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静かな夜を歩く者  作者: 和泉發仙


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第十二話 橋の名と、渡らない正義



その街には、橋が一本しかなかった。


川幅は広く、流れは速い。渡し舟はあるが、夜は出ない。

だから橋は、街の喉だ。喉を塞がれれば、街は息ができない。


街の名は「ブリュッケン=フェルド」。

名の通り、橋の街だった。


橋の手前に柵があり、番所がある。

剣ではなく、札が並んでいる。


――通行証

――荷通行証

――夜間通行証


色は三色。

赤、青、灰。


灰色が多い。

灰色は「待て」の色だ。


アッシュは列に並ばず、番所の端に立った。

番人が視線を投げる。


「通行か」


「そうだ」


「証は」


「ない」


番人は灰色の札を差し出す。


「待て」


「どれくらい」


「分からん」


分からない、は管理の言葉だ。

管理は、時間を奪う。


列の中で、荷車の御者が怒鳴っている。


「昨日からだぞ!」


番人は淡々と答える。


「橋の点検だ」


「昨日も言ってた!」


「今日もだ」


点検。

この街の点検は、終わらない。


列の後ろで、女が子どもを抱いて立っている。

子どもは咳をしている。

女の腕は細い。荷はない。だが、目の下に影がある。


「通行証は?」


番人が聞く。


女は首を振る。


「病院は向こうに……」


「規則だ」


灰色の札。


女は動かない。

列は進まない。


アッシュは橋を見る。

古い石橋だ。補修の跡が多い。

だが、今にも落ちるほどではない。


(橋は壊れていない。壊れているのは、使い方だ)


夕刻。

列は短くならない。

代わりに、苛立ちが濃くなる。


酒場は橋の手前にあった。

渡れない者が溜まる場所だ。


アッシュが水を頼むと、店主が言った。


「渡るな。

 この街は、渡らない方が生きやすい」


「なぜ」


「橋を渡ると、名が変わる」


「名?」


店主は顎で掲示板を示す。


――渡橋名簿


名、時刻、目的。

目的の欄が細かい。

買付、治療、労働、訪問、通過。


「名が残ると?」


「戻れなくなる」


どういう意味か、説明はいらない。

名簿は、帰路を縛る。


隣の男が言った。


「向こう側の領主が、橋を握ってる。

 こっちの街は、通してもらう側だ」


「橋は街のものじゃないのか」


男は笑う。


「石は街のもの。

 許可は向こうのもの」


夜。

列は解散させられた。

灰色の札は返されない。返されない札は、明日も待ての印だ。


女はまだ橋の近くにいた。

子どもの咳はひどくなっている。


「宿は?」


アッシュが聞く。


女は首を振る。


「金が……」


「向こうへ行けば」


「行けない」


アッシュは橋の下へ降りた。

川音が大きい。

水は冷たいが、浅瀬がある。だが、夜に渡るのは危険だ。


(危険と禁止は違う)


夜半。

番所の灯りが弱まる。

点検という名の待機だ。


アッシュは橋の影に立ち、川を見た。

橋脚の影で、水の流れが割れる。

ここなら、渡れる。


女を呼ぶ。


「来い」


女は躊躇した。


「規則が……」


「規則は、橋の上だ」


二人で川へ入る。

冷水が膝まで来る。

子どもは震えているが、泣かない。


橋脚の影を使い、流れを切る。

足元は滑る。だが、歩ける。


途中、番所から声が飛ぶ。


「誰だ!」


灯りが揺れる。


アッシュは動かない。

水の中で、音を殺す。


灯りは橋の上を照らし、下を見ない。

規則は、下を想定しない。


向こう岸へ着く。

女が息を吐く。


「……渡れた」


「橋を使っていない」


「同じことじゃ」


「違う」


アッシュは言う。


「名が残らない」


女は気づく。

橋を渡っていない。

名簿に名がない。


病院はすぐだった。

医者は子どもを見て、舌打ちした。


「遅い」


「……」


「だが、間に合う」


女が崩れ落ちる。


夜明け。

橋の手前で、騒ぎが起きていた。


「渡橋名簿がおかしい!」


番人が叫ぶ。


名簿に、治療目的の空白がある。

治療があったのに、名がない。


向こうの役人が苛立つ。


「誰が通した!」


「通してない!」


「なら、どうやって!」


答えは出ない。

規則にないからだ。


昼。

掲示板に新しい紙が貼られた。


――夜間、橋下通行禁止


誰かが書き足す。


――危険のため


危険。

禁止。

二つ並ぶと、正義の顔になる。


夕方。

橋の下に柵が立てられた。

だが、川は流れを変えない。


女が戻ってきた。

子どもは眠っている。


「ありがとう」


「渡ったか」


女は首を振る。


「渡ってない。

 帰ってきただけ」


それでいい。

橋は、行くためだけにあるわけじゃない。


アッシュは街を離れる。

橋を振り返らない。


橋は、今日も混んでいる。

だが、川は今日も流れている。


次の街へ。

次の夜へ。


静かな夜を歩く者として。

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