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(彩音! とどめを刺すよ!!)
ウーが言った。
だが、彩音は動かない。
(彩音!?)
(もう)
彩音が答える。
(いいよ。勝負はついたし)
(えー!?)
ウーは不満げだ。
(見逃すつもり?)
(私は元の世界に帰りたいだけ)
(ふーん。優しいんだね。彩音がそれで納得するなら、まあいいけど)
2人が話し合う間に、リディアは空間の穴の暗闇へと姿を消した。
と同時に、辺りの風景が全て粉々に砕け、変化していく。
(ここは!?)
彩音が驚く。
横断歩道。
前には小学生が歩いている。
(今朝の!!)
そう、この後、右側からトラックが突っ込んできて。
小学生を助けた彩音が轢かれたのだ。
ハッとした彩音が右側を見る。
が、トラックは来ない。
小学生も彩音も無事に横断歩道を渡り終えた。
(戻ったの…?)
(上手くいったね)
ウーの声。
(狙い通り、あの女をボコって元の世界に戻れた。彩音が死ぬ運命も親父のおかげで回避できてる。これからは何か起きてもアタシが対応するから、まあ大船に乗った気持ちで居てよ。ウー姉さんって呼んでも良くってよ!!)
ウーが笑う。
とりあえず、強制異世界転生は避けられたようだ。
(良かった…本当に良かった)
彩音はホッと胸を撫で下ろした。
自らが支配する別空間へと逃げ込んだリディアは、慌ててエネルギーをかき集めた。
龍王院彩音に受けたダメージを一刻も早く回復せねばならない。
女神の顔は、思い出したくなくとも浮かんでくる屈辱に歪んだ。
よくも。
よくもやってくれたな、小娘風情が!!
このリディア様をあろうことか、あのような情けない状況に追い込むとは!!
許さぬ!!
この報いは必ず受けさせる!!
そして彩音が、あれほどまで嫌がった異世界転生。
絶対に成してみせる!!
正義の女神に逆らいしを後悔させ、謝罪させる!!
真っ青な空間に唯一存在する豪奢な造りの立派な王座にリディアは這い上がり、その身を預けた。
最低限のエネルギーは、ようやく回復しつつある。
玉座に深く腰かけた。
空間同様、青かったリディアの顔色にも、血の気が戻る。
思考が冷静さを取り戻し始める。
しかし、彩音のあの力…。
確か銀河十二星座拳とか言っていたか…。
でたらめにも、ほどがある。
途中までの戦いはともかく、最後のあの技…。
女神の身体にこれ程のダメージを与えるとは。
侮れぬ敵と言わざるを得ない。
どうやって攻略するべきか?
リディアが両眼をギラギラさせ、思案していると。
「リディア」
空間に女の美しい声が響いた。
リディアの顔が曇る。
よりによって、こんな時に!
「リディア、聞こえているの?」
声が訊いた。
その口調は穏やかで優しい。
「き、聞こえていますわ、お母様!」
リディアが答えた。
彩音と戦っていた時とは口調、声のトーン、全てが違う。
母神である女神ヘレスの前では、リディアはいつもこうであった。
自分より格段に強い力を持つ母神には、頭が上がらない。
今回のような失敗は絶対に知られてはならない案件だ。
幸いヘレスは声のみで、姿を現さない。
「そちらで大きな魔力の揺らぎを感じたのだけれど…何かあったの?」
「い、いいえ。大したことはありません。わらわ…あっ、わ、私が修正しますから、お母様はご心配なさらず!!」
リディアの声が上ずる。
「そうなの?」と母神。
「じゃあ、お願いね。任せたわよ」
「はい!!」
ヘレスの声がしなくなった。
助かった。
リディアが額に、じっとりとにじんだ汗を拭う。
龍王院彩音に復讐するとして、母神に気づかれない工夫は必要だろう。
特にリディアの管轄空間のエネルギーが、大きく損なわれるような事態は避けたい。
あらかじめ少しずつエネルギーを備蓄しておくか、はたまた空間内の動きが外へ伝わらぬよう、シールドを張っておくか…。
いかにするべきかをリディアは静かに考えた。