど音が反響する。

だが、鐘は今、鳴らない。

三度目の後は、沈黙の時間だ。


最上階。

鐘の下に、机と椅子。

帳簿と、祈祷証の束。


アルブレヒトは祈っていた。

だが、神ではなく数字に。


「……誰だ」


振り返った瞬間、アッシュは距離を詰める。


「夜に起きている者だ」


アルブレヒトは笑った。


「なら、お前も罪人だ」


「そうだ」


短い返答。


アッシュは鐘の影へ踏み込む。

影は深い。

ここで血を流すと、鐘に付く。


だから、首を落とさない。


革紐。

鐘の綱と同じ素材。

それを首に回す。


「神は見ているぞ!」


アルブレヒトが叫ぶ。


「見せるためだ」


締める。


鐘楼での絞殺は、鐘と同じ理屈だ。

振動を与えず、中心を止める。


アルブレヒトの足が浮き、影の中で動かなくなる。


終わり。


アッシュは祈祷証の束を持ち、階下へ投げた。

ばら撒かれた木札が、石に当たり音を立てる。


夜明け。

街は混乱した。


祈祷証が無くなった。

鐘が鳴らない。


掲示板に紙が貼られる。


――鐘守、急死

――鐘楼管理、当面停止


祈りは、自由になった。


完全ではない。

だが、管理されない祈りは、人をすぐには殺さない。


アッシュは街を出る。

鐘の音は背後で鳴らなかった。


次の街へ。

次の夜へ。


静かな夜を歩く者として。



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