アドニスの血
仕事を始めて三日目の朝、そつなく朝食作りを終え、変人達を尻目に朝食を食べる。食べ終わりそそくさと自室に戻ろうと席を立ったところを唐突に引き止められる。直接ではなく間接的にである、それは詐欺師の微笑みとうさんくさい言葉のせいであった。
「マキさん。仕事のことで少し相談したんだけど、この後少しいいかな」
絶対に止めてくれ。心の中で毒づくも立場上表には出せない。断れと思いながらも同様に立場上断れないことを知っている。マキのすがるような目を見ながら席につく。
「仕事の話なら俺も同席しよう」
「残念ながらファエくんだけには聞かせられなくて、悪いね」
即座に袖にされた。関わらなくて済む嬉しさと後で痛い目を見る予感で心を乱されながら、息をつく。何だよ俺だけにはって、不吉すぎる。予感ではなく、これから悪いことが起きるのが確定している哀れな同僚を見ながら首を振る。
「わ、分かりました。少し食休みを挟んで伺いますわ」
「ありがとう。待っているよ」
同僚がどう騙されるにせよ、もう手は出せない。賽は勝手に投げられた。部屋で休んでいるも気持ちが落ち着かず、昼食を作り始める。メニューはオムライス、卵を溶いているとのんきな声がする。
「お昼ごはんはなんだろな〜、ふぁえくんふぁえくん、私麻婆豆腐が食べたかったり」
「うるさい、もうほぼ完成してるんだ我儘言うな、オムライスだ。詐欺師の分のケチャップかけさせてやるから、何て書くか悩んでろ」
「冷たい!昔はもっと優しかったのに、思春期?ツンデレ?たまにはデレデレしてくれても良いんだよ?私達は家族みたいなものなんだからさ」
「勝手に家族にするな、それに昔のことを持ち出すなよ。優しさというより、上辺の会話だっただけだろ、カマリと組んで仕事した時の苦労話を嫌と言うほど詐欺師に聞かせてやろうか?」
「それはずるいかな、私の異世界デビューは持ち出さない約束だよ」
「そんな約束をした覚えはない」
「なら、いましよ!はい約束!」
「そんな一方的な約束があるか、そんなものしなくても、もう意地が悪いほど子供じゃないさ」
「私にとっては、いつまでたってもふぁえくんは愛い弟だよ」
そんな嫌なものに一度でもなった記憶はない。とりあえず、これ以上余計な話を聞く前にケチャップで遊ばせておこう。それからしばらく、あえなく姉弟喧嘩に負け四人分のケチャップが悲惨なことになった頃、残りの二人が現れた。
「やあ、待たせたかな。お、いいね、オムライスか」
ささくさと席につく詐欺師とは裏腹にマキはリビングに入らず廊下で顔を伏せ震えている。おいおい何をしたんだ詐欺師、ことと次第によっちゃ許さねえぞ。
「どうした、大丈夫か?マキ」
「…………ご、午後からデートしませんか、ふぁ、ふぁえにぃ」
……………………は?
思考を放棄して詐欺師の方に振り返る。詐欺師の楽しそうな顔のついでに、カマリのキラキラとした顔が見えた。
ひとまず、状況把握のためにデートに出かけるとすぐ、手を奪われた…………兄扱いなら、まあセーフか?
どこに行きたいと聞くも特にないという。生憎とこの街に洒落たスポットは存在しない。いい感じのデートは諦めてもらうが昼からわざわざシャワーを浴びる必要はない、比較的安全そうな闇市へ行く。ちなみに、この街に統制と法はないので、闇ではない市などない。それはもう普通の市なのではなかろうか。
秩序どころかウインドウもない野ざらしショッピングを冷やかしながら途中あった公園風の更地にあるぼろい椅子に座る。これを狙ってか近くに出店していた品質の怪しいクレープを二つ買う。まあ、死にゃしねえだろ。
「ん、美味しいですね、ファエにぃ」
「そりゃ重畳」
上を見上げる、空はいつもの濁った色だ。相変わらず憂鬱である。いつ見ても空は広い、まるで俺の矮小さを見せつけるかのように。思考が飛ぶ、現実逃避。
「この後はどうしましょうか。まだショッピングしますか。何も買っていませんが」
「とはいっても、他に行くところないんだよな、この辺が一番まともだ」
「なら、このまま日向ぼっこでもしましょうか」
「日は出てないけどな」
そのまま、部屋で駄弁るのと同じように駄弁る。わざわざ外に居る意味もなく、普段と変わらないがそれでも普段より嬉しそうだ。いったい何が嬉しいのやら、他愛もない話を続ける。どうせ帰ってもすることは同じだ、特に文句もなくそのまま続ける。あたりさわりのない話もひとしお、迷いながら話しかける。
「で、なにを騙されてこんなことになったんだ」
「さぁ、よくわかりませんでした」
「よくわからないのに、見ず知らずのおっさんを兄呼ばわりするのか」
「見ず知らずではありません。この3日私が素直に話した時間を考えると、生きてる人の中で一番かもしれません」
「そりゃ、悲しい人生だったな」
「それはお互い様では?」
「うちの妹を勝手に殺すな。勝手に人の心を悟るやつが多くてな。話さなくても勝手に見透かされるんだ、素直もなにもない」
苦い記憶を辿る。幼少期しかり、思春期も元チームの中で最年少、かつ、一番才能のなかった。俺は今も昔もその昔も誰かに踊らされてばっかりだ。
「それで、私のお兄ちゃんになってくださいますか」
「わけのわからないことをいうな、何があっても血は繋がらねえよ」
「あら学がないんですね。その昔、桃園で兄弟の契りをした人達がいるそうですよ。他人でも誓いで義兄妹になれるんですよ」
「そんな奇抜な例を持ってくるなよ」
なぜその話をこっちの世界のお前が知っている。それとも似たような歴史があったのか。桃園まで被せるなよ。
「後もう一つ、義妹とは結婚できるんですよ。良かったですね」
「……そりゃ、他人だ元々できる」
「そうですね。ファエお義兄ちゃん」
「そもそもこの街に結婚なんて制度はねえよ」
人どころか街の存在が公的に認められていないのだから、そう続けることはなく、楽しそうなマキの笑顔に俺は空を見上げる。まったく、なにを騙されたらこうなるんだよ。
「帰りますか」
「そうするか」
そのまま、来た道を折り返す。行きに奪われたのは手だったが、帰りは腕だった。
「ねぇ、義兄さんこれ見てください。綺麗じゃないですか」
そういいながらマキは、ネックレスを指さした。そうだなと流し、先に進もうとするとこっちも見てくださいと止められる、これは買うまで開放されそうにない。長引かせる必要はない、適当に手に取り会計を済ませる。
「……ありがとう。ファエ義兄さん。大切にします」
そのネックレスのチェーンの先には数枚のまるっこい花びらでできた花が付いていた。背面には薄れた文字でアドニスの血と書いてあった。どうやったら花の背面に血なんて文字を書こうとするのか、異世界のセンスはわからないな。とりあえずとても喜んでいたので、まあ、今朝の想像よりは最悪な状態にならなかったと胸をなでおろした。
その後、家に戻り夕食を取り、いつものように仕事に向かった。マキがいつもどおり宴会会場の扉を開けた瞬間、宴会会場とかしていた酒場が入口もろとも爆発した。プレゼントのネックレスは爆発の光に反射し綺麗に輝いていた。