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第五話 新天地

馬車の扉が閉まり、革張りの座席に腰を下ろすと、馬車は静かに揺れ始めた。手にしたパンをそっとかじりながら、フェリシアは窓の外に広がる景色を眺める。城下町の石畳が後ろへ流れていく様子を、まるで夢の中の風景のように目で追った。


一方で、隣に座るアーレスは、パンをすでに食べ終え、手元の地図や書類に目を落としている。


「干しぶどうパン、お口に合いましたか…?」

フェリシアの問いに、アーレスはちらりと視線を上げるだけで微かに頷いた。



「たまに食べたくなる味だった、悪くない」

「また機会があれば寄ろう、次は銅貨を持って」


「…はい」

フェリシアは小さく微笑み、もう一口パンをかじった。


馬車の揺れに合わせ、外の景色がゆっくりと後ろへ流れていく。城下町を抜け、石畳の音が遠ざかる。フェリシアは胸の奥で、わくわくと少しの不安が入り混じるのを感じた。


(エセリアル天帝国はどんな景色をしてるのかな)



アーレスは再び書類に目を落とす。静かな時間。だが、馬車の小さな揺れや、わずかな風の音が、今この瞬間だけの二人の空間を形作っているようだった。


「陛下、もう少しで空間移動用の魔法陣に到着します」

「あぁ、わかった」


馬車はさらに森の奥へと進み、木々の間から差し込む光が風によってゆらゆらと揺れる。フェリシアは窓に顔を寄せ、胸の奥で鼓動がわずかに早まるのを感じた。目の前には、薄く光を帯びた空間移動魔法陣の紋様が地面に広がっており、馬車が魔法陣の上で停車すると、馬車全体が青白い光に包まれた。


空間転移の光が収まり、視界がはっきりと戻った瞬間――

馬車の窓の向こうに、圧倒的な光景が広がっていた。



「もしかして、ここが王都セレスティア!?」



王都の上空には謎の浮遊島。そして、中央の丘のようになっている土地の上には、白石を積み上げた王宮と思しき建物。王宮を囲むように作られた王都の石造りの街並みは、白亜を基調としながらも、屋根には瑠璃色や深紅の瓦が彩りを添え、まるで大地そのものが宝石箱をひっくり返したかのようにきらめいている。


「綺麗……!!」

フェリシアは目を輝かせ、窓の外に広がる光景に釘付けになった。


「わぁっ……!あれ、何ですか?空に浮いてる島!」

「……《ヒエロニア群島》だ。古代の遺産だが、今も稼働している」

「えぇ……本当に浮いてるんですね!じゃあ浮島の上に建っている、いくつかの塔に囲まれた建物は……?」

「魔法学園 《マギア・サピエンティア》。帝国でも最高峰の学術機関だ」

「魔導士の育成の他にも、魔法や魔道具の研究も行われている」


矢継ぎ早に問いを投げかけるフェリシアに、アーレスは淡々と答えた。

フェリシアはその一つひとつを新鮮な驚きとして受け止め、瞳を輝かせながら耳を傾ける。

そんな彼女の隣で答えるアーレスの横顔は、いつもの冷徹な皇帝とは違い、どこか柔らかさを帯びていた。



馬車が城壁に近づくと、壮麗な門が音もなく開かれる。高い城壁に囲まれ、そのさらに奥にそびえるのは皇帝の住まう宮――ゴルト宮。


「……着いたぞ」

馬車が停まると、アーレスは当然のように席を立ち、フェリシアへと手を差し伸べた。

「あ、ありがとうございます……」

手を取ると、彼の手は意外なほど温かかった。



王宮の広間を抜け、さらに奥へ進むと、両開きの大扉が行く手を塞いだ。


扉は象牙色に輝く木材で作られ、表面には古代神話を思わせる細かな浮き彫りが施されている。両端に立つ門番が槍を掲げ、深々と頭を下げると――重い蝶番が低く軋み、ゆっくりと扉が開いた。


その向こうに広がっていたのは、光に満ちた渡り廊下だった。



磨き上げられた大理石の床は乳白色に光を返し、窓辺のステンドグラスを透かした陽光が赤や青、金の模様を床に散らす。揺れる光は足元を彩り、まるで祝福を告げるようだった。


高い天井を支える白銀の柱は蔓草の彫刻で飾られ、等間隔に吊られた水晶灯が澄んだ光を放っていた。廊下に響くのは、革靴の乾いた音とドレスの裾が擦れるかすかな音だけ。静謐な空気が、二人を包み込んでいる。



やがて廊下の終わりに、もう一つの宮殿が姿を現した。



「あの…ここは…?」

フェリシアが小声で問いかけると、アーレスは視線だけを前に向けたまま答えた。

「ここはアルカナ宮。王宮(ゴルト宮)以外から入ることができない外界から遮断された秘密の宮殿だ」



王宮(ゴルト宮)本殿とは異なり、白大理石を基調にしながらも金と群青の装飾が随所に施されている。重厚さの中に、どこか気品と温かみを感じさせる佇まいだった。天井から吊り下げられた黄金のシャンデリアが幾重にも枝分かれし、無数の光が星のように煌めいている。



その大広間の中央には、人々が待ち受けていた。



一糸乱れぬ姿勢で整列した侍女やメイドたち。その最後尾に、漆黒の礼服に身を包んだ老執事が立つ。深い皺に刻まれた眼差しは、威厳と温かみを同時に宿していた。



「陛下、お帰りなさいませ。そして……皇妃殿下を、心より歓迎いたします」



その言葉に、フェリシアは思わず足を止め、胸を押さえた。

(こ、皇妃殿下……!? 私のことを……?)


視線を上げると、列の中央から二人の侍女が進み出る。姉妹だろうか、よく似た顔立ちをしている。姉の方は落ち着いた物腰で、長いまつげを伏せながら静かに礼を取った。妹の方はまだあどけなさを残した表情で、緊張からか言葉を急いだ。


「皇妃殿下、お初にお目にかかります。今日から主に皇妃殿下の身の回りの世話を仰せつかりました、マリー・テルセと――」

「ニーナ・テルセでございます!!」

声が大きく響き、ニーナの頬が一瞬赤らむ。姉のマリーが横目で制しながらも、どこか優しく微笑んだ。


フェリシアは二人の姿に圧倒されつつも、胸の奥にくすぐったい恥ずかしさを覚える。自分が「皇妃殿下」と呼ばれるなど、どうしても馴染めない。

「え、えっと……その、恥ずかしいので……名前で呼んでくれませんか?」


勇気を振り絞って言葉を返すと、二人は一瞬驚いたように目を丸くした。しかしすぐに顔を引き締め、深々と頭を下げる。


「!……かしこまりました、フェリシア様」

「はい、フェリシア様」

澄んだ声が重なり、広間の空気が和らいでいく。フェリシアはほっと息をつき、自然と微笑んでいた。


館内を案内してくれるのは執事セバスとテルセ姉妹。アーレスもついて行こうとしたが、途中で側近のガイオスが現れ、無表情で一言。


「陛下、机に山積みの案件と、これから会議がございます」


無機質に告げられた一言に、場の空気がぴたりと凍りつく。

アーレスの眉間がわずかに寄り、低く短い舌打ちが聞こえた。

「チッ……」

小さな音ではあったが、フェリシアは驚いて瞬きを繰り返す。普段の彼からは想像もできない、拗ねたような気配が滲んでいたからだ。


それでもアーレスはすぐに表情を整え、フェリシアへと視線を向けた。

「姫君、今日は疲れただろう。ゆっくり休んでくれ」

その声音には、先ほどの不機嫌さを悟らせない柔らかさがあった。フェリシアは思わず小さく頷く。


しかし彼は続けて、ごく自然に言葉を付け加えた。



「それと、明日は夕食を共にしよう」



「え!?!?」

思わず声が大きくなり、廊下に反響する。頬が一気に熱を帯び、フェリシアは慌てて口を押さえた。


そんな彼女の慌てぶりに、アーレスはわずかに口元を緩める。

「ふっ……」

短い笑みを残すと、踵を返し、ガイオスを従えて広間の奥へと去っていった。


去りゆく背を見送りながらも、フェリシアの胸は早鐘のように鳴り続けている。突然の誘いに戸惑いが勝っていたが、彼女の背後では別のざわめきが起こっていた。



「陛下が皇妃殿下と……夕食をご一緒に!!」



侍女やメイドたちが、声を潜めながらも歓喜を抑えきれずにいた。瞳を輝かせ、互いに顔を見合わせる一方で、フェリシアは突然の誘いに胸は驚きと不安でいっぱいになり、どうしたらよいのか分からずに立ち尽くすしかなかった。


ここまでお読みいただきありがとうございました。


次回、【第六話 秘密の宮と晩餐】

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