【求人票】気象庁 特異気象課 ※業務内容:業務内容:「霊的気圧」の観測、予報および情緒の安定化
気象庁の本庁舎、最上階。壁一面に巨大なモニターが並ぶ「特異気象観測室」は、最新鋭のスーパーコンピュータの駆動音と、僕の鼻をすする音だけが響いていた。
「うぅ……ひっ……ぐすっ……」
僕――日和 陸は、デスクの隅でティッシュの山を築きながら、枯れることのない涙を流していた。
ただでさえ癖のある茶色の髪は、自分の涙と湿気でぺしゃんこになり、泣き腫らした目は兎のように赤くなっている。小柄で童顔、小動物のような頼りない風貌と相まって、今の僕は誰が見ても「いじめられた子供」にしか見えないだろう。
高校時代からずっと好きだった幼馴染。彼女がSNSに投稿した『彼氏と記念日デートなう♡』という画像を見てしまってから、もう三時間が経過している。 胸が張り裂けそうだ。悲しい。悔しい。惨めだ。
ゴロゴロゴロ……!!
僕が鼻をかんだ瞬間、窓の外で重苦しい雷鳴が轟いた。モニター上の「関東地方・霊的気圧配置図」が、真っ赤な警告色に染まる。
「……あーあ。また下がっちゃった。リクくん、君のメンタルは本当に分かりやすいねぇ」
呆れたような、それでいて楽しげな声が降ってくる。部屋の中央、司令官席に座っているのは、僕の指導係である天羽 暦先輩だ。
栗色の髪を無造作に遊ばせ、流行りのオフィスカジュアルをモデルのように着こなす彼は、テレビに出ているお天気お兄さんそのものの爽やかさを持っている。すらりと伸びた手足に、整いすぎた顔立ち。色素の薄いブラウンの瞳は、晴天の空のように明るいが、同時に底知れない圧力を秘めている。常に絶やさない営業スマイルは、老若男女を魅了する「陽」のオーラ全開だ。
……その本性が、天候さえも脅迫して従わせる「空の暴君」でなければ、僕も憧れていただろうに。
「す、すみません天羽さん……でも、涙が止まらなくて……」
「うんうん、分かるよー。青春だねぇ。でもさ」
天羽先輩は、手元のタブレットを操作しながら、ニッコリと笑った。
「君が泣くと、東京の湿度が上がってカビが生えるんだよね。あと、君が『あいつなんて不幸になればいい』って怒ると、局地的な雷雲が発生して電車が止まるの。……公務員として、私情でインフラ止めるのはマズいと思わない?」
「うっ……! そ、それは……」
僕の特異体質。それは「感情と天候の同調」だ。僕の精神状態が、周囲の「霊的気圧」に直結してしまう。僕が落ち込めば低気圧になり、怒れば嵐になる。
普通の人間なら「心模様」で済む話が、僕の場合は「実際の空模様」になってしまうのだ。
「ほら、見てごらん。さっき水道局の水脈ちゃんから引き取った『死者の雨』。君の『失恋低気圧』と混ざって、すごいことになってるよ」
先輩が指差したモニターには、東京湾上空に渦巻く、どす黒い積乱雲が映し出されていた。水道局が処理しきれずに空へ放出した「火災現場の記憶」を含んだ水蒸気。それが僕の「悲しみ」という冷たい空気に触れて、巨大な雷雲へと成長してしまっている。
「うわぁ……真っ黒……」
「そう。これは僕が気圧操作で海に流すけど……あ、しまった」
天羽先輩が、わざとらしい声を上げた。
「ごめんごめん、ちょっと手が滑って、雨雲の端っこが千切れちゃった。……霞が関の一角に、君の『涙』が漏れちゃったみたい」
「え? 漏れたって……ただの雨ですよね?」 「見てごらん、あれ」
先輩がサブモニターに映し出したのは、近くの官庁街の路上だった。 帰宅途中のサラリーマンやOLたちが、急な通り雨に慌てて傘を開いている。 だが、異変はすぐに起きた。
雨に濡れたサラリーマンの一人が、虚空を見つめて立ち止まったのだ。
『……え? なんだこれ。……写真?』
続いて、濡れたOLも悲鳴を上げた。
『キャッ! 何この映像……カップル? デートなう?』
路上の水たまりや、ショーウィンドウのガラス。そこに、ぼんやりとだが、ハッキリと映し出されている映像があった。それは、僕がさっき見ていた幼馴染のSNS画像――『彼氏とラブラブなツーショット』だった。
「ひいいいいっ!?」
僕はモニターの前で絶叫した。
「な、ななな、なんで僕のスマホの画面が街中に映ってるんですかぁっ!?」
「君の『悲しみ』の原因がそれだからだよ」
天羽先輩は、面白くてたまらないといった様子で解説を始めた。
「君のバグは、感情だけじゃなく、その『イメージ』まで雨粒に転写しちゃうことがあるんだ。……いわば、街中が君のプロジェクションマッピング状態だね」
モニターの中では、濡れた人々が困惑している。
『誰この男の子……泣いてる?』
『うわ、なんか惨めなポエム聞こえてくるんだけど……“僕の方が好きだったのに”だって』
『イタいなぁ……』
「やめてえええええっ!! 消して! 早く消して天羽さんんんっ!!」
僕は頭を抱えて床を転げ回った。死ぬ。これは死ぬ。社会的な死だ。自分の失恋と心の声が、赤の他人に降り注いでいるなんて。
「あはは、傑作だねぇ。幸い、被害範囲はこの一区画だけだけど……君が泣き止まないと、この雨雲、新宿まで行っちゃうかもよ?」
「泣き止みます! 今すぐ泣き止みますからァッ!!」
「いい心がけだ。じゃあ、物理的に止めようか」
天羽先輩は立ち上がると、デスクの引き出しから、派手な包装紙に包まれた箱を取り出した。それは、行列のできる店の高級マカロンだった。
「はい、口開けて」
「え?」
「糖分を脳に送り込んで、無理やりセロトニンを出せ。……これは業務命令だ」
一瞬だけ、先輩の笑顔からハイライトが消えた。僕はヒィッと悲鳴を上げて、慌ててマカロンを口に放り込む。サクッとした食感と、濃厚な甘さが口いっぱいに広がる。
「……おいしい」
「でしょ? ほら、もっと食べて。血糖値を上げて! 幸せホルモンを出して! 君は今、世界で一番ハッピーな公務員になるんだよ!」
先輩に次々とスイーツを口にねじ込まれる。エクレア、ドーナツ、チョコレート。甘味の暴力によって、僕の脳が強制的に「幸福感」を認識し始めた。
(……なんか、どうでも良くなってきたかも。幼馴染? 知るか、僕は今、高級スイーツ食べ放題だぞ)
単純な脳みそが「快」に切り替わった、その瞬間。
サーーーッ……。
窓の外から差し込んでいた暗い影が消え、眩しい西日が部屋に差し込んできた。モニター上の街の映像でも、雨が上がり、恥ずかしい幻影も消え去っていく。
「よし! 前線通過! リクくんの高気圧ガード、展開完了!」
天羽先輩は、すかさずコンソールに向き直り、鮮やかな手つきでキーボードを叩いた。
「この高気圧の風に乗せて……残りの『死者の雨雲』を沖合へプッシュ! ……はい、さようならー! 海に落ちて浄化されてねー!」
先輩がエンターキーをッターン! と叩くと同時に、東京湾上空の雷雲が、猛スピードで太平洋側へと流されていった。完璧なコントロール。これが、「特異気象予報官」天羽暦の仕事だ。
「ふぅ……。なんとか定時内に片付いたね」
先輩は額の汗を拭い、キラキラした笑顔で振り返った。
「よくやったリクくん。君の単純さ(バグ)は、扱いやすくて助かるよ」
(褒められてる気がしない……むしろ尊厳を失った気がする……)
雨雲は去り、東京の空には美しい夕焼けが広がっていた。だが、僕たちが安堵したのも束の間。
バリバリバリッ!!
室内のスピーカーから、耳をつんざくような激しいノイズが鳴り響いた。同時に、いくつかのモニター画面が砂嵐のように乱れ、火花を散らす。
「うわっ!? なんですか!?」
「あー……やっぱり出たか」
天羽先輩は、耳を塞ぎながら渋い顔をした。
「さっきの雷雲。君の『怒り』と『死者の未練』が混ざった強力なやつだったでしょ? それが移動する時に、強力な電磁波を撒き散らしちゃったみたいだね」
雷とは、巨大な電気エネルギーだ。そして霊的な雷は、物理的な電気だけでなく、通信波や電波にも干渉する「霊障ノイズ」を引き起こす。
「やばいですね……これ、通信障害になりますよ」
「うん。というか、もうなってる。ほら、電話」
先輩が顎でしゃくった先で、デスクの電話がけたたましく鳴り始めた。表示されている内線番号は『総務省』。最も電話を受けたくない相手だ。総務省・電波管理局の八木係長。天羽先輩とは「デジタル vs アナログ」で対立する天敵であり、その怒鳴り声は受話器越しでも鼓膜を破ると恐れられている人物だ。
天羽先輩は、「あちゃー」と肩をすくめると、観念したように受話器を取った。
「はいはい、お電話ありがとうございますぅ! こちら気象庁、本日の天気は『新人の涙』となっております☆」
相手が誰か分かっているくせに、ふざけた口調で先制攻撃を仕掛ける。 だが、受話器の向こうからは、怒号が飛んできたようだ。先輩が受話器を耳から少し離した。
『――ふざけてんじゃねえぞ、天気屋ァ!! テメェのところの雷のせいで、ウチの測定器が誤作動起こしてんだよ!!』
野太い、ドスの効いた声。総務省・電波管理局の八木さんだ。「アナログ絶対主義」を掲げる昔気質の先輩で、デジタル機器を愛する天羽先輩とは、これまた犬猿の仲らしい。
「いやぁ、ごめんごめん八木ちゃん。ウチの新人がちょっと失恋しちゃってさぁ。その衝撃波が電波に乗っちゃったみたい」
『知ったことか! おかげでウチの新人の耳がキンキン鳴って倒れてんだよ! 「空から『振られた』って怨嗟の声が聞こえる」ってな!』
えっ。僕は青ざめた。総務省の新人さん。たしか「音無さん」といったか。「霊的難聴」のバグを持つその人は、どうやら僕の心の叫びを、電波ノイズとしてダイレクトに受信してしまったらしい。
(ごめんなさい! 顔も知らない同期の人! 僕の失恋ソングを強制的に聞かせてしまって……!)
「あはは、それは災難だねぇ。……で? もちろん、八木ちゃんならその程度のノイズ、ちょちょいと直せるよね?」
『当たり前だ。デジタルの軟弱なノイズなんざ、俺の真空管アンプで殴り飛ばしてやる。……だがな、貸し一つだぞ。今度、美味い酒持ってきやがれ』
ガチャン!! 通話が乱暴に切られた。
「……ふぅ。怖い怖い」 天羽先輩は、全く怖がっていない様子で受話器を置いた。
「さて、リクくん。総務省の『ノイズ掃除屋』さんが動いてくれるってさ。これで一件落着だ」 「すみません……僕のせいで、他部署にまで迷惑を……」
僕が再び落ち込みそうになると、先輩がすかさず、食べかけのドーナツを僕の口に押し込んだ。
「ストップ。反省はいいけど、落ち込むのは禁止。また雨が降るからね」
「んぐぐ……」
「君の仕事は、笑顔でいること。……ほら、総務省の方角に向かって、『ごめんなさい』と『ありがとう』の笑顔!」
僕は口いっぱいにドーナツを頬張りながら、窓の外、霞が関のビル群に向かって、引きつった笑顔を向けた。
空は晴れたけれど、僕の心と胃袋は、まだ少しだけ重かった。
最後までお読みいただきありがとうございます!
シリーズ第4弾、気象庁編でした。
物理(国道)、論理(図書館)、感覚(水道)、そして今回の「感情」。
次回は、作中でも少し触れた「総務省(電波管理局)」のアナログおじさんが登場します。
5Gの電波に乗った呪いを、物理で叩き直すお話です。
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