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第九話 焦げた匂いとマドレーヌ

午後の柔らかい日差しが、アルカナ宮の窓辺に差し込む。フェリシアはそっと手を組み、窓の外の庭の緑を眺めながらぽつりとつぶやいた。


「暇ね…」


その声に、ニーナが軽やかに提案する。

「それなら、お菓子でも作りませんか?お手伝いしますよ」


マリーは柔らかく微笑み、フェリシアに向き直った。

「フェリシア様は、どんなお菓子がお好きですか?」


フェリシアは少し目を細め、微笑みながら答える。

「マドレーヌが好き…かな」


その一言で、三人は作業台の周りに集まり、白いエプロンを身にまとった。小麦粉をふるいにかけると、粉がふわりと舞い、光を受けて微かに輝く。卵を割り、バターを溶かして混ぜる手は少しぎこちないが、真剣そのものだ。泡立て器で生地をかき混ぜるたびに、手首に伝わる振動や、粘度の変化に神経を集中させる。


生地は思ったよりも手間がかかり、何度もこね直し、ヘラで型に流し込む。オーブンにそっと入れ、扉を閉じると、ガラスの向こうで生地が膨らみ、表面が薄く色づき始めるのが見えた。


「焼いている間、庭へ散歩に行きましょうか」


庭の空気は柔らかく、花の香りと湿った土の匂いが混ざり、微かな風が頬を撫でる。フェリシアは深呼吸し、少し緊張した肩をゆるめた。


ーーしかし、キッチンの中では、次第に焦げる匂いが立ち込めていた。



*(アーレス視点)



廊下を歩きながら家臣と軽く会話していたが、かすかに鼻を突く焦げ臭さに顔をしかめた。

「……?」


足元の石畳に意識を集中させ、香りの方向へ進むと、そこは普段は通らないアルカナ急につながる廊下だった。門番は立ったまま居眠りしている。アーレスは思わず顔色を変え、急ぎ足でアルカナ宮へ駆け込む。


厨房の扉を開けると、焦げた匂いが室内に充満していた。テーブルの上には、形の崩れたマドレーヌがいくつも並んでいる。フェリシアはお皿を見つめ、眉をひそめて悩むようにマリーとニーナを交互に見た。

「焦げちゃった…食べれると思う…?」


アーレスは静かに歩み寄り、フェリシアに問いかけた。


「…それはなんだ?」


「へ、陛下!?」


驚き数歩後退りをするフェイリシアをよそに、アーレスは静かに歩み寄り、フェリシアに何をしていたのかを尋ねる。

「マドレーヌを焼いたのですが…焦がしちゃって…」フェリシアは少し俯き、落ち込みながら答えた。


「食べないなら、貰ってもいいか?」

アーレスの声に、フェリシアは慌てて首を振る。

「だ、ダメです…!こんな焦げてる上に不恰好なものを陛下にお出しするわけには…!」

「焼き直すにしても、マリーや王宮の料理人に作らせた方が美味しいものができますよ…!?」


「君の手作りが食べたいんだ」

その一言で、フェリシアの目が大きく見開かれた。

「そ、それなら作り直します!!」


しかしアーレスは微笑みながら首を振る。

「勿体無いからいい」


フェリシアが何度も止めようと手を伸ばしても、アーレスは気にせず、焦げたマドレーヌの中でも比較的ましなものを選んだ。

「これならいいだろう?」


マドレーヌを齧った途端、小さく渋い表情を浮かべたアーレスに、フェリシアはすぐさま「やっぱり作り直します…!」と慌てた。しかしアーレスは静かに説明する。

「周りは焦げているが、中は無事だった」


さらにもう一つ食べようとするアーレスに、フェリシアは叫んだ。

「陛下!?それは黒焦げなのでダメです…!気に入っていただけたなら作り直しますから!!ね…!?」


しかし、時すでに遅し。

「これは貰っていく」

「だから、焦げたやつは…!!」

「どうせ焼くなら、新しく焼いたやつを君が食べればいい」


「陛下…!!」


パタンッ──厨房の扉が静かに閉まった。アーレスはお皿ごとマドレーヌを抱え、立ち去った。


マリーとニーナは小さくため息をつき、手を合わせながら「次はもっと上手くいきますね」と笑った。フェリシアは腕を組み、少しだけ笑みを返す。


「…うん、ありがとう」


「でも次は絶対に美味しいものを作るの!また一緒に作ってくれる…?」


「「もちろんです!」」


窓から差し込む午後の柔らかい光が、焦げた匂いをかすかに残す厨房の空気を温かく包み、三人の頬を優しく照らしていた。


「次は陛下の舌を唸らせるようなものを作りましょうね!」



執務室にて、ガイオスは眉をひそめながら問いかける。

「あの、陛下?その焦げた何かはなんですか…?」


アーレスはけろっとした顔で答えた。

「これは姫君が焼いたマドレーヌだよ」


「で、それがどうして陛下の机の上にあるのですか?」

「陛下は甘味系のお菓子は嫌いではなかったのですか?」


問い詰めるガイオスに対し、アーレスは静かにマドレーヌを見つめる。

「貰ってきた」

「甘いものは好きではないが、彼女が初めて焼いたものだから価値がある。それだけだ」

次回、【第十話 パーテーション越しの視線】

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