中編
細かく刻まれた夕陽が水面に撒まかれ、きらきらと優しく反射している。
「あいつのせいで、真中先輩の前で変なこと叫んじゃったじゃん…」
私は制服越しに柔らかな風を感じながら、大きな池のある公園のベンチに一人で…鴨さんと対話していた。
「ひどいよね。そう思うでしょ?ねえ。鴨さん!」
対話?
鴨さんは水面のきらめきの中、夕陽が滲しずむ西の方にくちばしを向けてぷかぷか浮かんでいるだけだ。
ピコン
音がしたカバンの内ポケットからスマホを取り出そうとした時に手に触れた物、それは。
「もう中でカピカピになってるよ」
思わずそう口にして取り上げたのは、赤く光沢した包み紙に入っている飴あめ。
あれは、数ヶ月前の他校との練習試合。開始早々私は得意技の小手で勝負をしようと、竹刀を持つ自分の手首を小さい範囲で素早く動かし、相手の手首に向けて気持ちと共にぶつかっていった。結果、その技はあっさり竹刀で払いのけられた挙句あげく、相手の勢いのままに面を打たれて負けてしまった。そんな風に一発で勝負が決まってしまった、悔しさと悲しさといったら……努力すれば勝てるんじゃなかったの?
他校の道場から帰るバスに乗る前、落ち込みが滲にじみ出たぎこちない笑顔を抱えていたら、いきなりジャージの肩の部分を引っ張られた。
反射的に振り向くとそこには、赤い光沢物と摘む指。
指の先に居た真中先輩は、何も言わず。
微笑んだ。
そう、私の心の中で何かが始まってしまったきっかけのあの飴が、何ヶ月もカバンの内ポケットに入っている。
食べられないし、捨てられないし。
想いは募つのるし、息苦しい。
「ねえ、鴨さん。最近真中先輩と喋ったの、いつだっけ?」
「しゅしょーう」
今日も休憩中、軽やかに真中先輩のことを呼ぶのは、私たちニ年女子の中で一番剣道のセンスがある真理ちゃんだ。
「今度の団体戦のことなんですけどー」
三年女子が四人しかいない我が部は、必然的に女子団体戦五人の残り一枠が真理ちゃんにあてがわれた。誰も異論はない。
「相手校の女子メンバーってニ年生いるんですか?」
いろんはないが。
「真理、勝てますかねぇ」
そんなの真中先輩が知るわけないでしょーっ!!!
休憩の終わりを告げる先生の掛け声に、皆は一斉に床に置かれた面の前へ。
「着座!」
広げられた手ぬぐいの中央を頭頂部にかぶせ、左右の端を持った手を目の前を通り過ぎながらそれぞれ反対側の耳にきつくかけ、顔の前で垂れ下がった残りを下から持ち上げ頭上で折り返す。
静まり返った空間で、各々が面をつけてゆく。
その動作の中で考えていたのは。
私、最近真中先輩と喋ったの、いつだっけ?
面の紐を後頭部でくくりながら、真中先輩と真理ちゃんの残像に胸が痛む。
私も、喋りたいな。
そんな風に毎日毎日、真中先輩への想いを募らせながら。
私は。
打撃と共に叫ぶの。
「次、かかり稽古!」
先生の掛け声をきっかけに、次々と皆の稽古相手が変わってゆく。
次の相手は、真中先輩だ。
部員たちはそれぞれ、稽古相手とお互い礼をし合い、竹刀を構える。
真中先輩と、目線が合う。
面の影に浮かぶ真剣な眼差しを、真っ直ぐに受ける。
この一分間だけは、どんなにあなたを見ても。
許される、よね?
かかり稽古とは、技を受ける側と技を掛ける側に分かれ、一分ほどの時間内で後者が絶え間なく技を掛けていくもの。
「めーんっ!」
真中先輩のもとへ勢いよく進み前頭部に向けて竹刀を振り下ろすが、綺麗に先輩の竹刀で払われてしまう。しかし勢いは失われることのないまま体当たりし、身長差があるため私は胸辺り、先輩は胸下辺りで竹刀と竹刀が真っ直ぐ上を向いて双方が押し合う形に。
近さに緊張を抱きながらも、真中先輩の顔辺りからは自分の視線を下げて、次の技をどう繰り出すか考えていた。
考えて、いた。
「三浦」
真中先輩の唇が、私の名前を小さく呼んだ。
思わず竹刀への力がふと緩ゆるみ、少し上を見上げる。
面金、顔を守るために縦と横に伸びた金属部分越しに、視線が合う。
それはもう、いつも遠くから見つめている距離とは比べ物にならないくらいの近しい間隔であって。
「三浦」
その唇は、もう一度私を呼んだ。
「誕生日プレゼント」
開いた瞳孔に映るのは、優しげな真中先輩の表情だ。
「何が欲しい?」
何が起こって突然。そんな話になったのか。分からないまま。
私は。
真中先輩。
あなたが、欲しいです。