ようこそBar925へ
高架下の飲み屋街を抜けると薄暗いビルが並ぶ。薄暗い階段を降りると木目の綺麗な扉が見える。ゆっくりと扉を開けると薄暗い店内には見慣れた顔が何人かいる。
「4番へどうぞ。」
カウンターから出てきたマスターが私の指定席に案内する。半年程前から通うようになった。お決まりのビリヤード台の前に行くと既に私のキューが並んで置かれている。毎度のことながら準備がいい。いつキューがテーブルの上に置かれるのだろう?
「伊織さん、グレープフルーツジュースですか?」
「お願いします。」
既にマスターはグレープフルーツを絞り始めていたのは、私がいつもそれを頼むから。
この Pool Barは不思議なことが多い。ビリヤード台にいくといつもマイキューが置かれている。聞けば、お店が"意思"を持っていてお店が用意してくれているらしい。おしぼりが欲しいと思ったときにテーブルを見ると置いてあったり、疲れたなと思うと傍らにイスが置かれていたり。
「どうしてドリンクはマスターなの?」
「私の仕事がなくなってしまいますよ。」
マスターは笑ってグレープフルーツジュースを置いた。全部お店が出してくれたら、人件費もかからないんじゃないか?なんて勝手に想像してみたりした。
私の生活の中心はこのビリヤードができるバーになっていた。
「いおちゃん、こんばんは!」
私の姿をみつけて声をかけてきたのはアカネ。アカネはこのバーで働いている店員さん。黒髪直毛ロングでいつもポニーテールにしている。
「来月、ミニトーナメントやるよ!でてみない?」
「私はまだちょっと…。」
「でるよね?でちゃおう!名前だけ書いとくから!」
いつのまにか出てきた参加者リストにアカネは私の名前を書いている。月1回、10人くらいのビリヤードの小さな試合が開催されているらしい。アカネはどうも私が"常連さん"たちと交流できるようにキッカケを作ろうとしてくれているみたい。
「いおちゃん、半年くらいになるじゃん?そろそろだよ!」
「う~ん……。」
困ってマスターの方に目をやると
「ついにですね。」
と笑って手を振る。そりゃ参加者が多い方がいいに決まっている。
「なんでこんなタイミングよく参加者リストが表れるのかな。」
「そりゃもちろん、お店だっていおちゃんに参加してもらいたいんだよ。」
ふわっと参加者リストが光る。
「ほらね。いおちゃんは気に入られているから。」
アカネは満足すると仕事へ戻っていった。
「気に入られているって……。」
私がはじめてBar925にやってきたのは半年前。夏の終わりごろだった。私は企業向けのコンサルティング会社で働いている。コンサルティングとはいっても、私はそこの広報PR部で営業パンフレットや広告などの制作をしている裏方だ。
そこで私は仕事を干されていた。
というのは、取締役連れてきた広報部の部長はまるで仕事ができなかった。私があたためていたコンサル本の制作を私の企画のまんまで自分の"お友達"にやらせた。仕事だし部長の判断で指示したことならそれでいい。でも問題はその"お友達"が仕事ができなかった。自分で取引先にインタビューに行き記事を書いたはずなのに、出来上がったものはまるっきりインタビュー内容とは違かった。取引先に記事の正誤チェックを依頼したところ、「こんなことは一言も言っていない。」と怒らせてしまった。
また別の"お友達"に頼んで外注した解説記事は全部盗作だった。面白いくらいに丸パクり。悲しいかな、その盗作を発見したのは私だった。どんなものが出来上がったのかとみていたところ、どこかで読んだことがある内容だった。試しにWeb検索をしてみるとすぐにHitした。
私のあたためていた企画はすべて消えてしまった。それだけではなく、私から仕事はすべて無くなった。部長はそれ以外にもいろいろとミスをしたり、案件を潰したりしていて手に負えなくなっていた。だから「今は何もしなくていい。」と。
イベントの企画、広告用の企画など提案もしたが今は何もしなくていいという指示をもらった。私の業務はすべてストップしてしまった。その後、部長は無断欠勤をするようになり会社を退職することになった。「何もするな」という指示があったにも関わらず、私は何度も企画を提案していたにも関わらず「何もしていない、成果もない」と評価されてしまった。
そんな会社に冷めてしまった。何をしてもつまらない。何をしてもバカバカしいと思ってしまい仕事にならない。
気がつくと私は早退して街中を歩き続けていた。
もう消えたい。
そんなときに光を感じた気がした。振り向くと同時に一筋の光が横切っていった。光の先には階段があった。考えるよりも先に身体が動いていた。