婚約破棄された悪役令嬢らしい彼女に求婚した話
アルバート・アレクサンダーは、生まれながらの皇太子だった。
それ以上でも、それ以下でもない。
欲しいものは最初から与えられ、努力する前に結果が用意されている人生。
魔法の才能、頭脳、運動がすべて備わっていた王子に出来ないことはなかった。
微笑みを浮かべても、心のどこかは冷え切っている。
――つまらない。
十八歳を迎えた今、ついに避け続けてきた「婚約」の話が持ち上がった。
一つだけ、条件を出した。
無理難題で誰一人として満たせるはずがない、はずだった。
「殿下の現婚約者であるパイリン嬢が侍らせていらっしゃる令息の一人、ダリス様の婚約者。シャーロット・セイフィア嬢にございます」
報告を受け、わたしは一瞬だけ考える。
——なるほど。
複雑で、面倒で、無意味そうな立場だ。
……少し、興味がわいた。令嬢ごときに欲情を唆されるほど、わたしはまだ人間らしいのだろうか。
”完璧な人間”。
自他ともに認める完璧な皇太子を満足させられるのか、お手並み拝見といこう。
そう思いながら、その淑女が通うという学院へ向かうのであった。
◇◇
初めて足を踏み入れた学院は、思いのほかにぎやかだった。
学院長に案内され、奥へ奥へ、静けさのある方へと進んでいく。
「あちらが、シャーロット嬢です。彼女はよく図書館にいるそうで」
そう指さされた先には、静かに本をめくるご令嬢の姿があった。
たしかに、その様子は深窓の淑女を彷彿させ、横顔は彫刻のように美しい。
けれど、外面はあくまで目の保養にしかならない。
「ではわたくしはこれで……」
出来る限りの速さで、遠ざかっていく学院長。
たしかに、この見た目ではそれもしょうがない。窓ガラスに反射した姿と目を合わせる。
ぼさぼさの無造作ヘアに、酷く着崩した制服。悪臭が染みついたその体には、どんよりとした光が浮かんでいる。
まあ全て魔法でかけた幻影にすぎないけれども。
彼女は、いったいどのような反応をするのだろうか。
だだっ広い本の隙間を抜け、そちらへと向かう。
「あのォ、すみません?」
緊張を繕った声をかけても、返事はなかった。
無視、か。確かに厄介な貴族に巻き込まれた時、私が良く使う手ではある。
「聞きたいことが……」
そう肩を叩くと、ゆっくりと令嬢は振り返った。
涙を流しながら。
「……エッとぉ?」
平民のふりをするのは忘れずとも、その顔に少なからず驚いた。
泣き真似? まさか、そんなに平民に触られるのが嫌だったのか?
貴族のご令嬢は平民に容赦ない。
「っ……いえ、あの……!」
溢れる涙を抑えるように、彼女はそっぽを向いた。
「ちが、この物語があまりにも素晴らしかったの……」
この腐った少年の姿を拒絶した訳ではないみたいだ。
その手元を見ると、見たことのない題名が書かれていた。
『華麗に婚約破棄してやりますわ!』
……華麗、と婚約破棄、という言葉は結び付かないように思える。
彼女は咳払いをした後、微笑みを浮かべた。
「取り乱してしまい、ごめんなさい。わたくしに何か御用?」
「実は……あなたの姿が綺麗だったので、つい声をかけてしまいました!」
設定は、ある日貴族のお嬢様と出会った平民、そこから恋が始まる物語風だ。
大体は貴族の女に相手にされないバッドエンド付きだが。
彼女は目をぱちくりし、それからおかしそうに微笑んだ。
「まぁ、ありがとう坊や。確かに人が本を読んでいる姿は、とても魅力的よね。わたくしもとある方の姿に惹きつけられて、今もこうして本を読んでいるの」
上手く相手に同意した上に、さらに自分には意中の相手がいるとやんわりと拒絶する。
「……どぉしてそんな本を読んでいるのですか?」
婚約者と別れたいのだろうか。
確かに彼女の婚約者ダリスとやらは、わたしの(仮)婚約者に熱を上げていると聞いたが。
「……もうすぐ婚約破棄をされると思うから、かな。あなたも聞いたことあるんじゃないかな? ”悪役令嬢シャーロット”、って」
静かに言葉を垂れ流すシャーロット嬢。
悪役令嬢、日ごろ流行りの狡猾な女性につけられるあだ名だとか。
彼女の言い草からして、どう見てもわたしの(仮)婚約者が裏で色々としていそうだな。
「いえ、ぼく中等部なんです。でもぉ、婚約破棄だなんて、ぼくだったら悲しいです」
「そんなことないわ、いざとなってみれば。婚約破棄、それは長年の苦しみからの解放を示しているもの」
長年の苦しみからの解放。
「ごめんね、お姉さんしゃべり過ぎちゃったみたい。ここでの話は、くれぐれも秘密にできるかしら? そうでないと、あなたにもわるーい噂がついちゃうかもね?」
立ち上がり、脅してくる令嬢。
普通のご令嬢が悲鳴を上げる薄汚い平民に、臆さず話す彼女。
なるほど、たしかにこれは興味深い。
「はぁーい、さようなら、綺麗なお姉さん!」
駆けていく少年の背中に、シャーロットはそっと語り掛ける。
「わたくしもどうかしていましたね、少年に打ち明けるなんて。この物語の残酷さに傷ついたのかしら。……主人公の声に皆が耳を傾け、その一言で洗脳が解けるなんて。そんなこと……あるわけないのに」
小さな呟きが、静まった図書館に落ちた。
◇◇
「脅迫、窃盗、器物破損、挙句の果てには殺害未遂? 私の暫定婚約者は派手にやっていたようだね」
(仮)婚約者、パイリン・エレンダについて調べさせると、面白いほどに証拠が集まってくる。
どうやらシャーロット嬢のみならず被害者は多数いるようだ。
「気に入らないご令嬢の婚約者を奪う? 随分と愉快な趣味だね。皇太子の婚約者という立場を鼻にかけて……」
彼女に興味を持ったことも、面会したことすらない。それが彼女をこうしたのなら、責任は取るつもりだった。
けれど、そういうわけではないらしい。
「そして決まって最後には、目の前で婚約破棄を宣言させて終了する、と。ここまでいくと精神状態が心配になってくるね。どちらが悪役令嬢なんだか」
一週間後、彼女主催のパーティーがあるらしい。おそらく、そこでシャーロット嬢を悪役に仕立てる気だろう。
彼女は、捨てるには惜しい。
こうしてわたしが今動いていることが、その証拠だ。
「パイリン・エレンダ……一週間後を、楽しみにしていてね」
偶然部屋を覗いた執事は、笑顔の怖さに腰を抜かしたとか。
◇◇
「シャロット・セイフィア! 貴様との婚約を破棄する!」
その声に、ざわついていた辺りが一斉に声の方を向いた。
視線の先にいるのは、一組の男女と一人の女性。
「……理由を聞かせていただいても?」
婚約破棄を言い渡されたシャーロットは、落ち着いてそう答えた。名前を間違えられているにもかかわらず。
「ふん、言うまでもないな! ここにいるパイリン嬢のノートを破り、指輪を盗み、ドレスを汚し、挙句の果てには階段から突き落としたのはどこの誰だと思っている!」
まぁ一息に言えるわね、と内心あきれつつも言葉を吐き出す令嬢。
「わたくしはやっておりません。全てパイリン嬢がなさったことです。ですので、わたくし自身が婚約を破棄される理由にはならないと思いますが」
落ち着いた物言いに、周囲が動揺し始める。
その空気を、甲高い声が切り裂いた。
「そんな、あたくしにあんな酷いことをしたくせに! ぐすっ、ダリスぉ!」
これ見よがしに胸をおしつけるパイリン嬢。
「シャーロット! お前がそこまで最低な奴だとは思わなかったぞ!」
その怒声にシャーロットはため息をつく。
やっぱり物語のようにうまくはいかないのね。わたくしの声に耳を傾けてくれるのは、ごく数人の方たちだけ。パイリン嬢が公爵家の娘だから? 殿下の婚約者だから?
諦めに近い感情を抱きつつ、それでも彼女は口を開く。
「はっきり言ったらどうですか……ダリス様は、パイリン嬢がお好きなのでしょう?」
「なっ」
目を見開くダリス。
「でも諦めて方が良いですわ。なにせパイリン嬢は皇太子の婚約者で、たかだか侯爵家のあなたとは格が違いますもの」
彼女は泣いていなかった。
言い訳も、媚びも、期待もない。
ただ事実を受け止めて立っていた。
「シャーロット!!」
「あぁ、そんな、ダリス! あたしのために怒らないで!」
ダリスはシャーロットに近づき、思いっきる手を振り上げた。
殴られたら、後で何十倍にもして噂でこの人を殴れますわ。
それでも空気を切り裂く音が近づき、反射的に目をつぶる彼女。
「そこまでだ」
その、空気が揺れた。
目を開いた彼女が見たのは、僅か先で止まった拳だった。
「んなんだお前、放せ、俺はシャーロットに!」
睨みつけ、掴まれた手を振り放すダリス。その男の顔を見たパイリンは、青ざめた声を上げた。
「ぎ、アルバート殿下っ!?」
「、え」
固まるダリス。騒ぎ出す観客。それと同時に、シャーロットの胸は騒ぎだしていた。
「たしかに殿下だ……」
「つまりあの令息は殿下の手を……」
不敬罪、という声にどんどんと血の気を失うダリス。
「いや、俺はっ!?」
「パイリン」
その鋭い声が、一斉にホールを沈めた。こちらに近づいてくる。
「その者は、お前の知り合いか?」
何処までも冷え切った視線。その視線を必死に受け止め、彼女は首を振った。
「っ……い、いえ」
「……は? 何を言って、パイリン、俺たちは……」
「触らないでくださいませ!」
伸ばしかけたその手を、扇でガードするパイリン。
「では、この者は一旦牢屋に」
「な、殿下許してください、俺はただ!」
「……? なぜ君は喋っているの?」
反論しかけたその口は、強制的に閉じられた。兵士がその口をふさぎ、三人がかりで会場の外へと引っ張っていった。
「シャーロット嬢、お怪我は?」
「……へ? あ、ありませんわ……?」
これで終わりだと思った。ひとりで立つ覚悟は、もうできていたのに――どうして、この人は手を伸ばしてくるのだろう。
そのまま殿下は視線をパイリン嬢に移した。
「パイリン嬢、今日は君に言うことがあるんだ」
「あたくしに!? はいっ、なんですか??」
嬉しそうに顔を上げて、にこやかに答えるパイリン嬢。
その顔面に、王子はあっさりと言い放った。
「パイリン・エレンダ。今この時をもって、君との婚約を破棄する」
「……は?」
状況が理解できず、彼女の表情が固まる。
「わからなかったかな? 君を婚約者から除外するってことだよ」
「っえ、ど、え……!? あ、あたくしはエレンダ公爵家の……な、なんでっ!?」
しどろもどろに言葉を繋げるパレンダ嬢。
「君はシャーロット嬢のみならず、様々なご令嬢に対して罪を犯した。さらに、君の周りには不特定多数の令息が群がっているそうだね。――女王様はさぞ楽しかっただろうね?」
耳元に囁かれた低音に、目から涙が流れだす。
「っ、あ、そんな!」
「違わないよ? 君も牢屋に入って貰おうか。一生幽閉って言うのもいいかもしれないね」
「あたしは公爵家よ!? そんなのお父様が許すわけ――」
「あ、言ってなかったかな?」
皇太子は顔を上げ、周りを見渡した。
「エレンダ公爵家は王家に虚偽の報告をし、その利益を独占、なおかつ自治も批判が殺到したため没落。代わりに、長年の農作物の研究結果が認められ、セイフィア家が公爵家に昇格したよ?」
「っな!?」
「……え?」
その情報に、会場にいる誰しもが驚きを隠せなかった。
約八十年続いていたエレンダ家の歴史が潰えたのだから。
「という訳で、パイリン嬢、君は婚約者に相応しくない。牢屋で反省してもらおうか」
放心状態のまま兵士に引きずられていくパイリン嬢。
奪わなければ、誰にも見てもらえなかった。そんな哀れな令嬢は、闇の奥へと消えていった。
その様子を見届け、クルリと殿下はシャーロットに向き直った。
「という訳で、シャーロット嬢の婚約は破棄され、なおかつ公爵家となった。そこで、私と結婚してくれませんか?」
「……え?」
あまりの情報量に、シャーロットはもはや笑いを浮かべる。
「君は今婚約者がいない。そして公爵家となった。つまり、君を狙う男は山ほどいる」
「……はい」
「そして、私の婚約者は牢屋行きだ。つまり私も婚約者がいない、それ上わたしは皇太子だ」
「えぇ」
「この事実から導き出される答えはただ一つ、わたしとシャーロット嬢が結婚をすることだよ?」
うーん、絶対にそうはならない気がするわ。
「引き受けてくれる?」
「……分かりましたわ」
殿下に”お願い”されて、断れる方などいるのかしら?
そう思いながら、彼女は優雅にお辞儀をする。
「政略結婚ではありますが、よろしくお願いいたします」
「……ん?」
「はい?」
アルバートの間抜けた声に、シャーロットは首をかしげる。
そんな様子を見て、アルバートは天を仰いだ。
「――さすが、まあ今は。……よろしく、シャーロット嬢?」
殿下は眉を下げ、それから彼女の手を取り、歩き始めた。
シャーロットが溺愛されていることに気付くのは、まだまだ後のようだ。




