序章
序章
鈴木貴博。彼は22歳、独身。とある商社に勤めていた。会社に勤めておよそ2年が立っていたが、その激務になれることはなかった。早朝に起きて、深夜に帰宅し、就寝する毎日。月の休みなど手で数えるほどしかなかった。当然疲れなどとれるわけもなく、疲労困憊、満身創痍で日々を過ごす。上司は理不尽に彼を責め立て、およそ一人でこなせるはずのない仕事を押し付けてきた。地獄。現代社会は彼にとって地獄であった。自分が何のために生きているのか、自分は今後どうなっていくのか、そういった思考すら霞んでいく毎日。
そんな日々が突如終わりを告げた。
一人の老婆が歩道を横断する最中、転んでしまった。彼は老婆を助け起こし、彼女を介抱した。老婆は道の真ん中に財布を落としてしまったと言う。彼はすぐさま、財布を拾いにいった。しかし、財布に触れた瞬間、けたたましい車の警告音がなった。振り向くと大きなトラックがこちらに向かってくるのがゆっくりと見える。そのとき、彼が最後に思ったのはしばらく会っていない父や母の顔だった。
暗闇だった。何もない完全なる闇。体を動かそうにも
自分が動いているのか、存在しているのかわからない。声も出すこともできない。本来であれば恐怖を感じるような状況であったが、不思議と恐怖は感じなかった。逆に心地よささえ感じていた。彼は暗闇の中、自分が死ぬ前の行動を思い返していた。何故、自分はあの時、老婆を助けたのだろうか?自分が誰かを助けたことなどあっただろうか?体が勝手に動いた。そうとしか思えない。闇の中、自問自答を繰り返していると、ある事を思い出した。自分が昔憧れ、なりたかったもの。それは-
「助けてくださいっ!!」
突如、誰かの助けを呼ぶ声が聞こえた。
暗闇のため、どこからかはわからない。しかし、確実に聞こえた。
「どうか、私たちを助けてくださいっ!!」
言葉の抑揚からわかる悲痛な叫び。どうやら頭の中に直接響いているらしい。しかし、暗闇の中、声を出せない。どうすればいいのかわからない。それにまた誰かを助ければ、また自分が損をするのではないか、
どす黒い感情が彼を支配する前に、また声は聞こえた。
「お願いっ!!誰か助けてぇええ!!」
悲痛な叫びは絶叫へと変わった。そしてその声は黒い感情に支配されていたはずの彼の体をまたも勝手に動かした。
「わかった!助けてやる!!」
突如、闇の中に眩い閃光が走った。
目を開けると、見知らぬ光景であった。ほの暗い空間。暗闇を照らすわずかな光は、規則的に置かれている蝋燭から発せられるものだった。貴博はゆっくりと視線を下げた。自分が立っている場所は、石でできた台のようなもの。それは祭壇のようにも見えた。混乱した頭で状況をゆっくりと把握しようとした最中、前方に気配を感じる。気配の方に視線を起こすと、目の前には、布のローブを着た少女が膝まずいて下を向いていた。。しばらく彼女を凝視していると、その視線に気づいたのか彼女も顔を上げた。少女は非常に端正な顔立ちをしており、瞳は透き通った紫色をしていた。まるで宝石のような瞳であったが、その宝石からは沢山の涙が溢れており、端正な顔は所々、煤だらけであった。涙で目が腫れ、悲痛な表情を浮かべていた少女は、貴博を見るなり、徐々に顔を変化させていった。
「ずっと、お待ちしておりました。転生者様」
彼女はそう告げると、両手を組んで、天を仰ぎ見た。
「天にまします我らが主様、そして賢者アリアス様
あなた方のご加護に心から感謝を申し上げます」
「あ、あの、ここは一体どこなー」
「おいっ!セレナ!転生者は来たのかっ!?」
貴博が言いきる前に別の男の声が現れた。
セレナと呼ばれた少女は声のする方に振り向く、
そこには屈強な青年が立っていた。明らかに日本人離れした体格とその顔立ちは少女と同じく、異国の人間のようにも見えたが、貴博の記憶にある外国の人間の顔とは少し違うように見えた。
そして青年は貴博を見るなり、少女と同じように膝まずき、手にもっていた斧を置き、貴博に向けて言った。
「転生者様、どうか私たちをお助けください」
「どうかお助けください」
セレナも青年続いて貴博に言った。
貴博はまったく状況がつかめなかったが、とりあえず先ほど言い損ねた言葉をもう一度言うことにした。
「あの、ここは一体どこなんですか?」
「ここは、アースレシア。かつて魔王によって滅ぼされかけた国。そして今は、その魔王を打ち倒した勇者によって滅ぼされかけている国です」