第十三話 鉄の印と、壊れない扉
その街では、扉が多すぎた。
家の扉。
倉の扉。
門の扉。
そして――心の扉。
街の名は「アイゼン=トーア」。
鉄の門、という意味だ。
山道を抜けた先、谷を塞ぐように築かれた要塞都市。商いと軍事が絡み合い、誰もが「守っている」つもりで生きている街だった。
城壁は高く、扉は分厚い。
木ではなく鉄。
鉄には、印が打たれている。
――通行印
――保管印
――雇用印
印がなければ、扉は開かない。
門前で、男が止められていた。
若く、肩幅が広い。兵の体だ。だが、鎧はない。
「雇用印が切れている」
門番が言う。
「昨日までだ。
更新は今朝のはずだ」
「今朝は混んでいる。
昼まで待て」
男は歯噛みした。
「俺の部屋は中だ」
「規則だ」
規則。
扉の街では、規則が鍵になる。
アッシュは列に並ばず、壁際に立つ。
門番はちらりと見るが、何も言わない。
何も言われない者は、記録されない。
中に入ると、音が変わる。
鉄が触れ合う音。
鍛冶場の音。
扉が閉まる音。
この街では、開く音より閉まる音が多い。
宿は古い兵舎を改装したものだった。
女将は無口で、鍵を投げて寄越す。
「扉は内側から閉めろ」
「外からは」
「開かない」
部屋に入ると、窓は小さい。
逃げ道がない作りだ。
昼、街を歩く。
倉庫が並ぶ区画では、荷の出入りが厳しく管理されている。
扉ごとに鉄の印。
印の数が、その倉の信用だ。
倉の前で、女が泣いていた。
年は若い。腕に包みを抱えている。
「どうした」
アッシュが声をかけると、女は顔を上げる。
「印が……」
包みの中には、布に包まれた金属片。
歯車だ。
「父の工房が閉められた。
保管印が失効したって」
「失効?」
「更新料が払えなかった。
一日遅れただけ」
一日。
扉の街では、永遠に等しい。
「倉は?」
「封鎖。
中の物は“未確認物資”になった」
未確認物資。
確認されなければ、存在しない。
「父は?」
女は視線を落とす。
「……中にいる」
扉の向こう。
鉄の扉は閉まっている。
アッシュは倉の扉を見る。
印は確かに古い。
だが、扉自体は壊れていない。
(壊れているのは、印だけだ)
夜。
街は静まり返る。
要塞都市の夜は、静けさを誇る。
見回りの兵が通る。
扉を叩き、印を確かめる。
アッシュは倉の裏に回った。
小さな点検口がある。
だが、そこにも印。
印は鉄に刻まれている。
削れば痕が残る。
(壊せば、罪になる)
罪になることは、構わない。
だが、罪は人を潰す。
目的は、扉を開けることだ。
アッシュは鍛冶場へ向かった。
夜でも火が落ちていない。
鉄の街では、火を消す方が危険だ。
老人の鍛冶師がいた。
片目が白濁している。
「頼みがある」
「金は」
「要らない」
老人は鼻で笑った。
「要らない仕事ほど、高い」
アッシュは鉄の印を見せた。
「これと同じものを作れ」
老人は眉を上げる。
「偽造か」
「交換だ」
老人はしばらく黙り、やがて言った。
「理由は」
「中に、人がいる」
それだけで十分だった。
老人は炉に鉄を入れる。
火花が散る。
印の形を、手が覚えている。
この街で生きてきた手だ。
「扉は、壊れるためにあるんじゃない」
老人が言う。
「開くためにある」
新しい印が出来上がる。
古い印と寸分違わない。
だが、刻まれている年号だけが今日だ。
夜半。
アッシュは倉に戻る。
印を外し、新しい印を嵌める。
音はしない。
鉄は、正しい形に戻ると静かだ。
扉を叩く。
「開けろ」
中から、掠れた声。
「……誰だ」
「外だ」
扉が軋み、開く。
中から、痩せた男が出てくる。
油と鉄の匂い。
「印が……」
「更新された」
男は女を見る。
女は泣きながら抱きつく。
「でも……」
男が言う。
「明日、検査が来る」
「来る」
アッシュは言った。
「だが、印は正しい」
翌朝。
検査官が来た。
帳簿を見、印を見、頷く。
「更新済みだな」
倉は解放された。
中の物は未確認ではなくなった。
噂が広がる。
「一日遅れても、印は戻る」
それは危険な噂だ。
だが、街にとって必要な噂でもある。
昼、掲示板に紙が貼られた。
――更新猶予:一日
小さな変更だ。
だが、扉の街では、大きい。
女がアッシュに言った。
「あなたは……」
「通りすがりだ」
「名は」
「刻まない」
アッシュは街を出る。
門の鉄扉が開く音を、背中で聞く。
鉄は重い。
だが、正しく作られた扉は、壊れなくても開く。
次の街へ。
次の夜へ。
静かな夜を歩く者として。




