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その四

 下宿館前で男女の変死体発見(傘岡)


 昨日午前六時、傘岡市尾瀬井の下宿館「光月荘」玄関先の路上に、六人の男女が折り重なった状態で倒れているのが発見された。傘岡署によると死因は開け放たれた二階の窓からの転落による頸椎損傷・脳挫傷で、いずれの遺体からも多量のアルコールが検出されている。なお、現時点では事件性はなく、事故として調査を続けているという。


「――まあ、こういう具合にまとまるだろうなぁ」

「……ですよねぇ」

 朝刊の小さな記事を読み終えると、私はそれを真樹さんへ返し、食べ残しのチーズトーストへ手を付けた。事情聴取ののち、帰るに帰れず真珠堂に厄介になった翌朝。小さな喫茶店でのけだるげな朝食どきのことである。

「――真樹さん、こうなるってわかってたんですか」

 寝付けないせいで腫れぼったい目を向けると、真樹さんはコーヒーを軽く含んでから、かもしれないとは思ったがね、とだるそうに返す。

「だがまさか、世の中にあれほど怖いものを知らない連中がいるとは思わなかったよ。変な三味線弾きが毎晩来る、というだけで、普通の神経の相手でないと想像できなかったんだから。おそらく、僕自身が警告をしに出て行っても、ああなったかもしれない」

「……でも、一度に六人は多すぎますよ」

「ああ、まったくだ」

 新聞へ顔をうずめる真樹さんの声には、いつものハリがなかった。彼だって、こんな結果になるのは不本意だっただろう。

「――どうする。大家さんに電話して、早めに荷物を引き揚げるかい。僕には一刻も早くそうしたいと言ってるような顔に見えるがね」

 トーストの耳をかじっていた私は、真樹さんの指摘にそっと手を下ろした。この人を前にして隠し事をするのは不可能だろう――そんな気さえした。

「……お願いしても、いいですか」

「いいとも。蛍ちゃんと、あとは知り合いの暇なやつらを呼んで、なるべく威勢よくやろう。その方が、あの下宿館にとってもいいかもしれないしね」

 腫物を扱うようにこっそり引っ越すよりは断然よかった。その旨を伝えると、真樹さんは食卓塩のビンで挟んであった伝票を胸ポケットへ入れて、

「じゃ、善は急げだね。行こうか」

 と、自分のカップに残ったコーヒーを一息に飲み干したのだった。


 真樹さんの集めた人たちの手で光月荘からの引っ越しが挙行されたのは、三日ばかり親戚の家へ厄介になったのちのこと。いつ雨が降り出してもおかしくなさそうな曇り空の土曜日の昼過ぎだった。

「真樹さん、これで全部ですよぉ」

 真珠堂の常連だという高校生の男の子とその友達が、ジャージにタオルのほっかむりをして、一番大きな衣装ダンスを下ろしてくれた。これですべての荷物が光月荘から運び出されたことになる。

「――短い間でしたけれど、お世話になりました」

 荷物の運びだしとともに、せんに支払っていた諸々のお金を返金に来た大家さんへ、私は複雑な胸の内の整理がつかないまま挨拶をした。

「こちらこそ、怖い思いをさせてすいませんでした。……かすみさんも、あんなことになるなんて」

 ハンカチで目じりを拭う大家さんに、私は気持ちの置きどころに困ってしまった。ガラの悪い人という認識しかなかったが、考えてみればかすみさんは、大家さんにとっては可愛い親類だったわけだ。そんな人が突然、原因不明の変死を遂げて気分がいいわけがない。

「警察の方でいろいろと調べてもらったんですが、体の方に特におかしなことはなかったそうなんです。ただ……」

「ただ……何かあったんですか?」

 隣に控えていた真樹さんがそっと大家さんへ尋ねる。すると、大家さんはささやくように、こんなことを呟いた。

「かすみさんとそのお友達、ものすごい死に顔をしてたんですよ。怖いものを見て、逃げようがなくなったような、そんなすごい形相で……。遺体が戻ってきても、顔は二目と見られそうにありません。ともかく、あんな最期じゃ可哀そうで……」

 そこで我慢が限界に達したのか、肩を揺らして泣き出した大家さんへ、真樹さんは心中お察しします、と慰めの言葉をかける。だが、私はそれどころではなかった。

 ――あの三味線の音の主を、かすみさんは見たんだ。

 あの朝見た、すっかり開け放たれた窓と金気の臭いがふたたび甦る。それを悟った真樹さんは私の肩へ手をかけ、

「あんまり気に病んじゃいけない。――そろそろ、出発しようや」

「……はい」

 大荷物を結わえたロープの具合を確かめると、男の子たちが荷物の隙間に収まったのを合図に、真樹さんはライトバンのエンジンを回した。

「それじゃあ千菅さん、お元気でね――」

「お世話になりました……」

 これで全部が終わったのだ、そう考えるといくらか気が楽になった。そして、車が尾瀬井町の小さな辻から離れると、私はクランクを回して窓を下ろし、小さくなっていくあの三層楼をいつまでも眺めているのだった。


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