その三
だが、時間が経つにつれて、私の中の喜びはだんだんと不安にすり替わっていった。いくらなんでも、話がうますぎるのだ。
「六畳一間の相場が、郊外で二万四千円……。駅の近くや大学、学校のそばでは三万円……」
「どうしたんですか、数字ばっかり呟いて」
内見の日を明後日に控えた正午、例によって後輩・ほっちゃんこと陰山蛍と食堂へ来ていた私は、せっかくの日替わりランチを前にしんみりとした顔を覗かせていたことを反省した。
「ごめんごめん。――実はさぁ、いい部屋が見つかったんだけれどね」
こういう時は洗いざらい話してしまうに限る。そう思って一切を打ち明けると、彼女は目を丸くして、一万円ですかぁ、とこちらを疑わしげに見つめるのだった。
「電話に出たのがおばあさんだったからって、現地にいるのがその人だけとは限りませんよぉ。わるーい人の手下かもしれませんし……」
「けどさあ、町内会の掲示板にそんなの出す? まあ、だから何かしらの事情があるのかもしれないけれど……」
それが見てみないとわかんないからやんなっちゃうんだよねぇ、と肩をすくめ、私はアジフライへソースをかけまわした。しばらく、彼女は腕を組んで、ラーメンライスのセットをじっと睨んでいたが、そのうちに、
「そうだぁ、店長に頼めばいいんだ」
と、妙なことを言い出した。
「店長ォ? ――あ、ほっちゃんのバイト先の……?」
そういえば、前にこの子の口からきいた覚えがあった。バイト先の古本屋の店主は、奇妙な事件や出来事にちょくちょく首を突っ込み、なんやかんや解決してしまう秘儀の持ち主だとか、そんな風に言っていた記憶がある――。
「時間次第ですけど、今日のうちに頼んだらなんとかなるかもしれませんよ。あの人、普段から平気で臨時休業の看板かけちゃうし」
「それでよく商売になってるねぇ。どっかの金持ちの息子なの? そのおじさん」
おじさん、という勝手な指摘が気に食わなかったのか、ほっちゃんは食い気味に、
「まだうちの店長は二十代ですよ。おじさんって言ったら承知しませんからね」
と、いやに肩を持つ。ずいぶん慕われているようだが、同じ二十代というのは正直驚いた。
ともかく、彼女の采配で渡りがつくと、私は明後日、集合場所へ寄る前に古書店「真珠堂」へと顔を出すことになった。
迎えた当日、聞いていた住所へ自転車を走らせると、古ぼけた二階建ての、「古書売買 真珠堂」という看板が掲げられた軒先に、髪の長い男の人が腕を組んで待っていた。どうやら、彼が噂の店主・真樹啓介のようだった。
「千菅万梨阿さん、ですね。僕が真樹啓介です。陰山くんから話は聞いてますが、なかなか興味深い物件を探し当てたとか」
「は、はぁ」
院辺りによくいる、いまいち年齢のわからないタイプの先輩たちを思い出し、私はちょっと緊張がほぐれた。
「いちおう、例の掲示板については確認が取れました。どんなポスターも、一度は町内会の役員が目を通すことになっているようですから、疑わしいものではないようです。さすがに掲載者についてまでは突っ込めませんでしたが、まず第一関門は突破出来たとみてよいでしょう」
待ち合わせ場所へ指定された、大手通り沿いのチェーンの喫茶店へ入ると、真樹さんは私に、掲示物の出どころについての簡単な報告をしてくれた。
「なんだかすいません、しょうもないことにつき合わせちゃって」
「なに、ちょうどいい暇つぶしです。しかし、十八畳で一万円とは……どんな家なんでしょうね」
二口ばかりつけたコーヒーのカップを戻しながら、真樹さんは窓外の電車通りをにらむ。
「別にあたし、贅沢言うつもりは全然ないんですけど……事故物件とかだったらいやだなぁ」
「まあ、そうだったらおやめになった方がよろしいです。居心地よくあるべき家に気になることがあるのは、精神衛生的によくない――」
と、そんなような話をしていたところへ、自動ドアの開く音と一緒に、和服姿のおばあさんが姿を現した。そして、カウンターにいる店員と二言三言交わすと、そのままつかつかとこちらへやって来たではないか。
「あの、お電話いただいた千菅さんでお間違いありませんかしら」
「――じゃ、あなたが」
意表をつかれたこちらへ、おばあさんはにっこりと微笑んで、
「はい、お電話いただきました大村でございます。迎えの車もご用意しておりますから、ご親類の方もどうぞご一緒に……」
と、外に停まっている高級外車・ベントレーを手で差す。ここにきてどうやら、第二関門も突破出来たらしいと、私はほっと胸をなでおろした。