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第七話 不意の来訪者

「今日も良い天気ね」

「本当に!風が心地良い穏やかな日ですね!」


フェリシアは、マリーとニーナと共にアルカナ宮内の庭園を散策しながら談笑していた。

噴水の水が陽光できらめき、小鳥たちが囀りながら枝から枝へ飛び移る。丹念に手入れされた花壇には、季節ごとの花が咲き誇り、宝石にも劣らぬ光を放っていた。


「フェリシア様、今日はどのように過ごされますか?」

マリーがにこやかに尋ねる。


「そうね……」

フェリシアは視線を空へと向け、考え込むように言葉を濁した。

だが、その思案を破るように、庭の入口から一人の侍女が駆け込んできた。顔は青ざめ、肩で息をしている。


「妃殿下……っ! お、お客様が……!」


「お客様?」

ニーナが首を傾げる。


「フェリシア様にご予定はなかったはずですが……」


「マリー、ニーナ。急いでいるようですし、行ってみましょう」

フェリシアは落ち着いた声で二人を促した。


しかし、渡り廊下に近づくにつれて、甲高い声が廊下に反響してきた。


「お、お客様…!どうか落ち着いてください!!」

「は?お客様ですって?」


「お客様ですって? 笑わせないで! 本来ここは私のものなのよ!」


フェリシアが客人の待つ場所に近づくにつれ、金切り声が大きくなっていく。


「慌ててきたけど、何があったの?」


フェリシアは眉をひそめた。まるで喧嘩腰のその声音は、礼を弁える来訪者のものとは到底思えない。


視線の先に現れたのは、紅のドレスをまとった一人の令嬢だった。

巻かれた赤紅色の髪を誇示するように揺らし、歩くたび、宝石の縫い込まれた裾が床を叩きつけるように鳴り、鋭い眼差しでフェリシアを射抜いた。


「妃殿下……? あなたがアーレス様の新しい女性?」

彼女は鼻で笑い、蔑みを込めて言った。


「妃殿下と呼ばせるなんて、ずいぶん厚かましい趣味をしているのね」


「私の趣味ではないけれど……貴方のお名前を伺っても?」

フェリシアは微笑みすら浮かべず、静かに応じた。


「私の名前も知らないの? どこの田舎娘よ」


女は顎を高く上げ、声を張る。


「私は、この帝国に三つしかない公爵家の一つ、グラディアール公爵家の嫡女、ロザリア・グラディアール」


「ここは本来、私の場所だったの。アーレス様の懐に偶然転がり込んだ小娘ごときがしゃしゃり出る場所じゃない!」


フェリシアは一歩も引かず、その瞳を真っ直ぐに返す。



「私は三代帝国、リュミエール神聖国第一皇女、フェリシア・リュミエール・アルストロメリア」


声は穏やかだが、確固たる誇りを帯びていた。


「この国の皇帝と婚約を結んでいる私と、公爵家の一令嬢。正当な立場にあるのは、どちらでしょうか」


ロザリアの顔色が変わった。


「どうせ貴方は政治の駒にすぎないわ!私はアーレス様に愛されているの。何をしても許されるのよ!」


その声は、狂おしいほどの執念を帯びていた。


「私は幼いころからあの方と共に育ち、婚約関係にあったのだから!」


フェリシアは一瞬だけまぶたを伏せ、そして静かに告げる。



「……いくら愛されたとしても、陛下との婚約も"過去"の話でしょう?」


「なっ……!」


――バチンッ。



ロザリアの手がフェリシアの頬に飛んだ。

乾いた音がホールに響き渡り、フェリシアの頬が赤く染まる。


だが彼女は表情を変えず、頬に熱を感じながらも、その瞳は一片も揺らがず、ただまっすぐロザリアを見返していた。


「フェリシア様!」



ニーナが慌てて冷やすものを取りに駆け出し、マリーは固まった侍女たちへ素早く指示を飛ばす。



その時――。



重い足音が近づき、鋭い気配が場を支配した。


「……何の騒ぎだ」


渡り廊下の奥から現れたのは、騎士たちを従えたアーレスだった。

冷徹な双眸が場を一望し、フェリシアの赤くなった頬に留まる。


「……アーレス様!!」

ロザリアの声は、先ほどまでの傲慢さを失い、怯えを帯びた。


「マリー・テルセ、何があったのか説明しろ」

「はい、陛下」


マリーは一部始終を正確に伝えた。


「今の話に虚偽はないか」

アーレスの視線が侍女たちに走る。

誰もが恐れに震えながらも首を縦に振った。


「…ロザリア・グラディアールを直ちに拘束し、一時的に牢に入れろ」

「ガイオス、グラディアール公爵にこのことを通達し、彼女を迎えに来るように言っておけ」

「かしこまりました」


「お待ちくださいアーレス様! なぜですの!? 今までは私が何をしても許してくださったじゃない!!私を愛しているからでしょう!?」


必死の叫びに、アーレスは一切の情を見せず告げた。


「勘違いするな。私は一度も、貴様を愛したことなどない」


その声は冷たい氷の刃のように響き渡り、誰も逆らえぬ威を帯びていた。


その言葉に、ロザリアの顔から血の気が引き、足から力が抜け落ちた。

兵に両腕を掴まれ、無様に引き立てられていく姿が、渡り廊下の奥に消えていく。


 静寂が戻った頃、アーレスはフェリシアのもとへ歩み寄り、膝を折って目線を合わせた。

 先ほどまで冷酷さを纏っていた瞳は、深い夜に灯る焔のように揺らぎ、温もりを宿していた。


「……侍女が冷やすものを持ってくる。少し待て」

「はい……ありがとうございます」


「痛むか?」


アーレスの低い声には、怒りの余韻と同時に、深い憂慮が滲んでいた。


フェリシアは小さく首を振る。


「お気になさらないでください。木登りをしている途中で落ちるよりは痛くないので」


 その返答に、アーレスはその姿を見つめ、何かを言いかけて、言葉を飲み込む。


「……そうか。ロザリアの件は私が対処する。だが、この宮は君の家でもある。今後何かあれば、君が処分を下して構わない」


静かに頷くフェリシア。


だがアーレスの瞳の奥には冷徹な皇帝とは似ても似つかない、動揺した一人の男の姿があるようだった。





その夜。

宮殿が寝静まった頃、アーレスは音を殺して廊下を歩いていた。


扉をそっと開けると、そこには深い眠りに落ちたフェリシアの姿がある。


月光がカーテンの隙間から差し込み、静かな寝息と共に彼女を照らしていた。

安堵が胸を満たすと同時に、言いようのない痛みがこみ上げる。


「僕は君と違って、完璧にはできないな……」

掠れるほど小さな声で呟き、彼はただ一瞬だけその姿を見つめた。


そしてアーレスは振り返り、月明かりを背に受けながら、静かに部屋を後にした。


ここまでお読みいただきありがとうございました。



次回、【第八話 象徴の紫】

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