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⑵『数秒の電気霧』
⑵『数秒の電気霧』
㈠
数秒であるからして、それは実感の実に乏しいものではあるが、電気霧は、確かに眼前で躊躇しつつも、こちらに拝跪しながらも、俺の足を痺れさせてくる。運動と決めて、その電気霧の脱却であるが、なかなか、上手くは行かないものだ。
㈡
それでも、その数秒が、数十秒になると、これはそれこそヤバい感じがするだろう。まさに、電気椅子に座っているかの様だから、恐ろしく危険で、神に殺されるかもしれない、という大きな不安が襲うことは、確実である。
㈢
だからといって、これ以上の運動は難しい。一体どうしちまったんだ、俺の身体は。分からないな、しかし、医者に行くほどのことか、と脳内で自問自答し反芻すれば、そこまでの事ではない、とも思う、数秒の電気霧なのである。