八 地獄の前の休息
ドアをノックする音で、白馬は我に返った。
腕立て伏せの途中だった身体を起こし、額の汗をタオルで拭う。
「はーい」
ドアを開けると、そこにはいつもの穏やかな笑みを浮かべた筑波傭推が立っていた。
「やあ、白馬君。晩ご飯の時間だよ」
「わざわざ呼びに来てくださったんですか?ありがとうございます!」
「ハルさんに頼まれてね。それと――これからお世話になる人の話をしておこうと思って」
「お世話になる人、ですか?」
「アジトの炊事、洗濯、掃除……生活全般を一手に引き受けている人だよ。凪沙さんっていう」
「全部!? すご……」
「本当にすごいよ。そういえば、まだ会ったことはなかったね」
「はい。どんな方なんですか?」
「メイド服を着た美少女なんだけど……怪力ゴリラ……いや、今のは忘れて」
怪力?
今、確かにそう言った気がした。
――美少女で怪力?
頭の中に、何かおかしな想像が浮かびかけて、白馬は首を振る。
「とにかく、料理は絶品だ。期待していい」
「楽しみです!」
「今日は君の入団を祝って歓迎会だ。主役が遅れたら始まらないからね」
そう言われると、自然と背筋が伸びた。
傭推の案内でアジト内を進み、やがて食堂に辿り着く。
扉の向こうから、賑やかな声が漏れていた。
――緊張する。
「大丈夫。ほら、深呼吸」
「……でも、テロリスト集団ですよね? 絶対怖い人いますよね?」
足が止まった瞬間、白い指先が手を取った。
「大丈夫ですよ」
振り向くと、風鳴姫ハルが微笑んでいた。
そのまま手を引かれ、白馬は食堂の中央へ。
「皆さん、新人の黒水白馬さんです。期待の新人さんなので、仲良くしてくださいね」
「は、初めまして。黒水白馬です」
――よろしくー、という軽い声と笑い。
拍子抜けするほど、空気は柔らかかった。
「僕は……正直、弱いですし、足手まといになると思います」
「最初はみんなそうだよ」
どこからか、優しい声が飛ぶ。
――あれ?
思っていた“テロリスト集団”と、全然違う。
「それでも……頑張ります。よろしくお願いします」
拍手と歓声。
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
白馬はハルに促され、白いテーブルについた。
傭推が一人ずつ紹介していく。
ギャル風で黒髪が映える翔姫サヤ。
柔らかな笑みの風鳴姫ハル。
料理上手で可愛い凪沙。
茶髪で軽そうなUNA。
上半身裸がデフォルトの深山輝。
そして、神の子である佐藤雫と鳴神柘榴。
最後に、傭推は“ラストナンバー”について語った。
『終わりの曲――ボスはそういう意味を込めて、僕たち六人にこの名前を与えてくれた』
料理は噂通り、信じられないほど美味しかった。
ふと視線を上げると、女性陣が有名な飲み物を手にしている。
「甘っ甘、シュワシュワ、甘酸っぱいのが癖になる、
甘甘味屋かんかんみやさんの炭酸いちごみるく~♪」
のCMで有名な炭酸飲料水。
炭酸いちごみるく。
炭酸きういみるく。
炭酸パイナップルミルク。
ハルは炭酸きういみるくを飲み、恍惚とした表情を浮かべていた。
――見なかったことにしよう。
その夜、白馬は自室に戻ると、すぐに眠りに落ちた。
「白馬……」
声がする。
目を開けると、そこは見覚えのある場所だった。
「もう来ちゃだめだよ」
檻の向こうで、少女が泣きそうな顔をしている。
「白馬が来るたび、叱られるんだよ……」
「でも、一緒にいる方が楽しいだろ?」
白馬は笑って言った。
「外に、出てみたくない?」
「……鍵がないもん」
白馬はポケットから、大きな鍵を取り出した。
「やめて……!」
「大丈夫。一緒に逃げよう」
夜。
村の声。
松明。
怒号。
「鬼子が逃げたぞ!」
「逃げろ!」
白馬は少女の手を離した。
「時間を稼ぐ!」
「嫌だ!」
「いけっ!」
白馬の迫力に気圧され、
少女は泣きながら走り去った。
僕は蹴り飛ばされ、捕まり、記憶は闇に沈む――。
白馬は、涙で目を覚ました。
「……よかった」
胸に残るのは、安堵だけ。
彼女が、生きている。
それだけが、救いだった。




