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プロローグ② この国を守るために

「今回お前たちに集まってもらったのは、フェリシアの嫁ぎ先についてだ」



毎年春に開催され、特権階級の令嬢や令息達が十八歳になる年に参加を義務付けられているデビュタント。

一国の皇女であるフェリシアも例外なく参加したが、彼女が十八歳になったのは今から二ヶ月ほど前のこと。

一般的な婚期は十八〜二十五歳だが、十八歳になったばかりで婚姻の話が出るのは早い方だった。


「エセリアル天帝国から、随分前に正式な縁談が届いていた。現皇帝のアーレス・エセリアル・ファータリオン自身からだ」


(え?)


レアリテは微動だにせず、ずっと前からそのことを知っているようだが、フェリシアにとっては、まさに青天の霹靂が落ちたような衝撃だった。


「あの、冷徹無情で女嫌いの皇帝自らですか…?」


エセリアル天帝国は、リュミエール神聖国やヴァルカリア海栄国と並ぶ三大帝国のひとつ。

豊富な食糧資源を有しており、リュミエールの貿易においても欠かせない国。けれど、もう一方で圧倒的な軍事力を持つエセリアル天帝国は、リュミエール神聖国にとって脅威的な国でもあった。


「そうだ。ヴァルカリアのこともあるが、何よりもフェリシア。私はお前の幸せを願っているんだ」

優しく、けれど揺るがぬ声音だった。


その一言に、父としての覚悟と愛情が詰まっているのを、フェリシアは理解していた。

けれど、その次の言葉は、彼女の心に冷たい水を浴びせかけることになる。


「けれど最近になってあの男(アーレス)が……縁談を断れば戦も辞さぬと通達してきた」

「正式な文書ではない。それでも、あの男が直接寄越したものに変わりはない」

部屋の空気が、重く沈んだ。

静かに座っていた兄・レアリテの眉がかすかに動く。


「本来なら、私の一存で跳ね除けるべき話だ」

「だが、これはもはや政略ではない。国家の存続がかかっている」 

 (リベルタ)はゆっくりと手を握りしめ、フェリシアを正面から見つめた。

その瞳には、父親としての苦悩と、皇帝としての決断が同居していた。


「……拒めば、リュミエールは焼かれるだろう。負け戦だとわかっていても、私は戦うつもりだ」

「だが、最後に決めるのは、お前だ。私は、お前が“嫌だ”と言えば、迷わず剣を取る」


フェリシアは唇をかみしめたまま、ただ黙っていた。

なんの前触れもなく、国と自分の人生を天秤にかけられ、自分の人生を選べば国が滅びてしまう。

一つでも判断を間違えれば、国が火の海に飲まれてしまう。

そんな状況下で、怒りでも、恐怖でもなく──迷いと、葛藤と、そして……覚悟が、彼女の中で形を成していく。


 


しばらくの沈黙のあと、フェリシアは小さく息を吐き、顔を上げた。


 


「……私は、争い事が嫌いです」

「この国の人々が、傷つくのは見たくありません。誰かを失って泣くのも、誰かを恨んで生きるのも──私は、見たくありません」

静かな声だった。けれど彼女の言葉一つひとつに、強い意志が宿っていた。


「愛するこの国が火の海にならずに済むのなら……私はエセリアルの皇帝に嫁ぎます」

「……これは、私の意思です」


 


長い長い沈黙の後、(リベルタ)は口を開いた。


 


「そうか…お前の選択を尊重しよう……」

普段見ることのない、暗い表情をする父を少し心配そうに見つめながら、フェリシアはこれから訪れる未来への不安や恐怖を、唾液と共に飲み込んだ。

いくらフェリシアが愛され、恵まれ、幸福な人生を歩もうとも、彼女(フェリシア)祝福の血(ヴェルディアブラッド)を持つ限り、皇女である限り、生まれたその瞬間から彼女の運命は誰かに握られている。

選択肢を与えられていながらも、許される答えは一つしかない。

フェリシアがずっと逃げてきた運命が、今になって彼女を蝕んだ。


「……嫁ぐ日が決まり次第、また使いを向かわせる。それまでエセリアルの礼儀作法を完璧に覚えて待て」


 (リベルタ)の話が終わり、レアリテが退出したのを見計らうと、フェリシアとシンシアはレアリテから逃げるように父の執務室から出た。

だが、既に自分の仕事に戻ったと思われていたレアリテは、扉のそばでフェリシアとシンシアを待ち構えていた。


「お前たち、俺が何を話したいかわかるな?」

「「はい…… 」」


城壁を爆破したことを怒られるのかと身構え、俯くフェリシアとシンシアだったが、予想していたような言葉はレアリテの口から出てこなかった。


恐る恐る二人が顔を上げると、レアリテは下唇を少し噛み、不安を押し殺しているような表情で目を背けている。


「レア……?」

あまり見ることのない、兄の表情にフェリシアは心配そうに声を掛ける。

すると、レアリテは大きく息を吐き、口を開いた。


「今日はこんなことをしてる場合じゃないな……また後日詳しく話してもらう」



 


その夜、フェリシアの部屋。蝋燭の明かりが静かに揺れていた。

ただただぼーっと、彼女は天蓋ベッドに寝転がり天井を見つめる。


「結婚ねぇ……」



 エセリアルの皇帝──と聞き、真っ先に思いつく印象が“女嫌い”だ。

 皇帝の女性嫌いは数多くの噂や憶測が飛び交い、ロマンスやゴシップが好きな令嬢の中では国を問わず話題の的。

 けれど、一国の統率者として非の打ち所がない男。年齢も若く、政や軍を統べる手腕は見事なもの。

 あの内政が廃れきったエセリアル天帝国をやや無理やりな方法だとしても、即位してたった四年で立て直したのだから。


でも、そんな男と上手くやっていけるのだろうか。

不安ばかりが積もる一方で、時間はあっという間に過ぎていった。



コン、コンッ。



古時計の針の動くかすかな音だけが聞こえる、真夜中の静寂さを破ったのは、控えめなノック音だった。


「なあ……お前、まだ起きてる?」


扉が開かれると、側にはシンシアが立っていた。

フェリシアが言葉を返す前に、彼はずかずかと部屋へ入り込み、彼女の顔を見るなり眉をひそめる。


 

「はっ、しけたツラしてんな」



「……バカにしに来たの?」

「ちげーよ。気分転換しに行こうぜ」

そう言うと、シンシアは手に持っていたローブをフェリシアに投げ渡した。


「あ! 夜の街じゃ目立つ髪と目してんだから、隠蔽の魔法具も忘れんなよ」

変わらぬ口調で言い合いながらも、二人は慣れた手つきで支度を進める。



今夜は宮殿を抜け出すのに、いつもより少しだけ時間がかかった。


 



 


一方その頃、遠く離れたエセリアル天帝国の王都セレスティアでは、仕事の山を片付け終えた一人の男が、血に濡れた手を拭きながら報告を静かに聞いていた。


 


「……早馬からの報告です。正式に、リュミエールから婚姻了承の返答が来ました」

侍従の言葉に、アーレス・エセリアル・ファータリオンは、小さく頷く。

「そうか」


 

静かな地下牢の厚い扉の向こうからは、かすかに許しを乞う声と悲鳴が聞こえてくる。

だがアーレスは、そんな雑音は聞こえていないかのように、紫水晶のような瞳で宙を見つめ、息を吐く。


 


「もうすぐ彼女に会える」


 


その言葉は、ほとんど自分自身に言い聞かせるように漏れた。

静かに閉じた瞼の裏に浮かぶのは、ひとりの少女の面影。

微笑みを浮かべ、差し伸べられ握った暖かい手が、まるで昨日のことのように記憶が鮮明に蘇るようだった。

(たとえ、彼女が何も覚えていなくても、運命が必ず僕らを手繰り寄せる)


「待ち遠しいな……」

アーレスは薄く血痕が残る、自身の左手の薬指にそっと唇を落とした──。



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